江戸時代―情報文化は歩く速度で
「塵壷」は1859,6/7日に江戸を出発し、東海道から岡山、さらに四国、九州をまわった旅で、
幕末動乱の直前の、のどかで楽しい旅日記である。
この1859年の6ヶ月は河井継之助に与えられた彼の人生での休暇であったのではないだろうか。
この旅から戻ると、継之助は藩の重職に就いて働かなければならなかった。
(海野弘・著述家09,8/6日経)
河井継之助は岡山で山田方谷に会っている。
山田方谷は佐藤一齋のもとで佐久間象山と兄弟弟子(お互いに避難応酬の仲?)。
情報収集の旅には違いない。
しかし、この年の59,10月、橋本左内、吉田松陰死刑。安政の大獄である。
武士、町人
情報はどのように伝達されて来たか。
例えば佐久間象山は佐藤一齋(儒学)と江川太郎左衛門(砲術など)から学んだ。
一齋からは多分「格物致知」や「礼」や“熱気”のやうなものを、
太郎左衛門からはプラグマティズムや物理、“冷気”、つまりクールヘッド。
佐久間象山の塾生として
嘉永3年(1850)勝海舟
嘉永4年(1851)小林虎三郎、吉田寅次郎(松陰)、宮部鼎蔵(松陰の友、池田屋事件で死亡)
嘉永5年(1852)河井継之助、加藤弘之(後の東大総長)
嘉永6年(1853)坂本龍馬
嘉永7年(1854)橋本左内、真木和泉などなどだ。
象山のリベラルや開明は学問から来る。両方の徹底した学問からの世界の相対化から来る。
■しかし、幕末のころから明治維新に至るまで、日本の郷士出身者も含め、
トップの人たちがいつしか持つ「公」の概念とはなんだったんだらう。
次第にお殿様のため、じゃなくて「お国」のために変遷していく。
儒教にはどうも縦のラインが、“がんばる”があり、しょっちゅうテンパッテゐる。
武士の世界である。
一方、爛熟の町人の世界では仏教的感覚の方が上回っていたのではないか。
公平であり。平等(お釈迦さまの前では)の感覚とは肩の力を抜いた隠居文化である。
どちらかというと娯楽性に富み、息抜きの文化である。
武士には儒教が、町人やお百姓には仏教が情報として伝えられてきた。
尊王思想
幕末といえども庶民にはもはや天皇はうとい存在となっていた。
関心もそれほどあるということではなく、一般庶民には空気のやうな存在だったのだらうと思われる。
どこに仕舞いこまれ伝えられて来たか。
家康の秘策である。それは水戸家に“血の安全”保障として天皇家を残したのだ。
南北朝時代の『神皇正統記』(北畠親房)は水戸学に受け継がれ、
光圀のときから『大日本史』が編纂され始める。
明治の時代になってからもそれは続けられたというからもはやそれは執念に近い。
武家の社会でもそれが全くなかったわけではない。
神代の国は突然ポンと賀茂真淵あたりに古事記、日本書紀とともに取り憑いて来る。
それは本居宣長に受け継がれ、
平田篤胤で独自の解釈を生み(神道)、
幕末の高揚した尊王へととうとうと流れ込んだ。
いや、忘れてならないのはもう一人の放蕩者,頼山陽であらう。
朱子学(陽明学)を学びながらも、もはや幕府というがんじがらめの巨大な圧力に耐えられず、
芸藩を脱藩(1800年)、京都に潜伏していたところ見つかり、父春水の座敷牢に入れられた。
牢内で書き始めたのが、あの雄渾な名文で書き綴った勤皇思想の謳歌『日本外史』である。
『外史』は完成までに26年かかった。
勤皇のエネルギーになったが、その夢は、
わが子(頼三樹三郎)をはじめたくさんの犠牲者を未来に連ねることになった。
福沢諭吉
福沢諭吉は刻々と変わって行く。その根本にあるのは情報である。
福沢諭吉は1862年の2度目の洋行のとき、
上海の英字新聞で太平天国の乱や南北戦争について読み、新聞の威力を痛感している。
そして『西洋事情』に、
「西人せいじん新聞紙を見るを以て人間の一大快楽事となし、
之を読て食を忘ると云ふも亦宜むべなり」と書いている。
(北岡伸一・東京大学教授09,8/6日経)
1860,1/19日、咸臨丸で「ワシントンの子孫は如何」。
