10,3/22(月)晴れ

カルザイの中国訪問いちにいさん国のもてなし下にも置かず

直接投資へのの優遇策を提示。

中国は投資拡大、首脳合意。

資源やインフラ整備。

02年、06年、08年に続く4回目。

胡錦濤さん、温家宝さん、それからNO3など要人と次々と会ったさうな。

欧米がアフガンの治安対策に手を焼くなか、中国が経済権益の拡大に布石を打った格好である。

中国の李肇星外相は初日の1/31日、

アフガン支援ために8000万元(約11億6000万円)を今年拠出すると表明。

米国3万人増派、駐留規模=10万人に、

ドイツ約4500人に500人増派、

英国は500人増派で=9500人に、

フランス=3750人駐留、

トルコ=1755人駐留、

日本=5年間で=50億㌦支援

⇒駐留部隊は計=14万人を突破する見通しに。

■あすアフガン支援国際会議(1/28日ロンドン)


09年の中国とアフガンの貿易額は前年比=39%=2億1474㌦

カルザイ氏が大統領に就任し本格復興に乗り出した02年と比べて

=10倍以上になった。


なぜ、そこまで来ていて日本を通り越すのだ。

カルザイになんて、嫌いだ(智笑)


(海兵隊)顔を上げろ、分かったか、Yes or no で答えろ。

大声で始めろ。

サンジェゴから新兵訓練が始まる。Kill kill kill――。

軍隊に入る希望者が増えている(不況)。

医療、年金、定期昇給。

200万円=給料のほか医療保険や年金が保障される。

イラク帰りの若者の映像が映し出された。

上半身裸の若者はぐるりと向いて背中を見せる。

背中にはイラクで命を落とした同僚の名前がびっしり刺青されていた。

「彼らが永遠に生きる方法を考え入れ墨を背中に彫り付けました」

背中が青く汗ばんでいる。

しかし、戦闘の後遺症のためか今では4つの命令のうち1つしか覚えられない。

Hate it。間違っている・・・と若者は呟く。

1973年、米国の徴兵制は廃止された。

「平和には責任が必要だ」とオバマ大統領はプラハで演説した。

「Someone kill and someone die」と述べた。

1973年に徴兵制は廃止され、徴兵制が廃止されて以来、

米軍はおもとしてマイノリティーや低所得者層出身の志願兵によって構成されてきた。

■鳩山由紀夫首相は22日、防衛大学校(神奈川県横須賀市)卒業式で、冒頭、

「私が言いたいことは自らが活躍することになる、

この世界のことを正しく知れということだ」

と幹部候補生に切り出した首相。

日本を取り巻く安全保障環境を指摘し

「日本は日米同盟を基軸として自らの防衛に備えてきた。

その方針は鳩山内閣でも揺るぎなく継続する」とした。

平成21年度の卒業生は364人(外国人留学生除く)で、

長引く景気低迷を反映し、民間企業への就職組など任官拒否は17人にとどまった。


オバマさんも若い兵士たちもみんなつらさに耐えがたくなっている。

脳天気な我が国の鳩山首相、

カルザイのぬけぬけと、

胡錦濤さんたちのリアリズムを是非見習わなければならない。

「この世界のことを正しく知れ」とはそのようなことで、

どのような世界秩序のなかで、どのような行動を選択するか、

国家のリーダーこそが絶えず選択し続けなければならないことである。


10,3/23(火)曇り

関越や連翹れんぎょう右に右に見て

咲き初めた連翹が淡く咲き雪崩れていた。

湯沢から帰京、練馬インター直前、右側にしばらくずっと。


咲かぬ春すがれて相撲稀勢の里

琴欧州関に負けた。

“しよっぱい相撲”と思わず自分で・・・。(3/20日)


津軽では雪の室から林檎出て

雪の中でさらに甘く、みずみずしく。


窓に霜円く残りて春兆す

そういへば、湯沢のマンションの窓は朝方――。


おろがみぬ大山詣でうちそろひ春だ春だと神もさわぎぬ

3/28日、仲間たちと大山詣で。


出て行けもあれば些遺憾(残念)むつかしき赤い国からgoogle(谷音)撤退

「人権」「民主主義」である。表現の自由である。

「邪悪にならないDon't be evil 」とする創業時からの理念を守った。

台湾武器輸出、ダライ・ラマとの面会、そして、今回のグーグルの問題。

米中ともに政治的な問題にしないとはしているが。

「情報はわれわれの主要な輸出品だ」ブリン氏(共同創業者)。

13億(中国検閲VS8億検索という構図。


01,3/24(水)

昔なら文人閑適桃の花

東秩父に桃の花が咲いた。大きな花群である。

花桃の郷・・・埼玉県秩父郡東秩父村大内沢上ノ貝戸センター周辺

「春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子おとめ」(大伴家持 万葉集)


