09,8/27(木)晴れ
6:00前である。まだ部屋の灯りは点いていない。
朝の仄の灯りの中を看護師さんがやって来た。
術後翌日、導尿が外された。
循環器系を患った穂苅氏はその時の気分を「痛いい気持ち」などと嬉しがって云ったものだが、
「ハイ、息をふぅーっと吐いてください」
と看護師さんが云うもすぐに、尿道がずるずるっという感じで痛さばかりが残った。
それに残尿感はそのままになる。
叱呼行きたいのに、と云うと、まだしばらくは我慢するようにと、
オマルを用意してくれて、ベッドの手すりに引っ掛けた。
それから脛と太腿に巻かれていたフロートロンもはずされた。
検温=36.5、血圧=112-68、酸素濃度=96、
ゆうべは9時から今朝まで輾転としたがそれでも何とか眠ったようだ。
息子が差し入れてくれた伊藤園のお茶で含嗽をする。大分すっきりした。
これから手術する人、入院する人、治療を続ける人、病室はまたさまざまな今日が始まる。
追ほーい追ほいかけ声掛けて稲雀
鳥屋師とやしという山窩に近い人たちがいた。野鳥を捕ることを専らとする。
手にして鳥を追い立てる棹を追棹ほいざおと云ふ。
越後の十日町方面では雀など追うとき、ほーい、ほい、とかけ声を掛けるようだ。
松本たかしは昭和18年1月の俳諧詩『鳥屋師』で、
「すはや鳥こそ渡れ」「そよや鳥こそ渡れ」
と鳥と鳥屋師を失われていく郷愁の中で賛嘆した。
「黙もだ深く雲に息づく」とあった。
外表は陽の光は強いとはいへ次第に秋の気配が漂い始めている。
雷鳥の人や恋しく黙深く雲に息づく立山にこそ
もろもろのことを一気に思い出した。
妻の従兄弟の直也君は富山大学の環境経済学の助教授を務めているが、
傍ら立山連峰の雷鳥の生態を観察することをライフワークとしている。
立山が聳えて、そしてすぐに八尾の風の盆がやってくる。
舞う、止める、流す・・・胡弓の調べが闇夜に人々を誘う。
今日もすっきり晴れ上がっているが、上空にはしかし、もう秋風が吹き始めていることだろう。
うしろから秋風来たり草の中(渡辺水巴)
うしろより来て秋風が乗れと云ふ(高野ムツオ)
塀の下とかえのころ草の辺りにとか秋はほどよく来ていて、
虫集すだくさびしくも嬉しい季節になった。
病室にいるとTVの抑えられたかすかな音さへもしみじみと虫の音ほどに聞える。
子どもたちの歓声、健やかな夏休みも終りに近づき、
皆、たまっていた宿題に手を付け始める。
秋は“そよろ”なのである。
宿題のある子なき子にすいと来る(及川貞)
「すいと」はすいっちょ、馬追である。
キリギリスは「チョンギース、チョンギース」と鳴く機織。
病室のとりわき長き朝な夕な
虫めづる虫さへなくて月もなく
7:40になった。
(看護師)
「食事も摂れそうなので、こっちの栄養剤は外しますね。
こっちの抗生物質だけはまだ付けておきます」
「もう歩いても大丈夫ですよ」(患部を触りながら)――、押さえられると少し痛い。
平安時代の終わりごろに『堤中納言物語』は書かれた。
長い髪を「耳挟み」したお姫様はとりわけ毛虫のことが好きである。
毛虫を掌の平に転がして
「心深きさましたるこそ、心にくけれ」、また
「人はすべてつくろふところあるはわろし」、
お年頃の娘なりにああせいこうせい、眉黛やお歯黒、
「さらにうるさし、きたなし」と一刀両断。
すべて秋の虫のことで思い出したのだ。
「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ、
人はまことあり、本地たづねたるこそ、こころばえをかしけれ」
※感動詞「あや」の形容詞化した語と言われている。えらい、すごい。
山家赤人という人は「歌にあやしく妙なりけり」。
「人は夢まぼろしのやうなる世にたれかとまりて、
あしきことをも見、よきをも見思ふべき」。
Kさんは胃がんを患っているMさんに話しかけている。
「まあ、がんばりどころが一箇所だからいいじゃないですか」
「私なんか肛門をずらーっと開けられて、
女の先生がずーっと体押さえて体をずらしたりして、
大腸の7つのポリープでしょう、麻酔かけないで、
後で聞いたけど、肛門こんなに開けて、おもちゃみたいにねへ」。
Kさんの2度目の開腹手術は直腸がんであった。
「痛いの何回もやられたらかなわない。
