国の形
日本
「予防的攻撃」叫ぶきなくさくあやうきにまて大和なでしこ
小池百合子元防衛大臣、「先制敵基地攻撃」と「予防的攻撃」と。
田母神某は「攻撃力が抑止力。一発殴ったら三発くらいは覚悟しろ」とまたまくし立てる。
日本のGDPはまだ世界の=1割弱も維持している。
中国も日本も、アメリカも日本も、ASEANと日本も経済的に肉体化、内臓化している。
いまのところさしずめ米国が体の脳の部分か、だとしていまの世界経済のけん引役の中国が心臓、
インド辺りが副腎だとして日本は腐っても肝臓、広大なロシア、ブラジルは肺、
EUは似合わないけれどとりあえず胃袋だとして――。
しかし、今でもGDP=2兆円にも届かない北朝鮮は、
どう考えても皮膚の一部か、頭髪、ツメのごときがせいぜいであらう。
いつ、なくなっていただいても体の健康はびくともしない。
北朝鮮有事の時にそれぞれの国、地域がどちらを優位に考えるかは言うまでもない。
譬えて、世界の肝臓がなくなったらそれこそ世界がやっていけなくなる。
北朝鮮が“キレ”ないようにすることこそが肝要である。
安倍ちゃんも百合子ちゃんもブレアもブッシュも、戦後育ちはほんとうのリアリズムに欠ける。
困ったものだ。
ほんとうのリアリズムとはどちらかといえば経済のことだ。
フランスで航空ショーがあった。第二次大戦の往時の名戦闘機(ドイツのも)が空を舞った。
F22ステルス戦闘機は一機=約247億円。
百合子ちゃん、安倍ちゃんなどの軽々しきはまさにこの延長線上にある。
われらの大先達・高橋是清翁
(リチャード・スメサースト・米ピッツバーグ大学教授09,6/16日経)
高橋是清は1885年には、農商務省の高官にあてた書簡の中で、
明治時代の基本政策だった「富国強兵」に代えて「富国裕民」を提唱している。
軍事支出は非生産的で、産業育成に必要な投資が削られてしまう。
ワシントン海軍軍縮条約が締結された年には首相を務めている(1921-22年)。
米英日の5:5:3(主力保有艦の総排水量比率)でも、
国民一人当たりの軍艦コスト負担が米国の=4倍以上であることを高橋は承知していた。
世界を主導するのは米英両国であり、経済規模も潜在的な軍事力も日本よりもはるかに大きい。
そのような両大国に協力することは理にかなっている。
日本は対中政策で、米英主導の世界秩序の中で行動すべきだというのが高橋の考えだった。
もし日本が両国と戦争をしたら、負ける可能性が高いだけでなく、
両国がもたらす資本、市場、天然資源、技術から自らを遮断することになる。
政府の役割は金融・財政、租税、関税政策を通じて、
外交政策を決めるのは首相と外務省であるべきで、陸軍や海軍であってはならない。
他国が日本を軍事国家とみなすのは、
第一次大戦前のドイツに倣った参謀本部の存在のせいであると、
軍のシビリアンコントロールにこだわり、参謀本部の廃止を主張(1920年)した。
「富国裕民」とは資本を戦争ではなく産業に集中し、
税は累進課税(1922年に累進課税を支持)による
富裕層には高い税率、貧困層には低い税率を適用することで、
消費を活発にし、経済成長につなげるとし、
地方分権による受益と負担の地産地消の独自性と効率化と、
教育の機会均等と国立大学の民営化もまた主張したが、
特権と硬直化は組織、機関からリスクを奪いイノベーションを阻害するとの思いからだった。
しかし、財政規律へと「出口」戦略を実行し始めた(1935,1月、議会で軍事費削減を主張)
ころから陸軍による公然の高橋批判が起り、
1936年、悲劇の「2.26事件」へとつながる。
現在は日本の「失われた10年」を反面教師とするばかりではなく
「高橋の4年」をお手本とすべき時である。
経済はそしてこのように復活した。
1931,12月、犬養毅内閣で蔵相に就任(生涯7回のうち5回目)、
すぐに金本位制から離脱・停止し、円を切り下➘げた。
通貨供給量を増➚大させ、
金利の引き下➘げを行い、
32年夏には大規模な赤字国債の発行に踏み切っている。