1862,1/1日、長崎出港。フランス、イギリス、オランダ、プロシャ、ロシア、ポルトガルを歴訪。
オランダ語から英語に転向決意。
1863年春、英語塾開校。
1867,1/23日、幕府の軍艦受取委員として再び渡米。
大量の英書を購入。これがトラブルを生じ帰国後謹慎となる。
1868,4月、慶応義塾開校。
自由民権運動
1874(明治7年),1月、板垣退助らが出した「民撰議員設立建白書」は、
『日真新事誌』に掲載されて広く知られた。
これに対する賛否両論は、『明六雑誌』などで展開された。
演説の場所や集会の場所などは新聞によって知らされた。
日本の民主主義は新聞や雑誌によって広められていったのである。
江戸時代の長い鎖国のなかで国民国家としての形成期、
均等化され地方化され醸成され、
農民のなかにでもみそひと文字や俳句をたしなむ程度は当たり前の文化レベルと、
読み書きそろばんの最低のリテラシーは普及していた。
settlementは居留地(横浜など)でも租借地(上海など)でもあるが、
米英仏ロシアなどがうっかり日本に手を出せなかった下地があった。
情報は価値であり、商品ともなるが、かっては文化を伝え、文明を担うところのものであったが、
いつしかそれは“ツール”として身近なものになっていった。
いきなり途中をはしょって、現代である。
歩く速度のものが、人体の生理を超えたスピードでかつ広範に処理される――。
社会の構造変化と社会学をほんとうは詳細に整理しなければならない。
以下(内田和成・早稲田大学ビジネススクール教授09,8/6日経)を参考に
情報通信技術Information and Communication Technology(ICT)。
ライフスタイルは変わった。
その典型が「待ち合わせ」、場所があいまいなままでも(情報)、不自由なく待ち合わせが出来る。
▶情報がリアルタイムに共有できるからだ。
■消費行動の変化、
「効用」は買い手の論理、納得、つまり自分に合った商品・サービスを安く手に入れようとする。
かっては企業の持つ情報の量や質は、企業規模や業績に大きく関わっていたが、
今は個人でも例えば▶一人の顧客さえ探すことが出来れば、
ネットによる経路は無数に無限につながり広がっているので、
▶規模の大小は関係なくなってくる。
「価格・com」やアマゾンのように装置を持たない産業構造が想像もつかない業績を上げている。
農業自身には▶価格発見機能はない。
ネットで顧客や生産者が結ばれることで新たな流通が生まれ、価格が発見される。
▶インターネットと宅配便が「生キャラメル」のようなローカルな中小企業でも▶全国展開を可能にする。
バーコードに▶金融機能を吹き込むことでコンビにでも公共料金が振り込めるようになった。
■その気になれば簡単に情報が得られてその意味では格差が消滅した。
しかし、▶情報の賞味期限がどんどん短くなっているので、
もはや情報を囲い込むだけでは競争優位は保てない。
■働く場所が必ずしも特定されないなど▶仕事内でのヒエラルキーが変わって来ている。
かっては基幹業務は=正社員、補助業務は=パートタイマーといったヒエラルキーが存在したが、
さまざまなアウトソーシングサービスなどが発達している現在、こうした図式は崩れている。
■広告費や販売促進費/マスマーケティングの手法では、量的な効果は測定しにくい。
しかしネット広告は、▶消費者の「クリック」に課金するモデルが定着し、
低予算で新規顧客を獲得できることを可能にしている。
■市場の変化も/LP→CD→携帯ネットへ。▶横の一体化では、複写機とプリンターの一体化、
これからはテレビとパソコンが歩み寄る。
写真ではアルバムから→フラッシュメモリーやネット上のアルバムも。
さらにそこから配信することも可能だ。技術の直線的発展ではなく、
▶横の他の技術との連携、例えば「写真をメールで送る」という新しい市場が誕生する。
■中間がなくなる/「東京ガールズコレクション」は映像のインターネット配信と携帯からの購買を可能にし、