痛さには強いと思っていたけれどこんだけやられたら悲鳴上げちゃう」。
豆腐売り秋の喇叭のしみ入りて
一瞬、聞えたような気がしたのだ。
昼食は――
鶏肉の梅味噌焼き大根おろし添え、花人参甘煮、ブロッコリー辛子マヨネーズかけ、
そしてふりかけとごはん。
食後は息子が差し入れてくれた伊藤園のお茶。
3:00娘が見舞いに来たので、ディルームに出かける。
胃がんのMさんが娘さん二人と奥さんに囲まれて、スイカをおいしそうに食べていた。
ディルームは賑わっている。
西陽とまではいかないが、強い日の光がディルームに射し込んでいる。
私と娘はカーテンを引いて窓際のソファに腰を下ろした。
「陣中の見舞い西瓜や西陽射す」
Kさん(ドクターと)――
「2,3日は一番痛かったですね、
ええ、でもあそこの管を抜いてからえらい楽になった」
「食事はどうでしたか」「今日はお粥でした、明日は3分ですね」
6:00夕食である。
ごはん、さんま塩焼き大根おろし添え、切干大根煮、澄まし汁。
胃がんのMさんはゆっくりと食事をなさっている。
「前回胃カメラ飲んだ時は、その前にポリープを切ったところは
白っぽくきれいになっていた。
でもその上に2箇所、下に1箇所、赤くなっているところが見えた」
(その時、「ああ、あれだな」と覗き込むドクター達)。
生検の結果、レベル5が二つ、レベル3が一つと云うことになった。
「レベル5って先生悪いんですか」・・・。
もう99.9%までみなわかっているんだよね。
胃の検査も大腸検査もとにかく疲れる。
大腸なんてなんか了るとぐったりしてしまうものね。
でも、煙草とお酒は止められないネへ。
両方止めたら生きているのヤンなっちゃう。
煙草は酒のツマミみたいなもんだもの。
それに得意先さんの営業で相手方さんがタバコ吸っていたら、
こっちが吸っていなかったら失礼になっちゃうもんね、
などと、だんだんとはずれて来た。
ɤgtp=800超えるともうだめだね、
もうタバコと酒以外は何にもする気になんなくなってしまう。
カミさんも云ってるんだ。
俺がそう云うと、
そうだよねへ、好きなこと出来なくなったらそのまんま生きていてもねえ・・・。
勿論本音ではないに決まっているだろうけれど、
それを証拠に今日、先刻ディルームで
美味しそうに赤い西瓜やら黄色い瓜などを食べていらっしゃったじゃないか。
ダメだったらね、みんなそのまんま焼き場に並んでもらったらいい、
と眼鏡の奥の眼は嘘かほんとうか、意外と静かに冷静であった。
二人部屋の差額がすごいんだ。
昨日大部屋に引っ越しておいでになったMYさんがお話に加わった。
月に30万円超えちゃう。うちのカミさんがね、ぶつぶつだね。
やっと大部屋に移れて一安心。
手術だって今のところいつになるか分からない。
検査、検査でおそらく来月の7日頃になるんだろうね。
私の場合ですか、喉頭がんですよ。
やはり飲み込むときゴツゴツしましてね、ああ、これかというわけです。
検査も上からだけじゃ分からないんです。
バリウム呑んでゴロゴロと色々に体を転がされて、
喉の上から下のガンの大きさが分かるんです。
看護師の糟谷さんが私の腕にかかった抗生剤をはずしにかかった。
「少し痛いですよ」
そうだよね、さっき見たら注射の刺さったところから管に血が少し逆流していたもの。
点滴の抗生剤も外す。
もう点滴棒を転がして歩かなくてもいい、身軽になったものだ。
「糟谷さん、みんなよくなったら、みんなで呑みに行こうね」とMさん。
「エエ、エエいいわねぇ」
糟谷さんは屈託のない笑顔を浮かべた。
「ほんとだよ、今日はね、たまたま居酒屋のご亭主と知り合いになった」
それが私で、実は曙橋の入り口でお好み焼き屋をやっていることをまた告げる。
「アラー、お世話になってますよ。女子医大の皆さんも」
「そうそう、大サービスさせていただきますよ、ガッツリと、
お世話になったんですから」
ナース、ナースみな可愛ゆくて秋櫻
病室や死と天秤のキリもなし
胃潰瘍の検査に行ったつもりが、胃潰瘍に胃がんまでサービスしてくれた、
とMさんは笑う。
意外とその割にはみな表情は明るく元気なのである。
まるっきりそれは空元気というわけでもなさそうだった。
人は或るレベルまで行ってしまうと少しああして妙に明るくなってしまうものなのだろうか。
