10,11/5(金)晴れ
肥料撒く妻にブドウの木漏れ陽が斑に射して秋の日はゆく
ブドウの枯葉が足元の棚下に絡まるほどに積っている。
ミレーの絵の農夫よろしく窒素、リン酸、カリを撒いていくと、
肥料は枯葉に降りかかりかさこそと乾いた音を立てる。
都会ではそんなこともないが、妻は今ではすっかりお百姓の姿になって、
手袋をしていても、やがて妻の爪の間も肥料の色で黒ずんでくるのだ。
木守柿とっとけ雀鵯もくる
木の高いところの枝の柿は、さすがにそのままにして置く。
雀もヒヨドリも、カラスも、みんなそれを楽しみに待っている。
蓑虫の水落ちる聞く式部揺れ
とにかく田舎の周りではあらゆることが秋になり、静かに冬に身構えているといった感じになる。
病得て棕櫚に花咲く良夜かな
玄関の脇の棕櫚の木。
ようやく背丈を大きく超えるほどになったが、やっと初めての花穂をつけた。
白い花と庭と母屋の上にかかる月の仄白さが今夜はぼんやりと気持ちがいい。
しかし、ば様のはなしでは、じ様は次第に
「よたをきいて来る」
というのだった。
「房枝は何しに来とう。何の役にも立たん」
10,11/6(土)晴れ
柿捥ぎて北岳とほくのぞみけり
柿捥ぎて梯子の高さ決めにけり
柿畑に勉義兄さん夫婦と私とで柿の収穫に来た。
百目柿というのか、大変大きく手のひらにずっしりとくる。
高いところの柿の実は私と勉義兄さんが梯子に登って鋏を入れる。
梯子の高いところに登ると柿の枝の上に真っ青な青空が広がり、
風もなく、ああ、あれは八ヶ岳とおもって首をひねり、視線をぐるりと転じると、
山のあはひに真っ白な雪をお頭にのせて、キラキラ輝いている北岳がとほくに垣間見えた。
すぐ近くにお寺の屋根が景色に浮かび、
柿畑はうちらだけで、近所周りは収穫も済んだぶどう畑が広がるばかりで
この時間に他のお百姓さんたちの畑に動く姿とて見当たらない。
静かなもんだ、とわたしはのんびりと柿を捥ぐ。
姉さ被りをした由美子姉さんが、柿の枝の間を過ぎていく。
携帯を耳にしていた。
「そうなの、困ったね、おばあちゃんがしちゃったの、ママ、大変ね」
「悠くん手伝ったの、えらいね、ママのことお手伝いしてあげてね」
「そうなの、悠くんはえらいのね、一人でできるものね」
「そうなの、おばあちゃんしちゃったのね、ママたいへんだ、悠くんお手伝いしてあげてね」
柿紅葉が少し始まっているが、柿の葉はまだ緑、みどりしている。
柿の実の赤いのと、柿の枝の葉の緑の間を、由美子姉さんは携帯を片手に通り過ぎていく。
娘の弥生ちゃんが息子の悠くんをつれて、勉義兄さんの留守中のおばあちゃんのお世話に来ている。
おばあちゃんが粗相をしてしまったのだ。
おばあちゃんは近頃、粗相をしてももう自分ではあんまり気がつかないことが多くなった。
ロールペーパーや、カバーや、水洗の縁に手当たり次第にウンチがついたままになる。
弥生ちゃんから由美子姉さんに電話があったのだった。
よろしくお願いね、と云ったものの、弥生ちゃんも次の子どもをおなかに抱えて泡をくっている。
悠くんがママから携帯を手にもらって、
「ぼくはしてないよ、ひとりでできるもん」
と訴えている。
「お仕事終わったらおじいちゃんも、おばあちゃんもすぐに帰るから待っててね」
「おばあちゃん、よろしくおねがいね」
と云って携帯を切った。
あっちこっち世間はウンチだらけになった。
じ様も股引の間に粗相をし、粗相はベッドの下のシーツまで汚してしまった。
ベッドの脇のオマルにさへもう体が移動できない。
