国政を預かり国の将来を負託されている為政者は運命論者であってはならない。

徹底したリアリスト、ないしは運命に対しては悲観論者のごときでなければならない。

注意深さが勝利を呼び込むのだ。

オリンピックの「立会い」は一種の戦である。

すでに戦である以上、戦術がなければならない。

「花と、面白きと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり」

『風姿花伝』は兵法の書と聞く。

花は感動、つまり人の心に響くものがあり、面白きはその通りに、

めづらしきは「必要があって」ではなかろうか。


慎太郎知事ははなから負け戦に突っ込んだ。

都民も国民も“因らしむべし”の莫迦ではない。

うすうすとその虚飾性に気が付いていた。

グリーン宣言とかエコ宣言とか言葉や理念が先行していることに耐え切れないほどの空しさ、

一人の傲慢なポピュリストにうんざりするほどの憤懣を抱えた。

「理念では勝っていた」

と猪瀬副知事はラジオ番組で知事を擁護する素振りを。

しかし、理念ではメシは喰へないのだ。

人の心に響くものがない。

したがって都民も国民もことほど左様にそれほどの関心を示さなかった。

何しろこの強烈なデフレの下、中小企業に至っては=1万円札でさへ右から左にかない

不景気とはそのようなもので、高校生には仕事はないし、母子家庭も、

一人ぼっちの高齢者も塗炭の苦しみの中にゐる。


公表で=150億円とは権力ではないのか。

尊大で傲慢な独りよがりの知事の“鶴の一声”でことは始まり、カネがばら撒かれた。

おカネの使い方は4通りある。

①自分のおカネを自分のために使う(消費や貯蓄)

②自分のおカネを他人のために使う(寄付や贈与)

③他人のおカネを他人のために使う(税金と政府、預金と銀行)

④他人のおカネを自分のために使う(政府のバラマキ、金融機関などの利益相反)。

今回の知事のバラマキは私のために(ポピュリスト)都民の血と汗と涙の大事なおカネを使いまくった。

歴史に名を残したかったのか。

そして、泣いた、と云ふ。

つまり、私は間違ってなかったということになる。

関心のいままの都民や国民の意識に苛立った。

屹度その所為で敗れたと云いたかったんだらう。


初めから負け戦であるにもかかわらず国政の方向を決定的に間違へ、

国民をとんでもない方向へと引っ張り込んでいった首相がかって日本にもいた。

そして終戦である。

その東條英機なる御仁は(東條英機が終戦直前の4日間に記していた手記で)、

「新爆弾(原爆)に脅へソ聯の参戦に腰をぬかし」た政府が

「屈辱降伏」に至ったのは国民の★「無気魂」による、と結論付けている。

彼の人間性を基本的に問う文書である。

自分は間違っていなかった。

日本は侵略戦争をしたのではない。あくまで自衛のための戦争であった。

しかし、そのような事はどうでもよく、失われた=310万人という尊い命のことである。

おびただしい中国大陸や東南アジアの国々における累々たるもの云はぬ死者のことである。

1944,7月、サイパンがちた。

東條は内閣を解いたが、その時点でさへも彼我の力と時勢時局のもうどうしようもない流れの

怒涛のやうな圧力を感じることができる感性がありさへすれば、

その後の=200万人以上の人命は失われることはなかったはずだ。

それを、自分の感性の独りよがり、尊大、傲慢、・・・を棚に上げ、

★「無気魂」とあげつらった。


優先順位、つまり“トリアージ”で云へば、

喫緊の問題は押し迫っている不況、その根底にもある「少子高齢化」、

或いは「巣ごもり」「ゲーム化」に現れる文化の飢渇、崩壊化などである。

東京都の予算は=6兆円、税収は=4兆円を超える。

世界の独立国の中でも=15位という巨大な一つの国にも値する規模なのである。

99年に慎太郎は知事に就いた。

しかし、慎太郎知事はその売り上げのために営業のトップに立ったのか。

かっての池田勇人のやうに世界にセールスに回ったのか、

或いは田中角栄のやうに徹底した社会主義資本経済を明確なプランの下に実行したのか。

残念なことに私にはとんとそのやうな涙ぐましいやうな努力は耳にしたことがない。

少なくとも彼が稼ぎ出したわけではなく、

東京への人口の社会的移動、一極集中もあるし、

過去の遺産のお蔭の上に成り立っているとしかいいやうがない。


今では日本のGDPを追い抜こうとしているお隣の中国のことも“チナ”