イルカから鯨に移るクジラからマグロに移るなにもかもミジンコのこと忘れないでよ

「人は自分の魂を全うしなければいけない」と云う答えを豚に当てはめた(杉田徹)。

イルカは自分の魂を全うしなければならない、

クジラも同様であると同じようにミジンコもプランクトンも自分の魂を全うしなければならない。

人間は食物連鎖の頂上にいて、牛、豚の屠殺に関してはクジラの比ではないことは確かだ。

■オーストラリアにおけるラム(子羊)屠殺数は前季比150万頭(8%)多い=2,020万頭に。

■日本のクジラの捕獲数=1004頭


「鯨」ついでに――

明治11(1878)年、12/24日、

太地浦沖にあらわれた巨鯨に慶長以来の伝統を誇る鯨方くじらかた=300人の男たちが

銛を手にして立ち向かい「背美流れ」という大遭難を起こした。

300坪の麻網を、鯨の体に銛で縫いつける。

断末魔の鯨はわが体長にひとしい深さまで沈んでは浮き上がる。

最後に刺水夫さしこと呼ばれる若者が、鯨とともに二十数㍍の海中に沈み、

刃渡り5尺7寸(約171㌢)の鼻切り庖丁を、頭部に突き刺す。

陸では飢えた家族たちが待っている。

(津本陽09,12/27「私の履歴書」)


“whale”

―真珠湾攻撃―

ハワイは現地時間12月7日日曜日の朝だった。

7時10分(日本時間午前2時40分)に、

アメリカ海軍の駆逐艦DD-139「ワード(ウォード)」がアメリカ領海内において国籍不明の潜水艦を発見し、

砲撃によりこれを撃沈した(ワード号事件)。

これは日本軍の特殊潜航艇であった。

ワード号は直後に「未識別の潜水艦」を撃沈した旨を

「これは演習などではない」

と何度となく力強く太平洋艦隊司令部へ打電したが

“whale”と片付けられた。

■2002年8月28日、61年ぶりに400㍍の海底で発見される。

魚雷は発射されていた。

はたして戦艦アリゾナを命中、轟沈したのか。

上田かみた横山正治艇は3分割され、

ワイヤーやチェーンが巻かれたままにマリンスノウーに白くうずくまっている。

なぜゴミのように扱われているのか。

片や日本では5隻のうち4隻の乗組員

拿捕された酒巻艇の捕虜になった酒巻以外は9軍神

日本の精華として称えられた。

東條英機がプロパガンダし、横山正治は死後2階級特進する。

しかし、両親親族は空襲で亡くなり、今は姪御さんが月に2回の墓参りをするだけとなった。

■アリゾナは=1,177名の将兵と共に大破沈没した。

戦艦「オクラホマ」にも攻撃が集中した。

オクラホマは転覆沈没し将兵=415名が死亡または行方不明となった。

「マリンスノウ降り逝く先にアリゾナも今また海に水浸みずく屍の」(倉石智證)

関係者は日米ともに90歳前後の老人となった。


春雨に濡れて行けない亀ちゃんの郵政独断看過できない

2日続けて都会では春の雨になった。

そのうへ消費税までチャラにしようだなんて。

原口総務大臣のことを世間では最近“小亀”と呼んでいるさうな・・・


10,3/25(木)小雨

ループせり地下の土竜もぐらの地に出せる首都高新線大深度地下

何千トンというシールドマシンの活躍。

JR東海のリニア新幹線も東京の地下40㍍より深いところを走ることになるらしい。

首都高中央環状線の渋谷―新宿間が28日開通する。


国守るはずの大臣“路チュウ”とか我が身の下しもの不徳あらはに

国家公安委員長中井大臣、路上接吻写真。

拉致担当も兼ねるとか。

30歳年下の女性には宿舎のキーも渡していたとか。

「路駐」路上駐車取締り側。

下々の民は怒っています。


春の雨軒うつ音のやさしさにつひ水仙の花をいぢ繰る


桃色や おつむばかりか おむつまで(友人・愚亭)

桃の花目白に与する目白呆け

に対する返歌。


根開きや駆け出してみる待ちきれず

(白樺青空雲ぷかり)

山間地の映像が映し出される。

春はもう少しで。


おしらさま飛び石でゆく花見影

(まだ雨が残っている)

花はぽちぽちと咲いてきたが、まだまだ寒いなぁ。


春雨や昔語りを背中せなに聞き

英毅がキーを取りに来る。

春雨を背中越しに聞きながら、昔語りをカウンターでする。

マヤッペや洋子の話が出てきたが、

今では思い出したが、奈美ヘイの名前が出てこなかった。

レビィンの良子の名前も不意に出てきたので懐かしい思いがした。

混浴したり、悪さをしたり、みんな遠い遠い昔の話だ。

英毅は焼き豚足を食べた。

甘辛いにんにく味噌をベースにしたタレをつけて、

添え物の春のキャベツもむしゃむしゃ食べた。

うまいなぁ、と云って、夜中近くになって帰っていった。

子供たちとかみさんは明日になって帰ってくる。

これから自宅近くの巣鴨に戻って、もう一軒寄ってハネを伸ばすんだと、

アンブレラを広げ、薄い春雨のなかを帰っていった。