雄ちゃんへ
朝青龍はほとぼりもまだ最中だっちゅに、ハワイにゐる。
日本列島はいよいよ冷へまさっている。
春は名のみの風の寒さや・・・
グラフでも何でもいいことはみんな上向きになっている。
土の中は暗いし見えないことは不安なのだ。
その点お空はどこまでも見晴らしがいい。
意思決定はどう為されるべきなのか。
成長戦略ならいくらでも話せる。
しかし、日々は時々刻々そうじゃないものに接して、
あがらいやうもなく過ぎ去ってしまっている。
つまらないことだが、大雑把な家庭の方向は決められたとしても、
息子の反発に遇い、娘の嫁入りの心配は尽きず、
妻の日常性にさへも耐へられなくなる時だってないわけではない。
そんななかで家長は一体何を意思決定していかなければならないのか。
その一つは明らかに暮らし向きのことを考えなければならないだろう。
そしてもうひとつは、善きことへの意思決定である。
暗い方向へと入っていくわけにはいかない、
日々の生活のなかで秩序を整えなければならない。
さて細まい身ぬちの話しから一気にお空に飛び上がったお話に移る。
(小泉英明・日立製作所フェロー09,12/25日経)
ヴァチカンには長い階段がある。
昔から、ローマ法王に謁見するには、皇帝といえども、
この階段を敬虔な心で一歩一歩上がらねばならなかった。
階段の要所には、ミケランジェロがデザインした衣装の近衛兵が、輝く槍をもって立つ。
果てし無く天上へ続くように思われた階段の最後に、突然、
光りに満ちた謁見の間が広がった。
フレスコ画が鮮やかな天上の下、しばしお待ちすると、
純白のお姿のヨハネ・パウロ2世が静にお出ましになった。
「科学技術を通じて安寧福祉のお役に立ちたい」と申し上げると、
日本語で「アリガトウゴザイマス」とおっしゃり、
ふくよかな暖かい手を差し伸べてくださった。
反対に、狭い入り口が地底へ通じる秘密階段が、ロシアのサマーラにある。
当時の技術の粋を極めたシェルターで、折り返しながら奈落へと降りてゆく。
地の底に行き着くと、横穴となり、スターリンが前線の指揮をとった執務室がある。
緑ガラスの不思議なスタンドと、古い電話機が机上にあった。
勧めに応じてスターリンの椅子に座り、重い受話器をとってみた。
この電話からの指令一つで、幾多の命が失われることになったのだろう。
隣には、ゆったりと会議できる地下広間があって、
大きな世界地図を背にして作戦会議が開かれた跡があった。
不思議と天国は天上にあり、地獄は地底だ。
最初に踏み出す一歩が大地に平行だと思っていても、
それがやがて上か下かに向いたものだと気づくのは、
一歩踏み出してしまった後である。
ささやかなことでもふと迷ったら、
一歩踏み出す前にそれが上なのか下なのか考えてみる。
なんでこんな記事を引用したかというと、
昨日NHKでまたアイヌ民族の悲哀を物語る番組を見たからである。
本州の論理とは資本主義の論理である。
バブルの崩壊も明らかになって1994,12月、
村山内閣は住専7社の不良債権処理(日本社会に巨額の土地不良債権)のため
6850億円の財政資金投入を決定したが、
国民の猛反発にあい、未処理先送りのまま、後、政権を投げ出した。
そしてこの同じ年、平成7(1995),8月に
苫小牧東部開発計画を国土交通省北海道局が策定。
北海道総合開発計画において重要な施策として位置づけられたのだった。
村山内閣関係大臣を洗っておく。
(webより)
大蔵大臣/武村正義 ( 衆、 新党さきがけ )、
通商産業大臣/橋本龍太郎 ( 衆、 自由民主党、 小渕派 )、
運輸大臣/亀井静香 ( 衆、 自由民主党 三塚派)、
建設大臣/野坂浩賢 ( 衆、 日本社会党 )、
北海道開発庁長官/小里貞利 ( 衆、 自由民主党 宮澤派 )
小沢潔 ( 衆、 自由民主党 宮澤派 )【1995年1月20日 ‐ 】、
経済企画庁長官/高村正彦 ( 衆、 自由民主党 旧河本派)、
環境庁長官/桜井新 ( 衆、自由民主党 三塚派 )
宮下創平 ( 衆、 自由民主党 三塚派 )【1994年8月14日 ‐ 】
結論を先に云うとこのプロジェクトは見事に破たんした。
それも大変な自然災害をもたらしつつである。
工業団地の東側の方に日高地方が広がり
扇状地は緩やかに日高山脈へと攻めあがっていく。
山脈より川が流れ出で、川の名は沙流さる川と云ふ。
鮭ばかりかシシャモまで上がってくるそれはそれは豊かな恵みの川だった。
そしてアイヌの人たちはこの川に寄添うやうに、
山には深く祈りながら分相応な暮らしをいとなんでいた。
カムイユカラはアイヌの神の謡うたいだ。
文字は持たず、言葉のみの緩やかな狩猟採取、
神様と共に暮らす自給自足の穏やかで平和な経済があった。
東部工業団地を立ち上げるためには膨大な安定した水が必要になる。
目をつけられたのが沙流川だった。
ダムは3箇所つくられる計画だったが、先ず一番下流の二風谷にぶだにダムの建設が決まった。
「チ・ノミ・シリ」ci-nomi-sir(我ら・祈る・山)に
早速大型クレーンの基地が造られた。
ダンプが走り、山も川もたちまち姿を変えていく。
ダムがつくられても川はニゴルヨウナコトはないよ、
泥砂のための堰堤を造るからダムには100年、砂が溜まる心配はないよ、
治水に関してはもちろん大丈夫になる、
ダムを中心にして地域は栄えることになる・・・。
だが、5年の間に4回も下流域は洪水に荒らされることになった。
