文学の中に現れるある種の「権力との戦い」とは

その国にそのときに現前する秩序(哲学、法、習慣)からの独立をも意味する。

ルソーの言う「私が私であるとき」、であろうか。

宗教ではオームの場合はとくにそれを政治的独立において目指した。

オームであれ創価学会であれ幸福の科学であれ、

自分たちの掲げるものの何かについては歴史的承認が必要となる。

そして歴史を奪還するためにオームは大量殺戮「ポア」を選んだ。

ひるがえって創価学会や幸福の科学は選挙を選んだに過ぎない。


ラスコリーニコフは金貸しの老婆を「ポア」した。

何が何でも神におののく自分を納得させ、歴史の正義を証明しなければならない。

老婆殺害を実行する。老婆殺害こそが歴史を奪還するための戦いになった。


しかし、突然他を排除してしまったらそれは民主主義にならない。

民主主義とは必ず他の価値観を一方に置くことを必要とするからだ。

そこに均衡を求める止揚が生じ、切磋琢磨が生まれるからである。

二大政党が交代する基盤が整ったかのようである。

だが一方で現在の日本は次第に不機嫌で不寛容な国になりつつあるかのようでもある。

靖国神社もその御一統さんは相変わらずお元気なようである。


自殺は自分をポア「排除」することで完了する。

1998年以来11年間連続して自殺者数は=3万人を超える(90人強/1日)。

欧米仕様の苛酷な成果主義、苛酷な評価システムの導入が

失われた15年を通してさらに拍車をかけた。

一方、70%の社会的経費の高負担国家のスウェーデンでは

自殺率が失業率の推移とは関係なく漸減している。

死ぬほうも殺すほうも何か様子が単純化してしまったような気がする。

殺すほうでは「誰でもよかった」になり、

死ぬほうもまるでファッションのように集団自殺なんかもあったりする。

歴史の正義を証明する、歴史を奪還する、などという七面倒くさい思惟、

こんがらがったイデオロギーなどとは一切無関係なのだ。

死ぬほうもなにか逡巡するというよりも、すーっと、いってしまうような気がする。

命が妙に軽くなった。


宗教はいつでもその時代時代の前衛であった。

そして宗教の根底をなすものは「苦」である。

文字通り“四苦八苦”であろうと思われる。

だが、昨今も含めて勝間勝代さんではないが「心」ばかりが語られ過ぎている。

5万円コースと云うものがある。食える、今日泊まる場所がある、と云うことらしい。

社会体制が整う前にとりあえず「カネ」と云うことのようである。

確かにそれはそれで心よりも具体的ではある。

ネットカフェが新宿を席巻している。一泊=1600円

ネットが付いて、シャワーがあり、コインランドリーも個人用郵便受けもあり、そして宿泊が可能である。

ただないのは住所がない、履歴書に書かれるべき戸籍がないのである。

区役所の住民票から浮遊してしまったところ・番地。

しかし、仕事を探し、就職を可能にするためには今の日本ではたいていは住民票が必要となる。


(週間ダイヤモンド9/12号)

①神社本庁=6805万人

②幸福の科学=1100万人

③創価学会=827万世帯

④浄土真宗本願寺派=694万人

⑤浄土宗=606万人

⑥立正佼成会=429万人

⑦高野山真言宗=411万人

⑧日蓮宗=385万人

⑨天理教=164万人

■幸福の科学、「宗教界のトヨタ」を標榜する超近代的ビジネスモデル。

総選挙に=100億円投入!? 有名人、官僚も続々と入信。

■日経、毎日を上回る創価学会の「聖教新聞」の威力。


こうしてみると日本の人口=1億2700万人のうち

幼児を除いてほとんどの人が無心論者も含めてある宗教を信じていることになる。

東大寺が出来たころからもそうだが、

最澄、空海が唐に渡った804年以降、

日本の仏教はどちらかというと厳しい戒律と鎮護国家を本質とした上流貴族階級のものであった。

1000年少し前から澎湃として浄土信仰がその貴族の間から沸騰してくる。


弥陀の本願は“南無阿弥陀仏”

六波羅蜜を口に唱え鹿の角の杖を引いて都を石で打たれながら説法申し上げたのが空也上人

枕草子、源氏物語が書かれたこのころは通い婚が当たり前で、

しかし、風呂もままならぬ清涼殿や政庁の都では、膨れ上がる人口に下水道は垂れ流しに近く、

疫痢も病気も瘴癘しょうれいもすぐ身の傍らにあった。

伽羅の香を十二単に焚きこむが、疫病には適わない。

地獄極楽がまことしやかに囁かれ、みな指に五色の糸を手に、

弥陀の指に繋いでこそ極楽浄土を願ったものだった。

藤原道長がそうして逝き、宇治の平等院がその息子頼道によって建立された。

「極楽いぶかしめば宇治の平等院を訪へ」・・・


そもそも彼の聖徳太子『17条の憲法』を作られたとき

「仏法僧」であり「和を以って尊しと為せ」であり「万機公論に決すべし」であった。

(十七に曰わく、それ事ことは独ひとり断さだむべからず。必ず衆とともによろしく論あげつらうべし)