寝たままにポータブルを尻の下にあてがう。
ば様のじ様の世話の肛門の〆る忘れてあやしみをりぬ
拭いても拭いても締まりが悪く、またお通じが意識とは関係なく出てくる時もあるようだ。
ば様は昔から村ではそう云われているやうに、
肛門の締まりが悪くなったらもうあぶないのだと、
あやしみ伏して眼をしばたたかせる。
10,11/15(月)晴れ
「もう良くなれんど、電話しろ、みどりに電話しろ」
じ様にまた突然しゃっくりが始まった。
じ様ももう我がことながら多少パニクッテ、何がなんだか分からない。
小夜子ば様もじ様が混乱するままに、自分もあわててじ様の下の妹さん、みどりさんに電話をした。
柿晴れや義父病院へあはただし
吐いて、またしゃっくりが再開し始める。
下の妹の長女のみどりを呼べ、ということになった。
墓の用意を──などと口走ったようだ。
じきにみどの伯母さんはやって来て、
例により声にぎやかに、部屋のあちこちをかき回したらしい。
後でのことだが、
「そうだよね、私に相談しないで」
「おじいちゃんは私のこと馬鹿だと思っているから・・・」
と小夜子さんは少し口惜しいやうに云った。
じ様は高原さんへ入院して、それで、しゃっくりも止まった。
食欲もなくまた衰弱していたようだが、病院食はもう練り物ばかりだがそれでもうまいらしく、
出されるものはほとんど全部いただいたようだった。
「サトイモもらっていってもいいけえ」
みどり伯母さんは屋敷の畑に下りて、畑にいた由美子姉さんに手伝ってもらって、サトイモを掘らせた。
「サトイモはうちでは作ってないけん、サトイモはスーパーで買っているから」
と、ひと畝ばかり掘って、肥料袋に持って帰った。
空は柿晴れだし、じ様は病院で一安心、気持ちも落ち着いた様子でいくらか食欲も出てきた。
掘られた畝は畑になんとなくさみしく、
勉義兄さんも娘の由美子さんも帰った後の家はただ広くて、
小夜子ば様は台所に立つと、夕飯を作る相手とてなく、
少しぼんやりする。
10,11/22(月)雨
明日は私の母の命日になる。
33回忌も過ぎた。
湯沢から信州に廻り、父と母の墓参りをしていると雨がポチポチとやって来た。
更埴から中央道に乗り、松本から甲府を目指す。
小淵沢のあたりでは雨はしんしんときて、カラマツ林も、広葉樹もみな黄色に濡れそぼって、
運転席の窓外を枯葉色に帯に流れていく。
妻はCDでドルス・ポンテスのメロディを流す。
ドルスの声は車内に甘く、彼女はポルトガルの歌姫、
のびやかに複雑な声を高く低く物語る。
秋の日暮れ近くのしぐれと、飛びし去る広葉樹の紅葉と、
車内のドライブシートの時間は私たちだけのものとなる。
古里はファドで迎える銀杏降る
あの角を曲がればわが家古里のいてふふるふる冷たき雨に
古里は角を曲がれば金然と銀杏菩薩の雨にうたれて
金の落ち葉ふるふるしぐれに
妻の実家近くまで来ると日暮れて、
ヘッドライトにイチョウの樹が真っ黄色になって浮かび上がった。
ファドは最高潮になり、ふと知里幸恵の
「金のしずくふるふるまはりに・・・」
を思い出した。
ありし日に覚えたる無と今日の無とさらに似ぬこそ哀れなりけれ
(与謝野晶子「白桜集」)
小夜子ば様がいつぞやに新聞から書き写したもの。
下がり花生命の魂たまの川流れ
西表島では動物連鎖の頂点にいるのが西表山猫と空に君臨する冠ワシである。
入り組んだ地形に無数の川が山襞から流れ出、海に注ぐ。
西表山猫の生息地帯は、意外なことに川の流域でかつ海岸に面したところが多い。