おびただしい流木の堆積に嵐のなか、不気味にサイレンが鳴り響く。
ダムが決壊する恐れがある。放流します――。
濁った濁流は下流の民家を襲い、家の中は水浸しになった。
なぜこんなにおびただしい流木がダムを埋め尽くしたのか。
経済が明治を通じて静かに、しかし激しく北海道の原野を浸してくるにしたがって、
神話や自足の経済はたちまち絶滅の危機へと追いやられていった。
「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、
村を破らず、人を殺さざるべし.」
と云ったのは足尾銅山の田中正造だった。
便益、便利な経済が伸長すればするほど
山は人の手を離れて荒れに荒れていくことになった。
1876年にはアイヌ人による鹿の狩猟が禁じられ、
しばらくするとアイヌ人が入り合いにしていた山々も
明治政府はすべて国有林として国のものにしてしまった。
1899年、旧「北海道アイヌ土人法」が制定され、
古いアイヌの伝統や風習が禁じられ、
創氏改名、内地の日本語を習得するように強制された。
劣悪な土地を払い下げられ、開墾や農作をするように強要される。
狩猟や物々交換で自足していた経済が追いやれれるに従って、
人々は次第に山から遠ざかっていく。
今では自明の事柄ではあるが川は森によってつくられるのだ。
シシャモは柳葉魚とアイヌ語では示される。
そうこうしているうちに完成後10年足らずで
ダムが半ば砂に埋もれてしまうという思わぬ事態にも立ち至った。
北海道開発局の住民説明用の当初パンフレットには
完成したダムに漫漫と青々とした水が湛えられ、
取り囲む山は青々と茂り、空も青々としていた。
だが実際は、水はいつも土色に濁り、
雨が降るとおそろしいほどの流木が流れ込み、
ダムはあっという間に流砂に埋まるなど、
まるで山のカムイの怒りに触れたかのように次から次へと厄災がやって来る。
苫東の工業立地計画ははっきりと破綻した。
国は「治水のために必要」と建設を推し進めてきたが、
1997年、二風谷ダムはすでに完成していたが、
ようやく札幌地裁はアイヌを初めて「先住民族」として認め、
アイヌの文化や伝統に何の考慮も払わなかった二風谷ダムの建設を
「違法」としたのである。
「本州人は間違っているよ」
老いたる父はそう云って死んでいった。
アイヌでは死者のためのお墓はつくらない。
亡くなった父のために森に入り極上の作法に則った木を伐り出して来た。
トーテムを彫り出しつくり上げるが、名前など一切は刻んだりしなかった。
魂は天からいただいて天にかへるに過ぎない。
アイヌ民族は周りの木や草や動物・川から自分たちの生活の全てをいただいて生きていた。
すべての存在は自然のなかの一部に過ぎない。
トーテムを立て、身内や親族の人たちが賑やかにふんだんにお酒を天辺から降り注ぐ。
「山を荒らさず、川を破らず」である。
父・貝澤正さんの意志を引き継いだ子息の貝澤耕一さんは沙流川流域に植林を始めた。
丘の上に上って立つと遠く川面がきらめいている。
今では全国からボランティアも馳せ参じて、
植林された木はもう数万本になるという。
さて、現実の日本国の問題に立ち返って――。
はたしてその一歩は天国への階段なのか、地獄への一歩なのか・・・。
二風谷ダムの問題に関しては一つの譬えに過ぎないが、
当時かかわった大臣は全員、歴史の法廷に出てもらわなければならない。
進行しつつあるたった一個の問題に対しても
為政者が当事者感覚に欠けていたとしたら、
それは由々しき重大な問題だからである。
「綸言汗のごとし」でリーダーたる人の言説は、
一度口からほとばしり出たらもう元に戻ることはないが、
「所得倍増」は、「列島改造」は、「国鉄民営化」は、
鄧小平の「改革解放」は、「グラスノチス・ペレストロイカ」は・・・「郵政民営化」は、――
私見を云わせていただければ間違ってはいなかったと思う。
少なくともグラフで云へば天を指した。
ところで「友愛」である。
はてさてますます今の日本と云へば、
第二次世界大戦ではないが、
あらかじめ負け戦であるにもかかわらず、
それに思い切り突っ込んでいく姿に似ているような気がしてならないのだ。
政治主導といっても結局素人の集まりであることが分かってきた。
云っとくけれど池田勇人は官僚である。
それも官僚トップの大蔵事務次官が最終ポストである。
その後大蔵省を退官し、
第3次吉田内閣の大蔵大臣に抜擢されたことは夙に有名な話である。
民主党とはなんだ。
つまるところ「反市場」「反企業」「反グローバル」といったところであろう。
池田さんは下村治というブレーンを抱えた。
民主党はようやく形が定まりつつあった内閣諮問会議をなくした。
考えてみたら官僚は膨大なシンクタンク自身でもある。
市場とはレバレッジのことで、分業や組織とはレバレッジそのもののことである。
経済的意味を使わない組織はありえない。
経済的意味を伴わない組織は杜撰、非効率であるばかりか最終的には機能しなくなる。
市場の根本とは先ず倫理であり、文字通り「信」なくば立たず、である。
経済が分からず、アクセルとブレーキを両方同時に踏み込むようなことは止めてもらいたい。
国民の生活・幸せは経済に由来する。
ここまで考えると家長も、地方のそれぞれの首長も、国家の首長も同じだ。
総理には経営者に近いお仕事をしてもらいたいものである。
「付き」はどっちに出ている。
むろん上にである。
智笑