上高地・明神まで

8:00に諏訪湖SAで待ち合わせる。ほぼ3台同時に到着。

みんな朝早起きの老人ばかりで、時間厳守この上ない。

わたしら夫婦はかみさんの実家、南アルプス市より、いくらかショートカット。

天気はやや曇りといったところか。

しかし、塩尻を過ぎて松本に向うあたり、前方に真青な空がまじるようになる。

東京は大雨だった様子で、心はいよいよ浮き立つのである。


8:35松本インター、R158を上高地方面へと向う。

道路はまあまあの混み具合、お天気は晴れた。

線路と並行して車は走り、やがて島々の駅を過ぎて山間の道へと入っていく。

道の両脇にはアカシヤの花が少し花腐しに咲き乱れ、

右手に島々ダムを過ぎてから道は左右にカーブが続く。

昭和8(1933)年に大正池までバスが走るようになったが、

終戦後、右肩上がりの経済が始まったころから電力の再開発が進められ、

ダム建設が勃興、道路事情も良くなったようだ。

堰堤の上を走る大きな奈川渡ダムは東京電力(株)が6年の年月をかけて1970年(昭和45)に完成。

ダムに出る手前トンネル内分岐、左に行くと明治の女工哀史あの野麦峠に至る。

車は直進して乗鞍高原ルートを左に直進さらにトンネルをいくつか過ぎ、

沢渡さわんどの駐車場に乗り入れた。

上高地には車規制があり、一般車はここまでとなる。


(9:17)タクシーに分乗(4人で4000円)、5人乗ればバスよりも安上がりになるとのこと。

運転手の松本さんは明るい調子で上高地のあれやこれやを説明してくれる。

伝説のマタギ嘉門次かもんじと宣教師であり名アルピニストであるウェストン卿のはなしなど、

またこの時期に上高地に咲き乱れる二輪草の滅多に見られない緑の二輪草のことなど、――

急勾配のトンネルを過ぎるとやがて左に焼岳がどんと眼に入ってきて、車は大正池に到着。

湖畔にて写真撮影。しかしこの池も昭和37(1962)年爆発以来、

土砂の流入や雨の災害で次第にその池の形も心細い有様になっているようだった。

「ほら、あの枯れた木などは池の中に立っていたんですが」

と松本さんは対岸のカラマツの林の中に白く突っ立つ枯れ木を指さす。

池は次第に自然のなすがままにただの川になっていく。


9:46)上高地到着、タクシーを降りて、りっぱな舗装路を合羽橋に、

花はラショウモンカズラが迎えてくれる。


「亭主の好きな赤烏帽子」-ラショウモンカズラ

合羽橋界隈はもう大変な賑わいである。橋の上は人が引きもきらない。

ただ橋の向こうに見えるはずの穂高の山稜はまだらに雲がかかり残念ながら見えないのだった。

五百樹くんが携帯の充電に、わたしらもトイレに行ったり(トイレは非常に清潔である)、

ベンチに腰を下ろし、しばし梓川の清流を眺める。

水流の岸近くには鴨の番が。鴨はお尻を振りふり足元までやってくるが、逃げない。

10:20)清水橋を渡って、小梨(ズミ)の白い花の木下を明神に向う。


「亭主の好きな赤烏帽子」-小梨


10:26)なんだろう白い花 ?

