ブレーキの痕すらなくて暴走す家宅捜索シャツに穴ぼこ
やはりまた「誰でもよかった」・・・。
マツダ本社宇品工場広島、暴走8分、7カ所で凶行。11人死傷。
亡くなった浜田博志さん(39)は子供が生まれたばかりとか。
引寺利明容疑者(42)は一時期間工、のち広島市内の派遣会社に登録し、
同市のゴム加工工場に勤務していたという。
家宅捜索に入ると洗濯物のシャツの首筋が綻びている映像が。
ちなみにこの日、高額報酬経営者の所得の公表があった。
ゴーン社長の給料=8億9000万円と発表。
COOは=1億円。
中国では連日のストライキ、広州のトヨタ、ホンダ工場は操業停止に。
「あっちの方の工場は賃金が上がったようだ」───
携帯で情報が行ったり来たりしている。
(小林雄二4/19)
ところが友人小林雄二のレポートによれば、
世界中に不況の風が吹いている中、
「銭儲けの匠ヘッジ・ファンドマネージャー」が
リーマン・ショック後の底値圏で株やら商品(コモディティ)を仕込み、
莫大な収益を上げ巨額の報酬を得ていたことが
米のヘッジ・ファンド専門誌《ARプラスアルファ》で明らかになった。
巨額な報酬を得たファンド・マネージャーは、
第1位デビット・テッパー(3720億円)、
第2位はご存知、世界の投機王ジョージ・ソロス(3000億円)、
第3位ジェームズ・シモンズ(2300億円)といったところだ。
たった3人で=1兆円近くになる。
北朝鮮のGDPの=2分の1である。
1970年代後半からは「成長の限界」がささやかれ、
ヨーロッパペシミズムが欧州を覆った。
ところが、80年代に入って、サッチャーやレーガンが登場し、
産業資本主義から金融資本主義へと舵を切り始めていった。
冷戦が終わり、90年代に入るとアングロサクソン系経済はますますその勢いに拍車をかける。
1995年の「ドル高」宣言が端的で米国にマネーが集まり、
米国はよそから輸入した資本をさらにレバレッジをかけて外国で有利に稼ぎだす仕組みを実現させた。
1990年に=48兆㌦(約4400兆円)だった世界の金融資産は
→今や=200兆㌦に迫る。
国内総生産(GDP)が→約2.7倍に増える間、
金融資産は→約4倍に増えた。
ワニの口のように乖離する方向へ
■1990年(金融資産・GDP)=(48兆㌦・20兆㌦強くらい)
■リーマン・ショックから2年足らずで市場は=16兆㌦を失ったが、
米国のGDPに匹敵する=14兆㌦の危機対応が穴を埋めた。
民間の損失を国家が背負い、市場の標的は国債に、通貨に変わる。
しかし、国家はいったんは肩代わりするが、いずれはそれは国民に転嫁され、
低迷する長期不況の原因にもなる。
■92~08年に土地の時価総額は=約840兆円減ったが、
代わって国債などの政府債務が=約640兆円増えた。
不動産バブルを生んだ、気まぐれなマネーが国債消化を左右する。
これらが現実である。
かってピルグリム(Pilgrim)の価値観とは
「注意深く、実利的で、社会性を尊重し、富を自慢することを慎む」
であって、勤勉な生産(GDP)に基づくものであったはずだった。
それが71年のニクソンショック後、金兌換をはずれたマネーは、
地べたからはなれ、突然、容貌怪異な"Leviathanl"
(怪獣、語源は一説に「ねじれた」「渦を巻いた」という意味のヘブライ語)
となって世界を荒らしまわり始めた。
実際の生産(GDP)と金融資産とのかい離が、新たなバブルを呼び起こした。
凶行は真っ直ぐにいく曲がらない命を跳ねる人の命を(時速40~50)
製造業の非正規雇用を選んだ人の幸福度の方が、
他のパートの人よりも幸福度は低い。
だが、そのような雇用形態を選んでいる人の属性とは何であるのか。
(名前、年齢、性別、出身地、学歴、資産力も含む各家庭のステージ)
ある人たちはそれを選び続けないが、
その属性の人たちは往々にしてその非正規雇用の職業を転々とする。
基本属性では、年齢や学歴は幸福度とは有意な関係はなかったが、
男性の方が幸福度は低く、
未婚の人の方が幸福度が低いという結果が得られた。
サルなどのピラミッド型の集団では底辺に属するあぶれたオスザルなどは
食べ物、♀、居場所などで四六時中ストレスを感じ続けているとされる。
憲法上の権利、それが民主主義だ。
人間の自己保存が最重要の価値と見なされる自然権であり、
この自然権を追求することは自由でなければならない。
しかし、凶行はともに加害者も被害者も双方の自己保存を破壊した。
健全な民主主義を支える基盤は広範な中産階級の存在だった。
一億総中流社会を支えたのは法人企業社会である。
そこでは企業と労働者の運命共同体が構築され、
つまり終身雇用・年功序列と福祉共同体が存続された。
ところで、消費社会の進攻はいろいろな側面で社会の分断化を促し、
雇用においても個人は会社へのモラル(決定的重大な忠誠心)よりも
家計中心、個人中心のメンタルへと関心の比重が移った。
冷戦が終わりグローバル化が本格化すると、
企業も国際競争力が一層必要とされ、
ROEやROAや配当が重要視され、
また商品サイクルの短縮化とともに、
企業も必然的に雇用に対して冷淡にならざるを得なくなった。
緊密であったはずの整いが壊れた。
