10,8/15(日)晴れ

終戦の日である。

韓国は日韓併合100周年ということもあって

終戦のこの日を李氏朝鮮の王宮の前で祝った。

「一歩前進、両国は未来に向けて進むべきだ」

李明博大統領は民族服に身を調え演説した。

菅直人首相はじめ17閣僚全員が靖国神社に参拝せず、

全閣僚が同時に参拝しないのは1960年以来のことであるとのこと。

安倍元首相、谷垣自民党総裁は参拝。

「政教分離という意味では政党が選ばれた意味があった」

(福島瑞穂社民党党首)。

ロシアでは史上初めてという猛暑に煙害(森林火災と泥炭火災)。

中国は舟曲県の土石流被害に対し「追悼の日」を定めた。

「大地に口付けよ。我が抱擁を受けよ、100万の人々よ」

井上道義指揮、ベートーヴェン作曲第9番、合唱付き

(7/2日、日比谷公会堂で収録)。

戦前の成城合唱団の存在、91歳と89歳の男性の方が歌われた。

「おお、この調べではない。別の調べを」───

戦争は続いている。


「終戦日」NHK日曜俳壇

高野ムツオ撰者

生者に汗匂ひて八月十五日(坂田淑子)

たま今も水浸き草むす終戦日(青山桂一)

厨にて母黙祷す終戦日(本田輝)

能ふこと語り継ぐこと終戦日(田中和行)

敗戦日生きとし生ける蚤虱(渡辺房雄)

象の目がじっと見ている終戦日(高橋米子)


「終戦日」でエクササイズ

蝉鳴いて黙す永き日終戦忌

きりぎりす鳴けど終わらぬ戦の日

捧げ銃悲しき癖や終戦忌

この道をゆく人のあり終戦忌

終戦忌終はりてもなほ戦の日

ガザアフガン悲しきことの木魂する

神仏イエスアッラー終戦忌

終戦日雲ひとつなく命なく

蟻の列黒き列なり終戦日

終戦日粛然として甲子園

焼夷弾が何千発もグラウンドに突き刺さっていた。

固いコンクリートの観覧席の下は適当な軍需工場になっていた。

グランドの内野は芋畑に、

広い外野は戦車の展示場になったりもした。

甲子園は、43年に名物の大鉄傘が海軍に供出されて、高射砲基地となり、

キラキラ美しく光るB29が来て、45年8月6日、広島に原爆が投下された日の未明、

大空襲を受けて炎上して戦火にさらされました。

海の碧空の青など終戦日


折口春洋

「あまりにも月明あかければ、草の上に 

まだ寝に行かぬ兵とかたるも」

(折口春洋)

作者、折口春洋は硫黄島で没した。

春洋は民俗学者の折口信夫(歌人・釈迢空)の養子であった。

八丈島へ向かった春洋の連隊は、先発船が沈没したために、

急に予定を変えて硫黄島に到着したという。

「朝つひに命たえたる兵一人木陰に据ゑて、

日中ひなかをさびしき」

つぎつぎに島に集まってきた兵の多くが歌を作っていたと聞く。

死を眼前にする過酷な日に、

歌を作ることで、それまで生きた日常と地つづきの感情を保とうとした。


ついでのことながら硫黄島の戦いでは栗林忠道指揮官は、

最後の敢闘玉砕をする前に訣別の電文で、

国の為重き努めを果たし得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき

と詠んだ。

参謀本部はこれを「散るぞ悔しき」と改変して発表。

もののふの歌心と、国家とのあまりの段差・・・


さういへば折口信夫も柳田国男も民俗学を逍遥する。

多くの若者が戦争で祖国を守ろうとしたのはパトリオット的郷土愛の故である。

たたなづく青垣・・・

「このヤボ(藪)に火を入れ申す、

蛇、わくど(かえる)、虫けらども、早々に立ち退きたまえ…」

地元の小学校を代表して女子生徒が火入れの祈りを唱えた。

柳田国男「後狩詞記」 宮崎・椎葉村。

「かくのごとき山中にあっては…主たる生業はやはり焼畑の農業である」

法制局参事官だった柳田国男は1908年7月、椎葉を訪れた。

焼き畑と共に狩猟の話が柳田の関心を引いた。

「立かへり又みゝ川のみなかみにいほりせん日は夢ならでいつ」

こう詠んだ柳田の椎葉への懐旧の情は終生続いた。

「私はまだ山の神とはいかなる神であるかを知らないのである」


みな天壌無窮の神勅を信じたわけではない。

そこに父母やはらからがゐてうさぎおひし青き山や、

海の青にしみる懐かしき故郷があったからであらう。

(『日本書紀』巻二の一書)

豊葦原とよあしはらの千五百秋ちいほあきの瑞穂みづほの国は、

是れ吾が子孫うみのこの王きみたるべき地くになり。

宜しく爾いまし皇孫すめみまゆきて治しらせ。

さきくませ、宝祚あまつひつぎの隆さかえまさむこと、

まさに天壌あめつちと窮きはまり無かるべし。


大和はまほろば、

たたなづく青垣、

大和しうるはし。