10,1/30(土)晴れ

何ごとも手とり足とりこの国はてきめんの今忘るゝ国に

政府は29日、少子化対策大綱「子ども・子育てビジョン」で、

「子ども家庭省」の設立を検討すると明記した。

だんだんと政治が学級会政治になってきた。

哲学とか深い論理を感じない。

財源は国と地方の合計で5年後に=約7000億円以上の費用が必要になるという。

「幼保」でも「待機」でも「放課後児童」でもなんでもハコモノはだめだ。

一度舐めて二度、三度美味しい、ではないけれど、

雇用を完全に生み出せる乗数効果が期待できるビジョンが必要だ。

「配給」と「分配」と「平等」の旧社会主義国家はどうなったか・・・


リコールの声聞くトヨタあらかたに小鳩民主にリコールはなし

トヨタはついに世界で=700万台を越えるリコールに・・・


「摩訶不思議」

摩訶不思議官房長官首相補佐辺野古のことで意見違ふも

「法律的には可能だ」(平野官房長官)。


摩訶不思議米中ハイチPKO仲よきことは美しきかな

米国は台湾に武器売却決定。PAC3も含む総額=5800億円。

オバマさんも米国の軍需産業の力には勝てないということか。

売るものも今のアメリカにはないし、

せめてハイチで中国と仲良くPKOを。


摩訶不思議アフガン支援中国のほどなく日本50億㌦なり

社会資本主義国の中国は世界のいたるところで資本主義の原則、

「レバレッジ」をかけている。

いわゆる「費用対効果」。

少ない元手でどのくらいの効果が得られるか、である。

鳩山政権も少しはみならったほうがいい。


摩訶不思議百合は純潔強いられて散るに散られず白きままなり

百合は純潔だ、と考えたのは人間の我儘だ。


居酒屋は呑むとこなのに摩訶不思議車突っ込むもう酔ってゐる

一人死亡、一人意識不明に。他怪我人も出た。

横浜で、基準値の=5倍を超える酒気。


摩訶不思議神在りしこと天の国ペルーマチュピチュ豪雨決壊

旅行者=4000人はなんとか搬送クスコに全員救出された。


摩訶不思議穴が一つに棹五つ人の命にハルシオン咲く

鳥取不審死、催眠導入剤ハルシオン。

どうも花の名前に近いなぁ。

ゴミ置き場と化した自宅アパート。

心が崩壊している。


オルガンやマサカリを云ふ花の里

ふと、浮ぶままに、そのままに。


李白

余に問う 何の意ぞ碧山に棲むと

笑って答えず 心自ずから閑なり

桃花流水窅然ようぜんとして去り

別に天地の人間に非ざるあり

「窅」くぼんだ目。窅然は奥深く遠い、遠くぼんやりと・・・。

似た漢字の「窈窕」――

窈窕ようちょうは婦人の心やふるまいが、しとやかでおくゆかしい、上品。


陶淵明

「(帰去来兮)帰りなんいざ。

田園将に蕪れな んとす。胡ぞ帰らざる」

陶淵明41歳)(365-427)

406年のころか。

400年のちょうどあのころ、敦煌の東のあたりで、

鳩摩羅什くまらじゅうはサンスクリットを持って東へ向かい、

法顕ほっけんは仏教を求めてインドへと向っていた。

すごい大陸だ。


夜深くして 江月 清輝せいきを弄し

水上 人歌いて 月下に帰る

(宋詩七言律詩)


日ぐらしの鳴く山里の夕暮れは風よりほかに訪ふ人もなし

(古今和歌集905年、読み人知らず)


10,1/31(日)晴れ

NHK日曜俳壇「冬の星」

ゲストは精神科医の浅野欣也さん。

Dr はとても控えめである。

飯白く千枚漬けの一枚と(浅野欣也)

「ありがたい」「おかげを被って」「すでに五七五の伝統の中に棲む」

精神科医、著書『癒しの連句会』のご本。


落葉松の深き眠りや冬の星(皆川テル子)

船長を夢見し頃や冬の星(近沢正人)


星ついでに芭蕉

荒海や佐渡に横たふ天河(芭蕉)

此道や行人なしに秋の暮れ(芭蕉)

人声や此道かへる秋の暮れ(芭蕉)


「星」や夜空をテーマにエクササイズ

オーロラのせはしき舞ひや音を聞く

先に棲む三角テント寒昴

トーテムを右方にまはり冬すばる

富久のうへに出た出た炭坑節

今日がどうも満月らしい。


懸想文けそうぶみ神桃色に飛んできた

須賀神社で節分のときに売られるらしい。春を告げる縁結び。


桜桜桜淡くもありつ紅にじむ

番組では東海桜が活けられてあり。


うろこ雲大阪生まれ奈良育ち(津田清子)

橋本多佳子没。皆しょんぼりしているころ師匠の橋本多佳子を偲んで詠む。


「連句」一茶

蛙なくそば迄あさる雀かな(夏目成美)

春めくものに門で薪をわる(一茶)

旅人の小雨に霞む顔見へて(夏目成美)・・・

一茶連句集『蛙なくの巻』


若山牧水

若山牧水(1885-1928)の宮崎県日向市の生家前に坪谷川が流れる。

「水の音に似て啼く鳥よ山ざくら松にまじれる深山の昼を」

この地で「山」を愛した牧水は一方で、「海」を夢見ている。

その二面性こそ牧水の「あくがれ出ずる」根源性となる。


幾山河越えさり行かば寂しさの終はてなむ国ぞ今日けふも旅ゆく

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

牧水は電撃のやうに運命的に園田小枝子と出会うが破たん、失恋、挫折する。

歌集「別離」1910年出版)は小枝子との“恋愛絵巻”でもある。

「山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇くちを君」


牧水は太田貴志子と結婚、2男2女に恵まれる。

結婚後、父の危篤の報に牧水は帰郷する。

「文学なんぞして」――周囲は冷たかった。

生家の裏山の石に寝転がり悶々とする日々。

その石に――

「ふるさとの尾鈴の山の悲しさよ秋もかすみのたなびきてをり」

と今も刻まれている。

ちなみに1910年は、わたしの親父が生まれた年だ。

1911年、あの幸徳秋水の「大逆事件」がある。


てきちょくと渚の雪に千鳥かな(大石悦子)

漢語では千鳥を鵆こうと書く。行の真ん中に鳥が居る。

「彳」は左に足が向かうこと、反対に「亍」は右へ少し行くこと。

ちょうど千鳥足になる。

いかにも遊びを思わせる一句である。

遊びと云へばホモ・ルーデンスは字義通りラテン語で「遊ぶ人」、

オランダの文化史家・ホイジンガがつけた。

人類は遊ぶために生まれた。

わが方では――

「遊びをせんとや生まれけむ 

戯たわぶれせんとや生まれけむ 

遊ぶ子どもの声聞けば 

わが身さへこそ揺るがれる」

(今様集『梁塵秘抄』)とある。

生活そのものを遊びにするためには獲物を取ろうと木に登ってはダメだ。

ひたすら熟して落ちてくるのを楽しみに待つのだ。

木に登ったら、そこから堕落がはじまるのである。

デフレの時代になった。

不況のなかでわれがちに血眼になって木に登らなくたって

なにか彳てき亍ちょくとふうわりふくよかに遊ぶことだってあるのだ。

(横澤放川・俳人10,1/30日経)