仏教儒教道教もすべてを取り入れた当時の普遍的宇宙を示す国の指針だったわけだ。

しかし、国の秩序が次第に国土の末端まで行きわたり始めると人口も同じように増加し始め、

為政者は絶えず人口と競争するかのようにその時代、

時代に相応しい新しい価値を掲げて民衆を取り入れなければならなかった。

しかし、聖徳太子のころの聖徳太子自身がお隣の煬帝“恙なきや”と挨拶したように、

その文言は字義通り国家としての自立と対等とおおらかさに溢れていたのだ。

共にみんなと、お互いに対等にお付き合いしていきましょう──、

そこには「排除」の論理はうかがえない。


平安時代の末期から鎌倉時代の初期に宗教の大転換がなされた。

今までは喜捨も戒律も、その上厳しい修業さえ必要だった大乗仏教のある部分が、

文字も読めない庶民に、一般大衆に解放された。

ピラミッドとヒエラルキーに守られていた権威主義的鎮護国家が平べったくなって行く。

親鸞においては煩悩即菩提、悪人正機、「妻も娶ってもいいぞ」、

お師匠さん法然のただ「南無阿弥陀仏」と唱えればよいのだという革命的発想から、

さらに阿弥陀さんはその本願により、たとえ私たちがどのように逃げようとも

その先々に回って私たちを救ってくださる、と云うことになった。

一君万民の中央集権律令制は行き詰まり初め、

弥陀の前ではすべての人が等しく平等であるという浄土宗が確立されたのである。

そしてそこには当初、「排除の論理」はなかったはずだった。


富国強兵、全体主義、挙国一致、神風・・・の中で突然変異のように「靖国神社」が出てきた。

日本はほんとうは花鳥諷詠、四季があり、八百万の國、すべてに親和的な國ではなかったのか。

もののあはれを基本とし、武士の恥と惻隠の情にほつほつとした世界に稀なる国民性の国であった。

■「9.11事件」=2752人の米国人犠牲者。

イラク戦争でイラク人死者=15万人、

アフガン紛争自国民=8000人。

=77兆7000億円の出費。(4チャンネル朝)。

色々なことでもうまったく間尺が合わなくなって来ている。

■日本にも大勢のテロ組織者たちが出入りしている。八百万の国Japan 。

神も仏も儒教も道教もイエスさまでも何でも取り込んでしまう日本。

基本的に原理主義日本にはそぐわない

靖国も含めて、「原理主義」を日本に持ち込んではなら

いかようにもご調整いたします、が日本の真骨頂なのだから。

今でもそうだが、長いこと日本は行政を執行する武家と

心や権威を預かる天皇家の二項原理でやって来た。

まだまだ家には神棚があって、仏壇もある。台所には荒神さまも祀ってある。


日本の隠居文化は江戸時代に始まった。

士農工商の身分制度はあったがお侍さんはずいぶんと農工商の場所場所に出かけていった。

江戸時代初期の俵屋宗達が活躍するころにはすでに農工商も越えて、

天皇やお公家さんも一緒に活き活きと談論するサロンが混成されている。

「歌舞く」もあれば「やつし」と云う言葉もある、

実際はいろんな人がいろんな身分の間に出入りしていて、

粋、わび、さび、あはれ、歌舞伎を楽しんだものだった。

農村の地域においてさえ、たとえば芭蕉の奥の細道では、

行く先々で地方の豪農や豪商のお世話にならないことはない。

芭蕉はお侍さんだし俳諧は徘徊でも高級なご隠居文化の具現者である。

また山形尾花沢の紅花問屋の鈴木清風さんは豪農でもあるし、江戸にまで出かける豪商でもあった。

文化レベルではもうほとんど入り混じって日本全土が同じ色に染まり上がっていた。

侍だからと云う「排除」はなかったしお百姓だからという“遠慮”もなかった。


第一次大戦の後1921年、ドイツ留学組のエリートたちがバーデンバーデンに集まって会議をした。

次期戦争は国の総力戦によるものになるだろうということだった。

陸士17期東条英機もそこにゐる。

「国家改造・軍事指導体制」が話し合われた。

昭和恐慌が過ぎ、ロンドン軍縮会議1930年)における海軍軍令部の「統帥権干犯に端を発し

(政友会では犬養毅鳩山一郎)らが同調、議会発言、自らの政党政治を自己してしまった。

1936年「2.26事件」が起きると、その後陸軍の統制派が力を持ち、

粛軍の名の下に軍閥がかえって政治力を増し、大戦への道を開いた。


憲兵組織隣組制度、国民が国民をお互いに監視するシステムが津々浦々に配備された。

