社会に出てキャリアを積んだ女性たちはかっての「OL」“オフィス・レディ”とは違う、
明らかに自信に満ち、一線を画していた。
自分たちのお財布をもち、身に付けるものもバッグも、
住まいにおいても激しく自己主張する。
現代の天岩戸、ジュリアナ東京(1991年5月31日 - 1994年8月31日)が東京芝浦にオープン、
派手な衣装のオネエチャンたちが連日連夜お立ち台でパフォーマンス、
取り囲む男子も入り交じって盛り上がった。
いま考えると、想像するにあれらの金ぴかはバブルがはじけたあとの夢のまた夢で、
じつに最後の湿った打ち上げ花火に似ていた。
あれは宴のあとの最後ッ屁、だったのか。
93年には「新」と名がつくものがまたぞろと出てきた。
「日本新党」「新生党」「新党さきがけ」・・・。
舞台(マスメディアとTV文化人など)があり、
民衆は舞台から排除されている。
発話、身振り(スペクタクル、パフォーマンス)などが大衆に喚起されるところとなり、
大衆は議論するのではなく議論を消費する
「凡庸な多数者の支配」となって公共性を構築する。
選挙が行われる。
われわれは熱狂的になって新党を選んだ。
55年体制に別れを告げ、細川連立政権が立ち上がった。
しかし、ふたを開けてみると、
政治談議、政治改革ばかりでトータルなバブルの後遺症の解決と
世界秩序のなかでの成長に関する経済は何ひとつ語られなかった。
バランスシート不況が日本列島すべてを覆いつくしていたにもかかわらずだ。
当局はバブルを語ることはなかった。
ただ、名誉のために付け加えておくが、宮澤喜一首相だけはこのことに気がつき、
ひどい危機的なバランスシート不況に手を打たなければと身構えたが、
経団連の平岩外四さんあたりに「そんなわけが――」と一蹴されるに及んで、
その偏差値的勇気はあっという間に腰砕けになってしまったようだった。
冷戦が終了した。
世界秩序はその中でどんな風に変わっていくのか、
そんな論文(ビジョン)の一つすらも見当たらなかった。
長い暗いトンネルに日本は入っていく。
湾岸戦争で1兆円(海部内閣1991年)、
PKO法通過(宮澤内閣1992年)、
小選挙区制(細川内閣1993年)、
コメのミニマムアクセス(細川内閣1994年)、
ロックバイターが岩を喰い、ファルコンが空を飛ぶ前、
オームがナウシカを黄金の草原に捧げ上げるまへ、
我々はまだ青春へ突っ走っていた。
人々から生きるエネルギーを奪い、減殺していったものは何か。
「ネバーエンディングストーリー」ではロックバイターは善者で
キャラクターもそういう表情になっている。
しかし、4歳になった私の息子は、
大声を出しアトレーユに話しかけ、岩を大きな音で食べるバイターを見て、
こちらも大声で泣き出した。
その息子は27歳になり、現在まだ青春の真っ盛りであるはずなのだが・・・。
1982年生まれの息子たちにとって所与のものとは
バブル崩壊後の実は重苦しい失われた20年くらいしかない。
「わたしをスキーに連れてって」(1987年)よりずっと前、
中央高速道路がまだ大月までしか開通してなかったころ、
われわれは夜中、車を列に連ねて白馬八方スキー場を目指した。
大町あたりでヘッドライトの中に白い雪が混じってくる。
わくわくしたものだった。
タイヤにチェーンを掛ける。
鉄製の亀の子チェーンである。
誰の車が1番になるか、競争したものである。
そして、装着に手間取っている車に集まってはひやかしたものだった。
もちろんすぐに手伝ってあげることになるのだが――。
ゲレンデに着くと、明け方まで数時間、車のなかで仮眠することになる。
山は白金である。
7時ころまでにロープウェーの駅に並んでチケットだけでも買っておかないと、
まさか、9時ころなどと油断していると、
ぴょんぴょん平(菟平)に着くのがお昼近くになってしまう。
きっちり滑ったものだった。
さて、しかもである。
それで日帰りしたのだった。
渋滞があればすぐにわき道に入り込み、
気がつけばなんとか茅野あたりに出ていたりする。
全きの青春だった。
2008年のコンビニ全体の売上高は7兆8千億円を超え(7兆8566億円)、
デパートの売上高(7兆3813億円)を抜いた。
ちなみに、スーパー=13兆2753億円である。
そして、さらにここに楽天をはじめネット通販が人々の生活の中に入ってきた。