安定した安心の雇用の基盤はいたるところで壊れ始めたのである。
雇用の喪失は今ではグローバル社会の運命的、歴史的必然となった。
個人のリスクはそれぞれのその個人の属性とともに社会的にますます問われることになる。
そして、属性的社会的弱者は自分自身を叩くとともに、
社会をも叩く大きなリスクとなって現代を悲傷させ始めている。
今では弱者という特性が端的に浮かび上がってくる。
滲みでてくる錆のようにそれは社会に対するいろいろな方面でのアクセス困難を意味する。
文脈を理解することさえ困難になり、いたずらに個人を惑乱させ、
挙句に意味不明な社会的悲傷として現代に滲みでるのだ。
生存が必ずしも全的に保証されていないサバンナにおいてすら、
大かたはは方向を見失ったり、
あるいは個的に注意を怠ったりして集団を見失ってしまうと
次の瞬間には自らの生命を失ってしまうという重大な危機に至るのである。
一億総中流が健全な民主主義の基軸になっていたとするならば、
もはや年間所得が300万円未満の人口が=34%にも達するという現実は、
そのまま民主主義の溶解の過程なのかもしれない。
グローバルはある日、ある時突然に降りかかってくる。
そこでは個人の属性などというものは何の役にも立たないこともありうる。
企業は世界競争力の標準に常にさらされており、
固定費削減や、生産性の向上に努めることは必須の事柄であり、
慢性的な人余り、つまり、周辺労働に関する労働力はこれからも継続的なデフレ状態が続くのである。
加害者は42歳ということは、二十歳過ぎたころから
バブルがはじけ、もろに失われた日本の20年を過ごしてきたことになる。
グローバルに乗り切れなかった人たちをどうするか。
金融はあるところからないところにお金を回すことにあるなら、
労働も必要な所へ誘導できるような国家的な線引きされた制度が必要となる。
失業を吸収できる、国家が雇用を供給でき、失業をまんべんなく吸収できるシステム。
税金による再分配ではなく、
個人個人のの属性もあるが、属性にもかかわらず襲いかかってくるリスクを分配する方法、
それが「第2自衛隊システム」を提唱するゆえんである。
国が「第二自衛隊的組織」をつくり雇用主としての役割を果たすことだ。
(中前忠09,4/2日経)
職業訓練を行い医療や介護、農業といった人手不足部門に派遣すればよい。
財政支出を=20兆円増やしても→100万人の雇用は難しいが、
年収=200万円なら、2兆円で→100万人の雇用が可能になる。
これは次代を見据えた人的投資でもある。
意味ある社会保障とは雇用保障であり、
それによって働く者とサービスを受ける者の不安を同時に解消できる。
■増税して配る、のではなく社会資本整備に投資することで雇用を創出する。
特にアジアへの必要な供給力の強化。
何がアジアの人は欲しがっているか、それへの供給力の強化を
官民一体でスタートしなければならない。
人余りが続いている。
企業内でも、「左」の資産の見直しや入れ替えや、圧縮など、
また人材、スタッフなどの入れ替えや再配置など必死である。
国家が社会不安にさらされて、方向を見失っている個人を、
雇用者として迅速に全国に再配置する。
あぶれたオスザルなどは
食べ物、♀、居場所などで四六時中ストレスを感じ続けているとされる。
このうちの性に関しての保証はなかなか難しいが、
少なくとも食べ物と、居場所だけは確保できるはずだ。
しかも、バラマキではなく、何らかの労働の対価としての所得も保証される。
所得のある部分は納税もされるし、健康保険もそこから徴収される。
国家と完全に結びつきが出来てくるのである。
米国も失われた=10年に入った。
02年~09年、つまり一回の景気循環の成長率は、年平均=2%以下、
第2次世界大戦直後以来の低水準となっている。
「米国は繁栄し続けるのだから、株さえあれば老後も安心」・・・。
ところが70歳代のその夫婦の資産は株安と
派手な消費で想定以上にやせ細り、
底をつきかけている。
本来の株価は企業の生産(GDP)から生まれてくるはずだ。
美人投票や思惑的投機で実際よりかい離すれば、当然調整が入ることになる。
米国もピルグリムに戻る。
「大草原の小さな家」では家族全員が幸せに輝いていた。
日本のセイフティーネットも、軍隊ではなく、
しかし、軍隊的いい要素をふんだんに取り入れた学校の機能と、
就業の機能と、失業吸収の機能と、ボランティアの機能などを取り入りた、
全国規模の地産地消の、過疎や介護や放棄地などのお助けの集団にするのだ。
それは最低でも中学生から何年間は義務とする。
雪を見たこともない子どもたちは雪のある地域に、雪国の子どもたちは南の島へ、
といった様々な配置の仕方も考えられる。
目に触れ、手で触り、さまざまな人たちと出会うことで、
脳の中心ががーんと殴りつけられるようなショックが必要なのだ。
たくましく生きるには本能や情動で大脳辺縁系。
うまく生きるには適応行動として大脳皮質。
よく生きるには創造行為で大脳皮質の前頭葉。
特に決定的に言えることは様々なことでの身体性の欠如のことである。
決して将来において加害者などになったりしない、たくましく生きる、
つまり、ごく普通の身体性を涵養しなければならない。
倉石智證