(支那の呼命自体は間違ってはいない)と呼び、

その呼び方に歴史的屈辱を感じている隣国の怒りを買った。

2003年のどん底から立ち上がれたのも2001,12月WTOに加盟し

世界の工場としてアジア分業の先頭に立ってくれた中国のおかげ、

今回の100年に一度というリーマン・ショックでも、

56兆円という中国の内需景気対策の発動のお蔭、

まったくそのお蔭様を忘れ、未だに靖国神社にお参りに詣でている、

時々刻々と動いているグローバルな時勢にひとりインバランスなおっさんである

としか云いやうがないのである。


シンガポールは初代首相のリークァンユー氏の強力で明晰なリーダーシップの下、

アジアでの飛躍的な成長力を示した。

2007年には一人当たりのGDPは日本を追い抜いた。

500万人弱の人口で、約24兆円(購買力平価換算)のGDP(稼ぎ)である。

2005年基準の東京の経済規模は1兆1900億㌦(人口=約1200万人)で

売り上げの対人口の比率ではまだ上回っているものの、

伸び率では完全に追い抜かれている。

都市でいったらアジアにはほかに上海もあるし、

釜山も、大連もその伸長目覚しい都市がいくらでもある。

時勢の背景のお蔭という部分も否定はできないにしろ、

新興都市とは一概に比較はできないが、

成熟した都市の東京において今しなければならないのは、

いまさらながらのケイジアン的発想、公共事業ハコモノ(ある程度のインフラを含む)では、

一時はカンフルのように景気が上向いたとしても

(オリンピック効果=3-6兆円とも「実はオリンピックは儲かるんですよ」慎太郎)、

効果が限られているのは歴史が証明しているところである。


ブラジルの南米大陸での開催はいやはやこれは“めづらしき”に尽きる。

2016年夏季オリンピック開催地がブラジルのリオデジャネイロに決定。

「未開催の大陸で開くことに意義を見出した」IOCロゲ会長)。

「南米初開催」これ以上の必要性はないではないか。

時代はとうにBRICsであり、G8からG20へと滔々とグローバルな流れは奔流している。

耳を澄ませば初めから“負け戦”だったのだ。

武田勝頼であり明智光秀であり、石田光成でもあり、時代はどんと下って東條英機でもある。


オリンピックの「立会い」は一種の戦である。すでに戦である以上、戦術がなければならない。

しかし、実は戦術も何もなかった。はなから慎太郎の一党独裁に過ぎなかったのである。

殿のご乱心を諌める忠臣もいなければ議会のシステムもその時点では稼動しなかった。

大鑑巨砲の「戦艦大和」ですか「グラマン」(飛行機ですか、

オリンピックですか「少子高齢化」ですか、

東京ですかリオデジャネイロですか、の問題である。

ものごとを気分や昂揚で決められていったらヒットラーやそれこそ東條のごとき悲惨な末路になる。

耳を澄ませば、である。

単純なものごと(リアリズム)を複雑(感情)に盛り立ててはいけない。


片方では1万円かない人たちもいれば、

150億円のアドバルーンを飛ばし、派手にばらまいて霧散させてしまった首長もゐる。

耳を澄ませば、日本も世界もまだ、もっと貧しいぞ。

かって西郷南洲が舞い上がる明治の新政府のお歴々にさう云って諌めたではないか。

「やることは山ほどある。一等国の仲間に入るのだ」

ルラ大統領の涙には一国の首長の本當の覚悟のほどが感じられる。


耳を澄ませばである。


自動車も船も転がるサモアかな転がりしまま空の青さよ

パプアニューギニア・サモアで地震

家屋を失った人たち=2万人以上、死者行方不明=176人に(09,10/5日NEWS)。

まるまる村が一瞬のうちに消えた。

津波は日本の各海岸に昼過ぎの1時ころ着いた。

地球は息をしている。この一瞬の海面の皺は地球規模の問題だ。


スマトラや南の国の災厄や天没地没パダンぱたんす

スマトラ沖地震、またしても(9/30日)。

パダンに被害、1000人くらいの生き埋めとか(死者・不明=931人、10/5日)。

建物もみんなパタンする。

日本政府はとりあえず毛布など=1000万㌦支援。感染症が始った。

「自衛隊、被災地入り」

首都ジャカルタ経由で到着した自衛隊は=11人で、

ジャカルタに残った=20人も一部を除き順次現地入りする(10/5日経)。


本當のアジアの時代がもうそこまで来ている。

中国は軽々と日本を追い抜いていく。

シンガポールにもその豊かさでは追い抜かれた。

日本は基軸として尊大ではなく、本當に信頼され尊敬される国にならなければならない。

東京都は一国に比肩する規模のすでに国である。

基金を作り、明確にアジアに投資するとか、

こうした災厄に素早くお役に立てるシステムを作るとか、

今回のオリンピックでも根回しをしたはずのアジア諸国の票

実は東京にはほとんど流れなかったというではないか。

それが事実である。

(慎太郎はそれを“政治的な流れ”と云ったが)。


私ははなから今回もインドをお奨めしていた。

何故インドか。

そもそもオリンピック精神とはその根本にあるのは“平和”であったはずだ。

中東ベルトラインからインドまで、とくにアフガニスタンはますますその危険度が猖獗し、

きな臭さは世界を巻き込んでいる。

平和の順位で行くなら16年インドで行くべきだった

インド自身が治安などで不安だとしたら世界がそれを全体で支援すれば済むことである。

インドは伸長目覚しい。

16年には経済的にはもう実施できる規模になっているはずだ。

ニューデリーかムンバイで、あそこら辺にぽっと平和の灯りが灯れば、

その平和の希望の光輪はあまねくアフガニスタンを超えて広がっていくに違いない。

インドから中東にかけて民族の自信を呼び覚まし、

紛争なんてやってられない、ということになる。


すでに6万8000人の米軍やNATO軍が駐留し、さらに増派が検討されている。

米軍の毎年アフガンでの経費=360億㌦とも云われている。

残念なことにおカネと人の使い方を間違えている。

今度こそはインドにおカネのその一部を世界は集中し(安全保障の観点で)、

16年はリオで決まったが、

20年にはインドにたった今の時点でも決定して、世界にそのことをアナウンスすべきである。

インドでやるぞ、と明確な道筋ができれば、あそこら辺に平和の希望の灯が広がる。

安上がりこの上ないではないか。

慎太郎こそはその4年前、尊大さを前に出さずに、

おれが、日本が、東京が、ではなく「お先にどうぞ」、

「インドさん、16年はあなたの番ですよ」

と全面的支援を世界に表明していたら、アジアで尊敬を一身に集め、

安全保障の観点でもその先見の明を称賛されたに違いなかったものを、嗚呼・・・。


智笑