雄ちゃんへ
昨日は忘年会、お疲れさまでした。
かあちゃんもご機嫌で帰ってきましたが・・・
国家が国家を説得するにはどうしたらいいのだらうか。
いつだって「国家」ないしは「国家的」なもの、
そして国家の総体というものがなんであるかがそもそもの問題になる。
ベルリンの壁が落ちたのが11/9日で、
12/8日は、我が国の開戦記念日だ。
前者は自由への象徴であり、
後者は国家が自由を圧殺する大きな物語として国民を圧迫していった。
イスラエルといえば中東ベルトラインの旧約聖書のころからの“トゲ”だ。
昔からあそこにはパリサイ人がいて、その人たちは今のパレスチナ人となった。
シオニズムは1900年の前から澎湃と湧き上がり、
約束の地へと世界中からユダヤ人が流れ着いてきて、
そここそが我等の故郷であるとユーカリの木を植え、学校を作り、
礼拝所(シナゴーグ)を作り、そしていつのまにか国家を造ってしまった。
しかし、ユダヤ人の存在とは“出エジプト”以来、一貫して「疎外された存在」で
それは今でも続いているやうに思える。
ユダヤ人に歴史的な「選民思想」を植え付け、
カナンの地はますます約束の地になってしまった。
映画が上映されている。
「戦場でワルツを」主人公のアリはイスラエルの映画監督で、
27年前のレバノン戦争に19歳のときに参加した。
失われた戦争の記憶、戦友たちもまた記憶の欠損を抱えていた。
何が起こったのか。
その核心にあったのはパレスチナ難民キャンプでの虐殺事件だった。
当時、レバノンでは、親イスラエルのバシール大統領が選出されていた。
このカリスマ的大統領が暗殺されると、
彼を支持するキリスト教徒の民兵たちは、
難民キャンプにテロリストがいると決めつける。
アリは、キリスト教民兵を援護するイスラエル軍の一員として現場にいたのだった──。
1982年「レバノン戦争」の出来事だった。
因みにここ数年のパレスチナ戦争で――
パレスチナ紛争、20年で=約8900人死亡。
パレスチナ=7398人、
イスラエル=1483人。
入植者数(東エルサレム除く)ヨルダン川西岸、89年時=6万9800人
現在→30万人以上に。
イスラエルが自国領とする東エルサレムを合わせると=50万人に達する。
「KATYNの森」の上映も始った。
アンジェイ・ワイダ監督(1926年生まれ)はポーランドの独立と自由獲得の苦難を、
俯瞰から内部へ、抉り出すかのように、なだめるかのように描き出す。
人々に、人類に暴力的に降りかかり、
理性を打ち砕き、困惑と迷妄に駆り立てる国家とか歴史とかは何ぞや。
しかし、そんなにも人々は自由に恋い焦がれたのである。
自由は人間そのものである。
原初、人間は自由であった。
1988年8月から始まった政府の経済政策への抗議と、
独立自主管理労働組合「連帯」(以下「連帯」)
合法化を求めて行われた大規模ストライキに端を発した
政治的混乱を打開するため開かれた政権側と反体制派による
「円卓会議」で合意された内容に沿って、行われた選挙である。
部分的な自由選挙であったが、
選挙の結果、「連帯」系が自由選挙枠で圧勝し、
東欧では戦後初めてとなる非共産党政権が発足した。
「終結には段階があった。
ソ連のゴルバチョフ書記長が1988年に国連で大幅な兵力削減を表明した。
その通りになれば冷戦は終わると思った。
ソ連の軍事支配なしに東欧諸国が社会主義体制を維持できないのははっきりしていた。
ゴルバチョフ氏はむしろお荷物の東欧を切り離そうとしていた。
だから壁が崩れても驚かなかった。
冷戦が本当に終わったのはソ連がドイツ統一を容認した時だ。
ドイツ統一がなければ欧州連合(EU)も実現しなかった」
「冷戦は根本にイデオロギー対立があり、
それが地政学的対立、経済的対立、軍事的対立を引き起こした」。
(ジョン・マトロック・元駐ソ大使09,11/18日経)