2008年度の通信販売業界全体の売上高は推定4兆1400億円、
コンビニの売り上げを超えるのはもう時間の問題とされる。
コンビニに関しては日本ではセブンイレブン1号店のオープンが1974年だから、
その成長率のスピードはもって知るべし、である。
マイクロソフト・ウィンドウズ95の発売が1995年であるから
ネット社会の伸長はさらに眼をみはるものがある。
本「もの」に向き合う。
携わった人や人々が浮んでくる。
時間や歴史や祈りさへも浮かび上がってくる。
コンビニとは相対の販売ではない。
いわゆる商品の回転率の問題である。
在庫と機会費用に関して膨大なデーターがPOS(販売時点情報管理 )管理され、
配送され、陳列され、したがって四六時中人もモノも管理支配されるということになる。
人はその段階でヒトとして取り扱われるようになった。
「開いててよかった」と来店するお客様も数値としてのモノに近くなった。
コンビニがもたらしたものは「低価格」と「時間」と「栄養」である。
今ある自分は「運命」か「自由意志」か「父親の影響」か・・・
僕を創るすべての要素の一部・・・
低価格は徹底した効率化のたまものである。
それは「開いててよかった」の重要な要素の一つであろう。
コンビニエント、便利、便益はいいことである。
時間は24時間である。
夜中でも店内は煌々と明かりが点いている。
しかし、時間は家族の間ですら、ばらばらになっていく。
まちまちな、ちぐはぐな、それぞれの好き勝手な時間が、
家族や家庭に持ち込まれた。
カップラーメンとおにぎりがあればいい・・・
腹いっぱいになればいいんだ・・・。
コンビニ弁当はまだ一世を風靡し、
母親の出るまくは少なくなった。
偏った栄養はジャンクフードに近い。
1980年(昭和55年)春、世界初の携帯型液晶ゲームマシン「ゲーム&ウォッチ」発売。
任天堂は、新たな「エレクトロニクスエンターテインメント」への模索と探求を続けた。
1983年に任天堂から登場した 「ファミリーコンピュータ」 から我が国の、
いわゆる家庭用ゲーム機の歴史が始まりになる。
1989年、液晶ディスプレイゲーム機「ゲームボーイ」発売。
1996年、ゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター 赤/緑』発売。
再び、(10,1/18日経)によれば、
「ゲーム機やパソコン、携帯電話でゲームをする?」のアンケートでは、
ほぼ毎日する=24%、
週に数回する=21%、週に一回程度する=11%・・・、
全くしない=28%、となっている。
夕刻地下鉄に乗る。半数以上の人が携帯を開いている。
もはやあやしい国のあやしい風景だ。
時間泥棒――、
まぎれもなく人々の頭から脳を深く使って考えるという時間を奪っている。
見る、感じる、反射神経、見る、感じる、反射神経――。
大脳辺縁系ではなく次第に爬虫類脳に近づいていく。
そして人々がデジタルに細分化され、モノ化され、
数値や記号に置き換えられ始めるに従って、
ますますお互いはたよりなく遠ざかり、
頼りになるのはマネーとばかりと拝金主義が蔓延、
消費があたかも新しき神のやうに立ち上がってくる。
人の情緒や認知、判断といったものは情動と呼ばれ、
脳の生命コントロールセンター・視床には情動を絶えず発信し続ける扁桃体が接している。
えさ(商品や効用)が対象化され個人個人はそれらとの位置関係をさぐりつつ、
道具(マネーや情報)を使い自分のものにすることで満足する。
経済とは突き詰めるところ、“欲することであり、満足する”ことである。
扁桃体には経験的実際がその都度蓄積されてゆく。
一方、中脳の黒質のドーパミン神経でつくられて線条体へ運ばれるドーパミンは、
直接運動(パーキンソン病)や、
さらに「利回り」(報酬に関する事象)に関係するとされる。
私たちが生きる、日常を過ごすには必ず意味(動機が)あって、
ドーパミンはそのような学習の強化因子として働いている。
情動によって神経細胞が新しく作られていく。
それは社会という全体が一つの脳のようなものであるとするならば、
個人の情動が神経細胞として社会に作り出されてゆき、
社会的情動となって社会全体に振幅していくということになるということだろうか。
コンビニ、ネット社会は人々の情動にどのような影響を及ぼしていったのか。