「亭主の好きな赤烏帽子」-白い花

すぐに二輪草の群々が路の両側にあきれるほどに咲き乱れ、

しばらくするとそれはもう当たり前のことになった。

「カッコウの声の小梨の平かな」。

花は他にツクバネ草エンレイ草


「亭主の好きな赤烏帽子」-ツクバネソウ

10:40シナノ木の大木がある。説明書きに

「樹皮が柔らかくて強く綱や紙などに用いてきた。

長野県以北の温帯におおく分布、朝廷は京都に最も近い長野県から紙を献上させ、

信濃の国名はシナノキが多いので名付けたと言われる。

シナとはアイヌ語で結ぶ意味」となん。

道々にエンレイ草がけっこう目立つ。よく見ると花ひらが三角にかわいい。

「木漏れ日やエンレイ草にかしずかむ」

なんていったって“延齢”草なのだ。

「亭主の好きな赤烏帽子」-エンレイソウ

雲が切れてきた。

右手に梓川がきらきらと輝き、その向こうに明神岳が全峰を立ちあらわしてくる。


「亭主の好きな赤烏帽子」-明神岳と白砂 「亭主の好きな赤烏帽子」-明神岳と緑の林

路が川原に近く、崩れた花崗岩の砂礫が陽にまぶしい。

右手の林の途切れ途切れに春蝉の鳴くのを聞いたような気がする。

「明神に神在ましませば春の蝉」。

花はサンカヨウが、葉の真緑に真っ白な花が中央にかたまる(10:56)。


「亭主の好きな赤烏帽子」-サンカヨウ1 「亭主の好きな赤烏帽子」-カラマツソウ

他にカラマツ草の白も可憐に。


11:13)右斜面上にイワカガミの一群が、

11:15)右の崖の上にいまが盛りと石楠花の淡いピンクが見られる。


「亭主の好きな赤烏帽子」-石楠花3輪
「亭主の好きな赤烏帽子」-明神岳と小梨

11:21)明神館着。小梨の木が花を満開に咲かせている。

満開の花枝の間から明神岳が望まれる。一服の画、ビューポイントなのだ。


トイレに行こうとして右手に数人のかたまりが、

山芍薬が白い花をひっそりと他の山草の間に咲かせている。


「亭主の好きな赤烏帽子」-山芍薬

ここのトイレも非常に清潔であった。

少し休憩してそのまま直進、路の両端はずっと二輪草に飾られている。

「山路来てあなたとわたし二輪草」

少しだれてきたのかもしれない。これじゃあまるで歌の文句だ。

「いわなぁ云ってきかせあしょう」

と穂苅さんが、今夜のおかずにもしも岩魚が出なかったらと駄洒落る――、

みんなしょうがないなぁ。


11:34)分岐。道しるべの右は徳本とくごうへ。

そちらの方に二輪草のたいそうなポイントがあるというのだ。

一群のカメラの放列に出会う。

見ると左の斜面に見事な石楠花の群落が斜面を駆け上がっていく。

みんな立派なカメラばかりだ。

腕組みをし、いい光の一瞬が訪れるのを待っている。風流な人たちだなぁ。

薄紅色の花叢の点々が頭上へと降ってきそうな感じである。


「亭主の好きな赤烏帽子」-石楠花と放列

「石楠花や山にしあれば蓮華かな」

「石楠花や陽が差すほどを待つをのみ」

「石楠花の薄紙ほどの桃色に」。

20分ほど行って原生林の中に木漏れ日て、

二輪草の大群落が路の左右に広がっていた(11:54)。

この路は人通りもなく静かな森の気配が辺りを覆っている。


「亭主の好きな赤烏帽子」-徳本峠へ二輪草群落

昔は島々から徳本峠を越えてくるこの道しかなかったという。

ウェストン卿は徳本峠に立ち、前方の峰峰に歓喜の声を上げた。

毎年400頭もの牛が放牧のためこの峠を越えて徳沢園にやってきた。

だが河童橋の方へと上高地が開発されると今ではこの路を利用する人は少なくなったようである。

あとで宿で聞いた話ではあるが、徳本峠を越えてきたご婦人は、

島々から歩くだけで9時間くらいはかかった、と言うのだ。そ

れに峠近くは大変雪渓が残っていて、思いがけない難儀に出遭った。


またもと来た分岐点に戻り(12:16)、徳沢園を目指す。

道の下方に二輪草の大群落が柳の大木の林の下に続く、

しばらく行ってまた右上の崖に石楠花

「石楠花の崖をうるほす陽の光り」、

梓川を左下に見て小梨(ズミ)の花枝、


「亭主の好きな赤烏帽子」-小梨と梓川
「亭主の好きな赤烏帽子」-サンカヨウ2 「亭主の好きな赤烏帽子」-ツバメオモト

サンカヨウ、それに少し路が登りになった左側にツバメオモトが咲いていた。

ラショウモンカズラの紫色が白い花々の間を慰める。


ここいらあたりの樹木の様子を看板で説明してあった。

「このあたりは河床が安定したきたのでヤマハンノキハルニレ、ダケカンバなどの高木の下に

ウラジロモミジ、コメツガ、トウヒなどの幼木がたくさんある」とあった。

樹木は河床の中にあって進化し、入れ替わり、次第に棲み分けていく。


木バラの薄いピンクの小さな花が道端に(12:47)、

思わず見過ごすところばかり、しかし歩を止めてよく見るとこれも可愛い、


「亭主の好きな赤烏帽子」-木バラ 「亭主の好きな赤烏帽子」-エゾムラサキ

そして蝦夷ムラサキ(忘れ名草とも)は

河原ナデシコのような花穂に似た点々を道の端に紫色に愛敬を散らす。

