■「権利の請願」
1628年、英国に於いて、「権利の請願」がなされた。
「法こそ王である」
エドワード・コークはチャールズ1世に対して「権利の請願」を突きつけた。
まず「法」という概念がイギリスの民主主義革命へと結びつき、
→後の<産業革命>の起爆へと結びついた。
「人治」→「法治」→「法化」
王は気まぐれで戦争ばかりをしている。
イギリスは財政が困窮し、チャールズ1世は戦費調達のため臨時課税を求めた。
議会は猛反発する。
資本主義は「利子」で考え直される。
債務者としての王は絶対ではなく、気まぐれで、奢侈である。
その上「王」が継続的なものであるかどうか、疑問である。
に対して、機関としての「議会」には永続的信用性がある。
英国王の課税についての報告がある。
中世以降、国王による課税は議会の承認を必要としたが、
税金の使途について、国王はその会計を議会に報告する責務を負った。
西洋型経路では、支配層が私的所有権の確立を目指すようになって経済成長が生じた。
君主の一存で戦争や奢侈的消費が遂行されるよりは、
エリート層(特に有産者層)の合意で、公債の発行や商権の保護が促される方が良いという考え方が、
制度の革新を可能にした。
1633年、ガリレオが幽閉された。
「それでも地球は動く」
ローマ教皇庁は「地球中心説」で成り立つ聖書の基盤を揺るがされることが黙視できなくなった。
科学の進歩が人々の考え方を合理的に自由にしていく。
それは商売とのベクトルを一にしているかのようだった。
■絵に見る「民主化」
1642年、「夜警」レンブラント
オランダの絵画は17世紀に黄金時代を迎えた。
その背景には豊かな市民階級の台頭があった。
オランダの経済は17世紀前半にその最盛期を迎えた。
富の源泉は海上貿易にあった。
1634年、オランダの商船は=3万4000隻、
それは世界の商船の実に=4分の3を占めていたという。
イギリスの=5倍に及ぶ貿易によってオランダは世界一豊かな国になった。
絶頂期にはチューリップの球根への投機が過熱し、
球根一個に=2万ポンドという史上名高いバブルも生まれたが、
繁栄する経済の下で市民は生活を楽しんだようである。
レンブラントが描いた肖像画「ヤン・シックスの肖像」(1654年)
ヤンは織物業を営む裕福な家に生まれ、法律家でもあり詩人でもあった。
後にアムステルダムの市長も勤める名士でもあった。
絵画の需要は教会や宮殿から市民の家や市役所などの壁に変わり、
従来の宗教がゞ代わって市民を描く肖像画が急増した。
1648年、ようやく泥沼の30年戦争が終り、
欧州は「ウェストファリア条約」を締結する。
史上初の「多国間条約」である。
※国際連盟とか6カ国条約の淵源か。要するに国際条約の初めとなった。
新教と旧教が神聖ローマ帝国 を舞台として1618年から戦われたが、
ドイツの国土は荒廃し、1600万人の人口も→600万人になるなど、
その後の歴史が100年も遅れる原因となったといわれる。
オランダの独立が認められる。
ハプスブルク家の欧州覇権の野望は食い止められ、
神聖ローマ帝國は名ばかり亡霊のごとくなって、ナポレオンによって滅ぼされる1806年まで辛うじて続く。
オーストリア・ハプスブルク家はドイツ王ではなくオーストリア大公が、後オーストリア皇帝となって
18世紀、19世紀をいきのびることとなる。
新教のスウェーデンの名君グスタフ・アドルフは戦死、
ハプスブルク家の野望を食い止めた仏のブルボン家は勢力を伸ばし、
旧教のスペインの凋落は明らかになった。
⇒「国家主権の尊重と他国への内政不干渉」
主権国家(国王が主権を)が成立した。
議会が認めた統治権を持つ国王の交戦権の行使を諸国同士が認め合う。
1789年、フランス革命以降は主権国家(国民が主権を)になる。
■「ピューリタン革命」1649年
英国で、王・チャールズ1世はついに処刑される。
民衆の前で王は斧で首をはねられ、イギリスは「共和国」となった。
議会派を主導したクロムウェルは共和国の指導者となった。
急進的な水平派を弾圧、中産市民の権益を擁護する姿勢を取るようになる。
重商主義に基づいた政策を示し、同時に貴族や教会から没収した土地の再分配を行った。
1651年、英<航海法>の制定
英国は他国の船舶による商品の輸入や、植民地産原料の他国への輸出を厳しく規制した。
背景には植民地の拡大、通商の拡大がある。
■「重商主義」
1661年ころオランダではフェルメールが活躍している。
仏ではコルベールを宰相とするルイ14世の「重商主義」経済へ。
・アムステルダムへはスカンジナビアから鉱物資源、北欧から木材、ポーランドの穀倉地帯からは穀物が
・ロンドン、パリへは北方からは塩や鉄が、大西洋からは金、銀や香辛料が
・地中海のジェノヴァやヴェネツィアへはトルコイスタンブール方面から香辛料など
近代世界システムとは従属システム(不平等分業体制)であり、
重商主義と植民地貿易を通じて、さらに後進国を経済構造において従属化させた。
※現在の世界構造も一貫してそれが続いている。
⇒ユニクロは中国からバングラディッシュに工場を移転させる。
生産・流通・消費を統治する国、
資本と国家が一体化した国(重商主義国家)が覇権を握るようになる。
都市としてはイベリア半島にポルトガルのリスボンと、スペインのバルセロナ、
あとはトルコのイスタンブールがある。
いずれの都市も新しい価値、ないしは新しい文明の財を提示できないまま、しばらく歴史の中に沈潜する。
※石原慎太郎もここいらの都市の歴史の変遷をよく熟慮すべきだ。
オリンピック誘致ではない。
新しいシンガポール的都市の価値、財のあり方を提示しなければ都市は衰退する。
オランダを例に取ると、
スカンジナビアや北欧からの木材、鉱物などの戦略物資が「造船業」へと結びつく。
経済成長は穀物の需要を呼び起こし、それはポーランドの土地の集約化と農奴の従属化を促す。
一方、穀物経済はヨーロッパ経済に深刻な打撃となる。
マルサスではないが人口と経済の競争が激化してくるのだ。
欧州の政治は再び、不安定化する。
⇒1667年よりフランスの建艦合戦。オランダの追い落としを図る。
⇒1688年、英国の「名誉革命」VS仏の<重商主義政策>
そして、欧州の経済地図は「地中海経済」から→「ヨーロッパ経済」へと移行した。