■若き指導者ゴルバチョフが登場した時、ソ連の経済システムはすでに瓦解寸前。
米ソの核軍拡競争やアフガニスタンへの軍事侵攻がこれに追い打ちをかけていた。
もはや東欧を軍治、政治、経済的に支える余裕はソ連にはない。
ゴルバチョフ政権は東欧への軍事力使用を否定し、
東欧諸国の自助努力による変革を暗に迫った。
この外交政策の転換が東欧共産主義体制の転覆につながる。
「6カ国ドミノ」へ。
1988年にドロール欧州共同体(EC)委員長のもとで
欧州通貨統合を検討するグループが創設された。
その報告書がまとまったのが89年夏、ちょうど壁崩壊直前だった。
両独の通貨統合と欧州の通貨統合の2つの出来事は、
最初は結びついてはいなかったが、だんだん並走するようになった」
■「ドイツ国内には・・・コール首相は、両独統合のために、
ドイツマルクを(欧州通貨統合に)差し出した」と非難する声があります」
「それは事実ではない。コール首相は、
東西ドイツ統合と欧州統合は『コインの裏表のようなもの』と例えたことがある。
一方を一方のために犠牲にするといった性質のものではなかった」
(ハンス・ティートマイヤーもとドイツ連銀総裁09,11/18日経)
旧ソ連ではゴルバチョフが登場したのはいいが、
アフガン戦争や、米国との軍拡競争で経済システムは完璧に行き詰っていた。
社会主義的体制では生産性が伸び悩み、
人々は貧困の低体温のなかで眠りこけている。
一方、欧州の西側では英国には鉄の宰相・サッチャーが誕生し、
フランスには公私共に自由主義者のミッテラン大統領、
ドイツには堅実なコール首相がいた。
NATO体制も堅固に働き、経済、政治ともに安定している。
そして経済はさらに統合へと模索していた。
人間の鎖(にんげんのくさり)は、1989年8月23日、
当時ソビエト連邦支配下にあったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)の
独立運動の一環として行われたデモンストレーション。.
およそ200万人が参加して手をつなぎ、
3カ国を結び、600キロ以上の人間の鎖を形成した。
■このデモンストレーションは、
バルト三国のソ連併合を認めた独ソ不可侵条約秘密議定書締結50周年を期して行われ、
三国が共通の歴史的運命を共有していることを、
国際社会に訴えるために行われた。
(ビタウタス・ランズベルギス・リトアニア元最高会議議長)09,11/27日経
「リトアニアは旧ソ連諸国の中で最初に独立を宣言しました。
独立回復宣言は市民の支持を受けた平和的、民主的行動だった」。
「ベルリンの壁」崩壊を黙認したソ連はリトアニアの民主化運動に対し
武力による脅迫や経済封鎖をする。
「ソ連の指導者だったゴルバチョフ氏は帝國としてソ連を残そうとし、
民主化など自らの理想を枉げてしまった。
改革派がモスクワで進めた民主化運動がバルトに変化をもたらす要素となった」。
ビタウタス氏は1988年、発足した独立運動組織「サユジス」を率い、
1989,8月に抗議デモ「人間の鎖」600㌔を組織した。
■経済危機の下、中・東欧では共産主義時代への郷愁が漂っているとの声もありますが、
という質問に、
「政府に頼り切り、責任を押し付ける
というソ連時代の慣習が残っているのも事実。
20年という歳月はこれを克服するのに十分ではない」
「東ドイツ、国境を開く」の報道がニュース画面に躍っている。
やがて数万人の東西ベルリン市民が壁周辺に集まり、
ゲートでは「開けろ」コールが地鳴りのように響き渡る。
高さ3㍍の壁がハンマーで砕かれるシーン。
61年の分断(8/13日零時突然)から28年たったこの年、
くすぶり続けていた国民の不満が頂点に達した。
反政府デモが各地で発生し参加者が次第に増えていく。
ついに東ドイツ政府の閣僚は総辞職。
