10,5/3(月)晴れ

妻の実家山梨に回る前に、自分の出身地北信濃に出る。

恩師のお住いの間山の放たらかされた庭に咲く八重桜や、遅咲きの山桜、

関山慧玄の縁の地、中野の街の東に位置する東山界隈の名残りの桜など、

うらうらと照れる春の日に、恩師、妻、私で漫ろに村、街を横切り行けば・・・


合掌しこよなくを云ふ桜花古き階花散るを冷へ

下叢へ淡き光の射す処射干しゃが咲き続く森の中心なかど

かかと踏むきびすをかへす背伸びする明日の朝あしたは菜の花の頃

八重桜一人遊びや云ひよどむ糸曳く光り池のまにまに

人はみなひとり遊びす巾着の胸を開きて歌詠みをする

八重桜膨れてゆけばこよひこそ寝るに寝られず朝は朝まで

八重桜はもう今が限界かと、漫漫と、その花房は膨らみきっている。


篠ノ井に父、母の墓に参り、草をむしり、

墓に水を掛けまわし、花を手向け、線香をしゅす。


松本の手前豊科の辺りでは中央高速は山間から盆地に開け、

右前方には輝くばかりの北アルプスが眼に飛び込んでくる。

苗代や田に水打って雪の峰

水張って百姓一人見当たらず

豊科辺りから北アルプスの雪の峰峯が眩しく見える。

高速道路の両サイドは水を張った田圃があちこちに。


落葉松からまつの芽吹きを置いて甲斐の駒

甲斐駒ケ岳が見えてきた。


例によって小淵沢から中央高速を東京方面に下っていく。

右手には雪真っ白な甲斐駒ケ岳の峻嶺が聳え立ち、

その前方右には鳳凰三山がこれも雪をのせて連なっている。

運転しながら「ああ、オベリスクが見える」と妻の声が。

そして前方の遥かには、今年の雪多い富士山が、

五合目あたりまで雪の裾野を広げて浮かび上がった。

桜はまだ辛うじて道の左右に残り、

しかし、この一週間で新緑は一層濃い色に移り変わっている。

往きの下りではあたりはまだ八ヶ岳の方に“山笑う”の薄緑色であったが、

一気にその緑を濃くしていた。

長坂近くに下りて来ると急に薄暮が迫ってくる気配、

鳥雲に薄暮に帰る薄桜


妻の実家に着いた。

牡丹まさに咲き定まりぬ二、三片

大方はもうざっくりと地に咲き零れていたが。

地表は牡丹の花びらで明るんでいる。

その脇には青々と菖蒲が芽吹き始め、その緑色とは対照的であった。


10,5/4(火)晴れ

さて、今日からはお百姓である。

畑の全部に除草機をかけまわす。


彳亍てきちょくと椋(鳥)蚯蚓みみず追ふ柿若葉

柿畑である。

すぐに目ざとくムクドリが舞い降りてきた。

赤い嘴が忙しい。

そのムクドリの群れの中へカラスが舞い降りた。


生きるとは見境もなく前後無くただ目の前にある雑草を抜く

ものの道理は無いのである。

「さあ、ば様帰るよ」と軽トラのエンジンをかけても、

ば様は手カンナで目の前の細こまい生えはじめたばかりの草を“かじって”ゐる。

衝動的であり、すべての動作は本能に組み込まれているとしか思いようがない。

立ちふさがる雑草が目の前にあれば、

瞬間的に手が雑草に伸びてゐる。


鳥たちも淀みに浮ぶうたかたもざわめき立ちぬ春の彳亍てきちょく

雲雀が空に羽ばたいている。

昔、1711年ころ、朝鮮通信使一行がこの川を京に向って溯っていったものだ。

淀川は大阪の中心部の北側を流れている。

潮の干満があれば干潟が浮んだりする。

わんどに水が温み、大阪の人々の暮らしと川の間にある広大な芦原が急に青めいてきた。

葭はここ1週間で20㌢以上も成長する。

干潟には大和蜆が陽に黒く水に濡れて光り、プランクトンは大和蜆に食され、

水流はそれによってさらに浄化される。

わんどにも干潟にもカニがいれば、浅瀬には小魚、鯔の稚魚が群れをなしている。

コチ鳥や、様々なシギ類や、ダイサギは長い嘴で水中に器用に小魚を啄ばむ。

多くの渡り鳥がここで羽を休め、また南方や北国に飛び立っていく。

激しく羽ばたいていたオスの雲雀が繁殖をめぐって土手に急降下する。

小さい体躯ながら見事な鶏冠が逆立って風に靡く。

青々とした葦原は繁殖の場所でもあり、隠れ処ともなった。

春が来た。

土手に桜が見事につらなり、土手下に犬の散歩の人たちが見える。

もっと近づくと、蒲公英ナズナカラスノエンドウが賑やかに土手のあちこちに芽を出し実を結び、

ムクヒワらが草叢に草花の実を啄ばむために彳亍している。

すべてが隙間のない動かしがたい経済がゆっくりと、そして激しく旋回している。

あらゆるものごとの中に「なぜ」という事はないのだ。

まさに“慧玄の這裡しゃりに生死なし”なのであった。(10,5/8NHK)