そして、田んぼはその二つの頂点にいる二組の植物領域の恰好の提供場所とはなる。
川に枝から無数に垂れ下がる西施が合歓の花に似た花穂が
自ずからみなぎり盛りを過ぎるとともに、
ひとつひとつを川面にその残影を色はかなくも落としていく。
無数の花穂が川面をあはく虹色に染めて漂い流れていくというわけである。
ちなみに───
象潟や雨に西施がねぶの花
かの芭蕉翁の奥の細道ではある。
秋霖や人それぞれの家やに息やすみ
義父は高原医院の201号室で、
まったく意識とてほとんどない方と同室の部屋で眠っている。
言葉はまったくない。
ただ24時間まったく眠り続けている様子である。
病室は外に明るく、ほんに薄いブルーの医療衣をお布団から少し出して、
右を下にした左の肩が、まるでチック症の患者のやうにずっと同じリズムで動き続けている。
外は夜半にまたひどい降りになった。
雨の叩く音が軒に、あるいは落ち葉の上に募ってくる。
ば様も妻も10時前には床に就いた。
あの人もこの人も別秋の雨
みんな誰一人として同じ屋根の下というわけにはいかないのである。
10,11/23(火)晴れ
菊の香や母命日の朝茶かな
けふは母の34回目の祥月命日である。
昨日は雨の中を長野でお墓参りをみなで済ませた。
今日は妻の実家山梨に来て、妻の実家の仏壇に線香を立てさせてもらう。
なくなった方はみんな、あちらの世界ではつながっているに違いない。
お参りをするのに、場所のどこかは関係ないのかもしれない。
ついこの間まで二人一緒に夜に息んでいたのが信じられない。
無数のカップルや無数の姻戚や無数の血の交じり合った人たちが
別の別の闇の中で眠りに就く。
母恋ひや母の命日思いッ切り
括られぬ菊はしどけもしどけなく
ひと雨激しくきたせいもあって、庭の菊叢も花を庭先に低く濡らしている。
葡萄棚葉の舞い上がる式部の実風のすまじきこの朝かも
一陣の風が吹き起こった。
お天気はよく室内はぽかぽかするほどの陽気である。
勉義兄が24日に介護認定の訪問調査が病室で行われるということで、
簡単な原稿を事前に作られてきた。
ば様とわたしたちに示して説明。
■日常生活
■精神状態
■身体状況
■入院
■介護認定・・・という手順へと、それに対する客観的説明である。
いつもながらシンプルにして緻密である。
ありがたいことである。
10:00~11:30ころまで。
他に喪主のことや、相続のこと、これからのことなども話し合われた。
ある人は爪で拾って箕みでこぼす
昔のばあさんが小夜子さんに話した噺。
笑はれぬお悔やみの欄虫眼鏡義父の病の電動ベッド
正雄じさまはそれでも小夜子ば様にわがままを云ひ、
電動ベッドを起こせと云ひ、
三面記事が分からんだか、と詰りつつ、
新聞のページをひらげ、虫眼鏡で丹念に記事を追っていく。
栃木県那珂川町で温泉水を利用して河豚の養殖を行っている。
河豚はメタボにならないようにと、人工的に起こされた水流によって、
絶えず時計回りにぐるぐる回って泳いでいる。
円形の大きい水槽の中で同じ方向に運動させられている河豚は無駄な水分を体内に含まず、
かつ、アミノ酸が豊富に身の内に蓄えられてうまみが増すというようなことだった。
止せ止せ問答・・・
人間にとって良いことは自然界にとってもすべていいことなんだ。
すずらんホールの積み立てが少し前から始められて、
それで葬儀もホールで安心した費用で済ませることができるようになったということだった。
誰もどうしようもなかったのだ。
生きている人間は生きるための方法を時として選べない。
死はそのままそこにある。