▶ショーを消費者と直結させた。
お百姓さんが▶直接レストランへ卸すことも可能になった。
●価格決定は川上(供給サイド)から川下(消費サイド)へと移ったのか。
新しい価値・財貨は生まれた。便利さ増し、社会厚生にも資した。
豊かになったか、知恵は増えたか、幸せになったかなどなどが問題だ。
情報産業化と雇用
製造業は94年のころからまだまだ規模も大きくなり売り上げも伸ばしていたが、
生産性の更なる向上とともに雇用は伸びずじまいになる。
かてて加えてバブルの後始末もあった。三つの過剰を何とかしなければならなかった。
しかし、2003年から長い回復期に入っても製造業の現場はもはや新たな雇用の受け皿にはならない。
冷戦終了後の多くの東の参入者も加え、東西入り乱れてのグローバル競争とはそういうものだったのだ。
95年、ウィンドウズが発売される。
冷戦終了でアメリカの軍需産業や機関の多くの優秀な人材がネット分野やウォール街へ流れ込んだ。
2000年のITバブルははじけたものの、
しかし、ICT情報技術はもはや当たり前でユビキタス、
企業や交通や安全や生活のいたるところに進出し網羅され、
生産性が上がり人々の暮らしも便利になり、消費行動や市場に新たな変化をもたらした。
■雇用はどうなったかというと、「保有」から「利用」する経営へ。
トヨタ、GMしかり、あらゆるデパートは売り上げ減少の一途、
逆に装置を持たない「価格・com」やアマゾン、
または店舗システムでは軽装備なユニクロ辺りが伸してくる。
何を意味しているかというと、
ICTの普及は確実に構造的に人余りを促しているということになるのだ。
自宅に居ながらにしてクリックして、大きな利益を出した“Mrs 渡辺”などのニュースは耳に新しい。
いたるところで“人余り”、人のデフレ化が進んでいる。
雇用
社会に一番大切なことは「命の維持」つまり“お飯の種”を探すことで、それは雇用のことである。
そして労働の対価として人々は給料・賃金を頂くことが出来る。
自分も食べて、家族も養うことが出来る。
雇用はどうやったら増やすことが出来るのか。
■失業率増加➚、賃金・給与の減少➘→貯蓄率減少➘=消費不況。
今般、民主党さんは製造業派遣を一切禁止の方向でマニフェストを。
現在、製造業派遣労働者は=約47万人(2007年度)。
就業者=約6300万人、失業率=5.4%=348万人。
非正規労働者(2002年→2008年)=(約1450万人→約1750万人)と急上昇(=34%強)、
すでに3人に一人である。
最低賃金を=1000円にする。
全労働者に雇用保険を適用を掲げる。
雇用コストがかかれば企業は必然的に海外へ行くか、ないしは人を雇わなくなる。
雇用がなくなることこそが根本的な格差を生み出すもととなる。
やはり、一番大事なのは今日のおまんま、雇用をどうやって創出していくかである。
分配ばかりではなく、成長戦略を考えなければならない。
成長
安全網は「分配」のこと。
10万円支給付き職業訓練では機能しない。
給付付き税額控除とか「第二自衛隊システム」だ。
雇用創出に関しては「内」と「外」で考えるべきだ。
「内」(内需)は円高で低金利(量的緩和も考える)、
「外」はすでに中国サイドから始動している渤海経済圏をテコにする。
山東省から天津,大連、韓国の釜山――、
日本サイドでは北九州地方、から福井のコマツ辺りまで、国家プロジェクトで網羅する。
沖縄は台湾や上海、深圳、香港であり、さらに渤海経済圏と補完し合うよう金融、物流を含めて構成される。
富山、新潟、函館、小樽などは北朝鮮のいずれの開放を
(ほんとうは一番の当事者である日本がリーダーシップをとって)にらんで、
ウラジオストックから、バイカル湖、シベリア、サハリン辺りまでを網羅する。
貧しいとか不足しているとはそのまま成長する、ということであり、
そのまま利回りが発生するということだからである。
前提となるのは平和である。法の精神が一番上に来なければならない。