愛情、友情、家族愛で成り立つ土壌に、そこにた易く恐怖が混じりこむ。

「誰が誰に恐怖を与えるのか」

人間関係における恐怖の介在。恐怖という感情は多くの支配力を持ち、理性を容易にする。

どこかを突っつけば簡単に雪崩現象が起きる。

軍隊という恐怖システムを頂点に「非国民」という排除が始った。


さて、中東や欧州や米国におけるイスラムとキリスト教同士の斥力は

いったん歴史の判断に委ねるとして、

私たち日本人はもう一度私たちのご先祖様伝来の五感における感性を、

日々に訪いて日々を廻る四季の中に置く作業をしたらどうだらう。

この柔軟で瑞々しい感性こそが日本安全保障となり得ると思えるからである。


ある種の宗教を説くことをやめて、物理、つまり政治への関心を強めていく。

いつから宗教は政治の傍らに力をおくようになったのだらう。

結局は力を得ない限りは思うところの事柄が実行されないからであろうが、

しかし、心は語りつくされたのか。

存在の根拠に向ってキリで掘り下げるような営為やなされ続けられているのか。

キリスト教も、イスラムも、創価学会も、幸福の科学も、

すべての宗教と自負している宗教は、各々その持っているところの自分の本来の場所へ、

心を前衛的に説くところへ戻った方がいい。

神は神の持ち場へ、宗教は各々の持ち場へ帰ることだ。


宗教がそうでない限り、結局は「そうだから、そうなんだ」というような

各同士の排除の論理の面がますます強まっていくような気がする。

それらにかてて加えて経済的不合理、

格差などと云うものが偏狭的圧迫となって猖獗しょうけつする。


宗教はしかし、相変わらず心の核心においてプロなんだから、

心を実践したり、表したり、語ったりして欲しいと思う。

しかし、どちらかと云うと宗教的なある部分といわれているものが

今ではスポーツや芸術などの分野に移し変えられているような気がしないでもない。

精進だったり克己心とか持続する緊張感などである。

千日回峰や断食や托鉢や弁道など大変なものから日常の作務に至るものまである。

しかし、宗教がイチローや石川遼くんに移ったらどうなるのか。

マイケル・ジャクソンに熱狂するなどそれこそ“スリラー”である。


「作麼生そもさん(さあどうだ?)「説話せった(それはなあ――仏祖の話では)

1223年24歳の青年道元1200,1/2日生まれ)は宋の国に仏教を求めて渡る。

明州の港、寧波(にんぽう)に停泊している道元の船に一人の老僧(典座)が訪れる。

典座てんぞとは、料理を作る方である。

典座は「しいたけないかい」と道元に聞く。変な出会いである。

またある寺での修業の最中に老僧がお百姓みたいなことをしている。

見かねて「誰かにやらせれば」と心配して云ふと、

「他は是れ吾にあらず」「それならもっと楽な日に」

「今を除いてはあるまいに」

「随所に主となれ」という禅語がある。

すべてにおいて雑事というものはないのだ。

《辨道話》には――、

「しるべし、われらはもとより無上菩提かけたるにあらず。

とこしなへに受用すといへども、承当することをえざるゆゑに、

みだりに知見をおこすことをならひとして」とあり、

「いはんや人みな般若の正種ゆたかなり。

ただ承当することまれに、受用することいまだしきならし」とある。

前衛である。

なんと、“アバンギャルド”な言葉たちなんだ。


「なんでお前さんは中国へ来たんだ」(作麼生 ?

「仏教を学ぶために」

「何のために仏教を学ぶのだ」(作麼生 ?

「国に戻って貧しい多くの人たちを教化するのです」

「それがどうした」(作麼生 ?

so what ?

so what ?

so what ?

・・・

と続くわけだ。


道元さんは師の如浄さんに出会った。如浄「面授相見」、正伝の面授なりと。

師との初相見の時、道は八、九分成ったことを意味する。

がーんと頭が打ち割られるような人生観が変わるようなもろもろな物事との出会いが肝要である。

砂にしみる水のように暗黙知が涵養される。

勿体を感知し、疲れを知らない子どものように我を忘れる

「仏道を習ふといふは自己を習うなり、

自己を習ふといふは自己を忘るるなり」

「身心脱落」一切同時現成なのである。

[第二自衛隊システム]の所以である。