押し寄せる群衆に、なすすべもなく国境のゲートが開放され(11/9日)、
東ドイツ国民は待ち望んでいた自由を自らの力で手に入れたのである。
■翌90年には、東ドイツ人民会議が西ドイツへの編入を議決し
「統一ドイツ」として再出発を果たした。
チャウシェスク宮殿。
世界の行政建造物でペンタゴン(米国防省)に次ぐ大きさという。
中・東欧の共産主義政権が次々とドミノのように倒れた
89年暮、最も激しい形で体制が覆ったのがルーマニアだった。
学校の教室で行われたチャウシェスク夫妻の銃殺刑の映像は世界に流され衝撃を与えた。
「あの頃は政府の宣伝に完全に染まっていて、
技術者になって農家や労働者を助けるのが夢だった」。
しかし、チャウシェスク時代の記憶はすべて空腹とつながっている。
「鳥の足の先やくちばしがごちそうだったけれど、
いまのひとは決して口にしないでしょう」・・・。
西ドイツの政治家たちはは東ドイツの疑心暗鬼を徐々に取り除きながら
ゴルバチョフの登場を奇貨としてドイツ統一を実現した。
1989,12/2~3日、「マルタ会談」――
11/9日の「ベルリンの壁」崩壊を受けて開催された米国とソ連の首脳会談で、
東西冷戦の終結を宣言した。
ブッシュ(父)米大統領とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が
地中海のマルタ島沖の客船内で合計=8時間にわたり意見を交換。
会談後、両首脳は初めて共同で記者会見し、
両国の協調関係を世界に印象づけた。
1945年のヤルタ会談を起点とする冷戦の終結が宣言されたことから
「ヤルタからマルタへ」との言葉も生まれ、
時代の節目となる象徴的な会談となった。
さて、いきなり現在に戻る。
12/8、米国のボズワース北朝鮮担当特別代表が、
オバマ政権では初めてとなる北朝鮮との高官級直接交渉に臨むため平城に入った。
12/7日、パキスタン東部ラホールと北西部ペシャワルで連続テロ。
少なくとも=50人が死亡、負傷者は=140人以上に達したとニュースで。
12/9日、イラク連続テロで=127人死亡。400人超負傷。
政府庁舎再び標的に。
治安維持能力に懸念、マリキ政権に打撃。
12/10日、オバマ大統領はノーベル平和賞授賞式に出席、受賞演説に臨んだ。
ノルウェーのオスロで。
平和呆けタダではないの戦いはアフガンで今イラクでもまだ
貧困が転がり残酷な世界がいたるところを未だ圧している。
私は二つの戦争の最中にいる国の最高司令官という立場にいる。
偉大な宗教であるイスラム教を侮辱している原理主義者たちとは戦わなくてはならない。
戦争が不人気なのは分かるが、平和が望ましいという信念だけでは不十分だ。
正しい平和と正しい戦争とを今あらためて考え直さなくてはならない。
平和には責任が必要で、平和には犠牲が伴う。
市民が自由に話す権利を否定され、
自由な信仰を持てない平和は不安定だと信じている。
米国は常に普遍的希望を唱える人々の声であり続ける。
アウン・サン・スーチー氏のような静かな改革者を見守る証人であり続ける。
イランで静に行進した多数の人々の承認であり続ける。
地上から偏狭と圧迫をなくすために
人類は普遍的価値を実現するために歴史を歩んできた。
我々にはできる。
世界に希望があるかぎり、この困難な時代にあっても、
地球上に生きる我々が為しえなければならないそれは使命なのだから。
(ノルウェーのオスロでノーベル平和賞受賞式に臨んで)
我々は相変わらず困難な時代に瀕している。
西欧近代はウィルスなのか。
「開国」(外界に適応し、他者の意思に服従する)か「尊皇攘夷」か、
が「米欧型消費社会文明」を受け入れるか「尊マホメット攘夷」、
つまり固有の信仰の世界を重視した社会の存続こそが唯一であるとするかの対立になった。
その点では明治維新や南北戦争や他の革命と根本においては少しも違わない。