「ずっとあんな風ふにしてさわぇで(さわいで)ゐるよ。
こんただ病室あっちまで行って見ると、
ていげん(たいがい)の人はみんな息もしてねえみてえにやすんでゐる」。
確かにちょいとお隣さんを覗いて見たら、
すっかり年老いた二人の老人はそれぞれに酸素吸入をされて、眼は閉じて、
しかし、口唇は開け放したまま身を横たえているのであった。
■感染症─ノロウィルスとか院内感染とか。
リネンとか、食べ物の持込とかについての注意。
病室は清潔で無駄なく乾いている。
窓からは秋の光が病室の奥まで入って来て、
光は水のように自在で、写真立ての表面を滑ったかと思えば木の棚に吸い込まれ、
同時にあちこちに存在し、微細な塵や埃のひとつひとつにも届くようだった。
庭前の楓かえで炎もへ立つ午後の陽に義父を見舞へばただ眠りけり
オギノで買い物をして(イヤホンと手鏡とストロー)、
2度目に病室に見舞うと、
義父はちょっと反応を示したが右肩を下にすっかりやすんでいた。
お隣の方は今度は廊下側に向かって横になり、
顔色も頭髪も真っ白になってやはり音もなく眠りに就いていらっしゃった。
相変わらずお隣の病室からはあ~、あ~という苦しそうなうめき声がずっと続いている。
ほとんど呼吸音のような感じで続いているのであった。
苦痛はすでになく、多幸感の中にいる。
みんな病室に眼を閉じ、酸素吸入に体を固くひとつの方向に、蝋のやうに白くなって、
その時が訪れるのを待っている。
本当にその通りか・・・
あの声はもう懇願するやうな声ではなく、ひとつの獣のやうな声に、
生きもののひとつの声のようになって病室に聞こえた。
生まれ出るときに素晴らしい分娩の仕組みが備わっているように、
死にゆくときも絶妙な移行の仕組み・死にゆく仕組みが体と心に備わっている、
用意されている、とかの人は仰るのだが・・・
(対本宗訓つしもとそうくん・僧医10,11/20日経)
イタリアの楽がくが流れてメルカドになにか悲しく人流れゆく
喪服姿のやうな夫婦。
男性はカートを押して先に立ち買い物和する妻の近くに佇む。
しばらく妻の買い物が決定するまでじっと直立不動のように実直に待っている。
高いヒールの妻は両手を腰の前で組み合わせるようにして、
スーパーの中を腰高く回遊していく。
その表情は西洋の中世の夫人のごとく、厳粛で宗教めいている。
■子供たちもいた。
姉妹らしきもいた。
姉妹らしきは陳列ショーケースに沿って、かくれんぼをしていた。
飽きもせずにあっちのショーケースの陰、陳列棚の脇、
売り子さんの後ろに回ったりして、
そのたびに真剣なまなざしになったり、くすくす笑ったりして、
すばやく動き回っていた。
浮浪者のような方もいた。
■「お魚さん買うの」
「南瓜さんも買うの」
幼児は次々と手にした品物を父らしき人のカートに背伸びしていれて行く。
父親らしき中年の男性は今日は祝日ということもあるのか顔に無精ひげがうっすらと、
ラフな恰好で、ジーンズの裾の床に擦れるあたりにズックを踵に踏んづけて歩いていた。
祝祭の日にものを喰ふことはどこか悲しい。
西洋の音楽のビオロンやクラリネットの響き、
レイバーズディにもの喰ふことの悲しさをそのメロディーに伝えている。
干し大根脇に糠ありその脇にポインセチアのX'mas待つ
水晶の如く冷たく透きとほる心となりて冬に入るかな(茅野雅子)
病に伏し迫りくる試練に身構える人がいる。
やがてシクラメンが咲きつぎ、ポインセチアが真っ赤に色づくころ
X'masがやってくる。
倉石智證