直前の30-31年、浜口雄幸首相と井上準之助蔵相が
第一次大戦前の為替レートで金本位制に復帰したことで昭和恐慌に、
▲10.3%のデフレに振れた。
是清が蔵相時の(32-36年)は、実質GNP=6.1%、GNPデフレーターは=1.5%で、
物価は、戦費が拡大する38年まで、29年以下の水準を維持した。
(37-40年、インフレ率=11.9%)。
高橋是清はインフレなき景気回復を実現させたのだ。
よく考えてみて欲しい。
高橋是清が青春時代を過ごした明治時代は北朝鮮のテポドンの騒ぎごとではない。
世界は1900年ころまでにアフリカの全植民地化を完了し、
米国は西海岸へからハワイを過ぎ、それでもものたりなくて
1898年にはフィリピンまで植民地征服に父マッカーサーを送り出した。
1900年には列強の清国租借のあまりに義和団の事件が蜂起し、
富国強兵の日本は初めて山県有朋の下、中国に派兵、世界にデビューを飾った。
島嶼国日本が治外法権を回復するのはもう少し後である。
しかし、青年高橋是清は、世界がまだまだ帝國植民地主義の真っ只中の最中に、
1885年、国家に「富国強兵」ではなく「富国裕民」を提言した。
1889年、「帝国憲法」発布、
1890年、「教育勅語」ならびに、11/25日、最初の帝国議会が開かれた。
国家予算=8300万円と記されている。
われら高橋翁は、さすがとししか云いやうがない。
国家の根幹と自主独立性は「軍隊」ではなく「経済」(GDP)だと喝破していたのである。
やがて日露戦争の時でさえ、それに先立つ2年前、
戦費調達のためロンドンでポンド建て債を契約できたのも高橋是清ならでのことだった。
国家は経済が優先される。
たが、1921年のドイツ「バーデンバーデン」の陸軍将校の集まりの頃から、
雲行きが怪しくなってきた。
(※「ワシントン秩序」への反発も)
(※ほんとうは「5.5.3」が日本を守るばかりか、英米の戦艦建造の抑止にもなるということ)
(※平和の配当がどのくらいのものかクリントン政権の双子の赤字の解消をみれば理解)
第一誌世界大戦を顧みて、いわゆる「総力戦体制」「国家改造・軍制改革」となった。
軍部の軍事用語でいう“戦略”strategyは戦術に近く、
鋭才永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次、そして陸士では一期後輩の東条英機などは、
軍制改革とまだその頃でも残っていた藩閥打倒を訴えるのみで、
国家は究極的には経済で成り立っており、民草の暮らしは雇用、
つまり、需要サイドと供給サイドの同時的拡大、
そのための産業の傾斜的資本(外国資本も含めて)投下、
貿易市場、資源、技術(生産性)、為替、租税と再分配、
などのマクロに対しての全くの視点が欠如してしまっていたのだ。
陸軍的とはイコール=戦術的であって、今で言うその通り“目先”のことばかりであった。
歴史を振り返ってみれば、百合子、安倍ちゃんも含め、
“靖国”に群がっているごときのみなさまは、国家の根底と
何十万年という人類の歴史の方向性を忘れてしまっているとしか云いやうがないのである。
「朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、
其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ」(『本庄日記』)
高橋是清は体を三つに斬られた。享年81歳。
大正時代の“母性”は抹殺され明治の“父性”支配原理である「国体イデオロギー」の復活。
北一輝は『国家改造案原理大綱』をもとに浪漫を夢見るテロリストとなった。
井上日召は“一人一殺”を唱え団琢磨などを暗殺、
安岡正篤まさひろは「錦旗革命論」などと精神論に過ぎず、
軍部と一体になった右翼が重視したスローガンはこのころ、
「家族」「農業」「亜細亜」という三つの論点にしぼられ、
ますます近視眼的に逼迫の度合いを強め、
経済の生産性からは急速に遠のいていった。