相争う明確な価値観の違いがあるだけである。
一方、国家の葛藤は往々にして一般大衆や庶民を巻き込んで、
特に現代の紛争は武器が近代化しすぎたということもあって
悲惨な結果を呈するようである。
アフガンやパキスタンに見られる内的葛藤はどうか。
交渉する相手さえ目に見えないテロとの戦いは、
市場がもはや国家に依存しないのと似ている。
イスラエルとパレスチナ、トルコとアルメニア、
或いはセルビアとコソボ・・・などの対立と比べたら
歴史的因縁には程遠いとは思うのだが、
いずれにしても政治的解決への糸口すら見えず、
連日の自爆テロには目を覆うばかりだ。
米、アフガン=3万人増派(軍事的経費今年=300億㌦(2.6兆円))、
2011,7月に米軍の撤収開始を目指すとオバマ大統領表明。
「決して容易な決断ではなかった」
「容易な決断などないのです」。
2011,7月からの米軍の撤収に関して
「なによりも最も必要な事柄は我が国自身の再建にあるのですから」。
「普天間移設ということになれば連立からの離脱も考えなければならない」(瑞穂)
子どものお使いじゃああるまいし、
片方では巨大な国家の決断という粛然とする場面があるというのに、
手ぶらでだだを捏ねている姿はなんともはやこの民主党は変わっていない。
ではどうするのか、という国家間のトレード・オフがない。
何度でもいうが見せかけの「正義」は危ない。
拉致や沖縄の普天間基地移設、米軍再編、
日米地位協定見直しなど社民党が主張することどもには
なにか嘘っぽいものが混じっているなと国民はうすうすと感じている。
自民党が尻尾であるはずの公明党に振り回された。
そんなことを考えるとこの連立政権にも薄ら寒いものを感じざるを得ない。
当たり前のことながら正義では国民はおまんまを食べていけない。
社会党は浅沼稲次郎さんよりもっと前からとんちんかんな理念ばかりを連ね、
いたずらに歴史を空疎に過ごしてきた。
そして、北朝鮮を支持していた土井たか子のときにピークを迎えた。
「平和憲法」「憲法9条」――
しかし、民主党も含め、どうして誰も景気のことを云わないのだろうか。
リアルとは景気のことである。景気とはきようのおまんまのことである。
リアリズムに欠けた正義ほど国民生活を危うくし、
暮らしを危うくする迷惑なことどもはない。
一ちゃんが600人もの所帯を引き連れて胡錦濤さんのところへ行ったかと思ったら、
さて、突然にトレード・オフかどうかは定かではないが、
国民にしてみれば刮目かつもくすべき事柄が降って湧いた。
「陛下の役割は国の外交とは違う。
国と国の間に政治的懸案があれば陛下を打開策に、
となれば憲法上の陛下のなさりようが大きく狂うことになる」
(羽毛田信吾・宮内庁長官9/11日)。
まったくだ。戦前の「機関説」を思い出す。
国会は一見“逆機関説”をたどりながら天皇を深く戦争に関与させる結果となった。
「国益」のためなら、ということになる。
■14日から日韓などアジア4カ国を訪問する中国の習近平国家副主席、
「訪問のために周到な手配をしていただいたことに心かにお礼を申し上げる」と述べ、
間接的な表現ながら天皇陛下との会見実現に感謝の鋳を示した。
■「1ヶ月ルール」1ヶ月以上前に外務省から願い出ていただくのがルールとしてきた。
なにがなし悲しくもあり我が国のすめらみことのましませしこと
この家は日本で一番古い国の文化財なのである。
超国家的儀式を生業とし、周縁の人々との思いに棲み、
とりわきて世界と我が国の平和を祈り続ける。
そぐはしいか(似つかわしいか、つりり合うか)、
そぐはしくないか、である。
そぐなふ、そぐなはぬ・・・
「万一(もし)身に―・はぬ事ならばと案じられまして/われから(樋口一葉)」
我が国の天皇は“出しもの”でも
ましてや“見世物”もないのである。
国家というものは、国家の総体とはなんぞや。
智笑