■5月のダイサギの眼の先は青緑色に彩られてそれはきれいなものであった。

関山慧玄えげんに「どうしたら悟りは得られるのか」と尋ねれば、

「慧玄の這裡に生死なし」

とこたえられたそうな。

手も、足も、普通の生活をするのにとどまらない。

死を悟られた慧玄さんは

「ちょいと出かけるよ」

といって、「風水泉」という井戸のかたわらで弟子の授翁に遺:偈し、

そのまま立ったまま旅立たれたさうな――

何しろえらい坊様なのだ。


「這裡」

這裡發現愛は日本の題名では『君につづく道』

《「這」は「此」の意》このうち。この間(かん)。

「むかっ腹をたててぷんぷんするのでも這裡の消息は会得できる」〈漱石・吾輩は猫である〉


孫が山梨県庁に勤めた。

初めての給料で「じッちゃん、なに欲しい」と聞いたら、

じ様は「ハーモニカ」とこたえた。

じいさんの大人の玩具ハーモニカ孫に貰へばまた今宵かも

90のじい様の吹くハーモニカ夕暮れ時は少し哀しい

このまま静かに老いていくに違いない。

そして最後の日に残された者たちも少しだけ涙を流すことになるだろう。

薄桃色に色づいた頬に皺がたるみ、

首に深く落とした自身の顎はそのたるみの中に消えている。

「ここはお国の何百里、離れて遠き満州の、

赤い夕日に照らされて、友は野末の石の下」

眼を閉じたじ様の脳裏に去来するものは、

あの青春の重大事、太平洋戦争であろう。

最初満州の地に、それから、武漢での戦いではかろうじて生き残った。

戦友を荼毘にふした。

うつらとしては様々なことが頭の中に去来する。

もちろん悲しかったことばかりではない。

だがそれらも古びた金平糖のようにはかなくもろく、

そして甘く崩れ呆けていくものだ。


藤房のたまゆら揺れる紫の楽の音聞こゆ蜜蜂の音の

藤の花房の咲き揺れる棚下は芳香に満ち、

蜜蜂やら熊蜂やらの羽音でしばし極楽のような様相を呈している。

風が吹き渡るたびに奏楽が奏でられるかのようでもあった。


毎日が子供の日だねじいさんはデッキに憩みついうつらする

五月の連休は続く。

でも、じ様にしてみればこのゴールデンウィークは毎日が子どもの日のごときであった。

スーパーオギノから柏餅を買って帰った。


じいさんの深夜劇場テレビからラジオに移る民謡を聴く

夕食も済み、デッキチェアーでうつらうつらが始まる。

9時までが限界である。

あとは寝室のベッドに移り、ラジオをボリュームを大きめにしてずっと聴いている。

本人は眠ってしまうのだが、ば様が消そうとすると途端に目が覚めて、

まだ聞いていると云うのださうだ。

ば様にはなかなかにたまったもんじゃないのだが、深い愛だねへ・・・。


10,5/5(水)晴れ

さやさやと絹さやさやと蔓の夢

こんなことが一番の幸せということだらう。

妻は屋敷の畑に降りて絹さやを摘む。

笊一杯に新鮮な青々としたやはらかい絹さやを摘んで、

やや誇らしげに松の芽掻きをしている私のもとに見せに来た。

絹さやの花は兎の眼のやうに紫がかった赤青色で、

瞳のやうにまぁるくなって咲いている。

蔓は細く細く蟷螂の糸のやうにあやしげで心もとなく、

対を為す葉の合間合間に伸びてゐる。

今晩の食卓は絹さやのサラダを青々といただく。


松芽掻き高きにあれば鳥声も

耳を澄ませばおびただしい声に満ちている。

脚立に登って松の芽掻きをする。

スズメはもちろんのこと、椋鳥、四十雀の「ピース、ピース」など、

燕は自在に畑の向こうからひょいと現れて、

なにか声を発しながら土蔵を越えて村の狭い通りをすいと飛び去っていく。

遊んでいるのかあれは、

また戻って来るようで、何度もあきもせず土蔵を畑地の方からひょいと越えて、

狭い村の通路をまた去りやって行く。

葡萄に消毒をするSSのダイナモの音も畑地の向かうから聞こえてきた。

消毒の音に関しては、屹度、じ様の気分をせわしなくさせることだらうよ。


智笑