私だったらもう限度なく慌てふためいているに違いない。
今日病室でお一人さんがご自宅に帰られた。
またすぐに戻って来るとのことである。
胃がん持ちのMさんがボソッと云う。
「糟谷さんだってみんな知ってるんだよね」。
それっきり会話は途切れ、
みんなディルームを出て病室への廊下を歩いて行った。
「お腹動いていますよ」
「歩いてますか」「歩いてますよ」
「ガスがまる一日でないとか吐き気があるあると心配ですが、
お通じは一日くらい心配ないです、
潤滑油みたいのがあるんですよ、こういうの入れておけば」――。
Kさんのベッドからである。
夜7:00くらいの病室は検温やら、血圧やら問診とにわかに賑やかになる。
Mさんのベッドでは、
「胃カメラ、造影の検査」(今週の土曜日)
「サービスして悪いところ全部取ってください」
「治すのが目的ですから、がんばりましょう」
「よろしくお願いします」。
ネブライザーのシュウーっという音が病室に続いている。
喘息は手術の難敵である。
私は持ち込んだ本を読んでいる。
(伊藤明夫著「細胞のはたらきがわかる本」)
女性は母親の胎内でまだ胎児の段階でその卵母細胞は減数分裂を開始し始める。
その数はおよそ700万個であるが、誕生時は=100-200万個になる。
月経は12歳ころから約40年間弱、排卵は=500に満たない。
しかし、こうしてみると女性が子孫を作り、種を保存している主体であることが分かる。
染色体は23対で=46本。
生殖細胞は減数分裂をすることでその受精した段階での染色体数の合理性を維持する
(減数分裂が実行されないと、受精・46+46→92本、親の2倍に)。
いずれにしても染色体が一種類=2本(1対)の場合、
減数分裂で→染色体は=1本でその種類は=2タイプとなる(2×1=2)。
つまり、対になっている2本の染色体は分けられ(減数分裂)、
どちらかを持つことにより(母親由来or父親由来)→半数、23本の染色体を持つようになる。
※精子も卵子も=23本の染色体を。
染色体1対(2本)で→2種類の染色体(母親由来と父親由来)
染色体2対(4本)で→(父・父、父・母、母・父、母・母)の=4種類(2×2=2の2乗)の精子や卵子が作られる。
同様にして
染色体3対(6本)→2×2×2=2の3乗=8種類。
細胞の染色体は23対(43本)であるから→2の23乗=約840万種類の
精子や卵子が作られることになる。
受精するとは――
女性の23本の染色体(840万種類のどれか)と
男性の23本の染色体(840万種類のどれか)との出会いであり、
その瞬間に新しい遺伝情報を持つイノチが作られる。
840万×840万=約70兆の異なる種類の出会いが可能であるが、
そのたった一つのイノチの可能性が受精(子孫を残す)である。
乳幼児から成人(約60兆個の細胞)へ、
その細胞のすべてにどれも同じsetの染色体が配置されていく。
2本で1対、23対46本(父親由来・母親由来)の染色体である。
そして、イノチがさまざまな形に発現(約200種類の細胞)するためには
=約10万種類種類のタンパク質が必要となる。
(遺伝子(約3万2000個/DNA塩基配列のたったの=2.5%)がタンパク質製作に対応…
人体の多種多様なタンパク質を構成しているのは、たった20種類のアミノ酸)
多様な中のたった一つの個性、イノチ・・・
――かくして命のただならぬ偶然性と奇跡と、その不思議さを感じる夜なのでありました。
夜は自然と更けてゆく。
ネブライザーのシューッという音。
ピンポン玉を吹き上げては落す肺機能レッスンの音、
TVの微量な音、咳や床ずれの音などが
看護師さんの廊下を行き交う音などに交じって聞えてくる。
一人一人が自分のベッドに身を横たえて、帰しかた行く末に思いを致す時間である。
Kさんは早くも大鼾である。
病室に季語さへなくて点滴す
大部屋ややがて鼾の夜や輾転
腕枕して朝までの長さかな
僕等はみんな生きている生きているから痛いんだ
控えめな屁が出てけふの了りかな
夜や泪腸はらわたしみるオイ癌め
白河を越えゆく舟の溺れかけ
丑三つや眠れぬ人の生欠伸
腹切って苦しき中に明け鴉
山岡鉄舟「腹張って苦しき中に明け鴉」辞世。
皇居の方を遥拝して没した。
輾転とするうちに明け方近くになってしまった。