ベニバナイチヤクソウの一叢があった。

薄紫というか紅色に近い粒状の身なりが茎の両サイドに傘状にグラディエイトし、

夏に向って花と咲くのを口を結んで貯えているといった感じがなんともいえないのであった。


「亭主の好きな赤烏帽子」-ベニハナイチヤクソウ

せせらぎがすぐそばに、お腹が限界を告げる。

ベニバナイチヤクソウを見て踏み分けたほんの径を梓川の畔に出る。

ジャ籠伝いに日影を探し、ランチボックスを開く(13:00)。

唐揚げ、ゆで卵、山菜おこわのおにぎり、枝豆に、初物唐黍、糠漬けの大根と茗荷筍、

ビールは冷凍枝豆の隣で冷えていた。

五百樹くんからチーズもいただく。

穂苅さんはこんなときでも携帯ハンドブックで花々の名前探しに余念がない。

13:40)ランチ発、再び徳沢園を目指す。

13:51ミツバツチグリの黄色。葉が三つ葉になってランナー(走出枝)で増えると図鑑には出ている。


「亭主の好きな赤烏帽子」-ミツバツチグリソウ 「亭主の好きな赤烏帽子」-徳沢園手前白い花

小梨の花枝またチラホラと、先の方に色とりどりのテントが見えてくる。


「亭主の好きな赤烏帽子」-徳沢園テント 「亭主の好きな赤烏帽子」-徳沢園二輪草

広大な敷地に二輪草の叢があちこちに展望する。

そして敷地にはハルニレの巨木が点在するのである。

この大きな空間はまるでメルヘンそのものであるかのようだ。

そこにしばらく静に佇まうと、

空間がおのずと物語するかのように人はたちまちその風景のひとつへと溶け込んでしまう。

徳沢園到着(13:59)。

たとえば女学生座りをするご婦人が二輪草の花叢を背景にハルニレの巨木に寄りそう、

それを相方のご婦人がカメラに収める。

何も不思議はないのだった。

ゆるゆるとテント広場を歩み、徳沢館に行きかかるとウワミズ桜が眼を白く朧にした。


「亭主の好きな赤烏帽子」-ウワミズサクラ 「亭主の好きな赤烏帽子」-キジハトと二輪草

そしてその先になにやら二輪草の間に動き回るものがあると思えば、

キジバトがさかんに二輪草の花を啄ばんでいるのであった(14:22)。

「キジバトの眼は耿耿と二輪草」。

炯炯とも云えさうな野生の赤いルビー色。


先を急ぐ。

タクシーの運転手の松本さんは確かにこの先の新村橋を渡った辺りに

緑の花弁を持った二輪草が群生していると云ったのだ。

それを確かめねばならない。

いささか疲れも募ってきてはいたが、その道筋はツバメオモトが慰めてくれる。

14:35)新村橋に至る。

もうこの頃になるとこの道筋も登山の人影もぐっと減って、すれちがう人とてまばらである。

お天気は再び薄曇となり、新村橋を渡りかけると常念岳が見えるか見えないかであった。


神は穂高に遊ぶ。

我が友五百樹くんはなにを思ったか吊り橋上で身を捩って一回転をした。

あやにくにリュックから登山ストックが飛び出て橋下に落ちた。

まるで遊ぶがごとく、ストックは水流が少なきたまりにきれいに沈んだ。

まるで童話のお話しのようだった。

「亭主の好きな赤烏帽子」-ストックが 「亭主の好きな赤烏帽子」-新村橋より

吊り橋のアンカーとなっている岸辺から五百樹くんは河原に下り、

無事にストックを回収しわれら橋上に向って万歳をする。

橋上橋下であった。その間も

「渓声便すなはち是れ広長舌/山色清浄身に非らざること無し」

「水流に豈あに意なからんや」――、

仏さまの声(:偈)でないものはないかの様子であった。

吊り橋に猿候の糞が企まれ、我らは一旦は橋を渡るが

この先涸沢方面の案内板を前に引き返す。

水音も、猿の糞も、見えるか見えないかの常念岳も、

橋の上でたった今すれちがった老夫婦もすべてが広長舌相、

四方上下の仏の相のごとき在って無きがごときのまぼろしの一瞬なのであった。


さらに横尾山荘に向って歩きかけるが緑色の二輪草は諦めて戻ることにする。


「亭主の好きな赤烏帽子」-二輪草の赤味 「亭主の好きな赤烏帽子」-三輪草

徳沢園(15:17)。若者がランニング姿で休息している。

聞くと奥穂高から下山して来たとのこと。笑顔が爽やかである。

短い休憩の後明神館を目指す。

15:18)森のムーミン

「亭主の好きな赤烏帽子」-森のムーミン

右側に河原が広く開け、左側が崖状のところで、猿が河原を三々五々移動しているのに出会う。

振り返ると常念岳に雲が晴れた。

「猿出でて常念岳に霧が霽れ」。


「亭主の好きな赤烏帽子」-猿 「亭主の好きな赤烏帽子」-大根草の株

河原に株状に咲く大根草の黄色、猿が渡っていく水の色にもすでに陽の色に夕日が滲みはじめた。

15:57)ツマトリソウ

「亭主の好きな赤烏帽子」-ツマトリソウ

陽はまだあたたかくもあったが我らは歩を早め、

16:31)無事に今日の泊まりの宿、明神館に到着する。

小梨の花が夕景近く一層明るみを増したかのように輝いた。


「亭主の好きな赤烏帽子」-部屋から小梨

万歩計は=約1万5000歩を指す。

お風呂は清潔で気持ちがいい。

脚がじんじん、たちまち疲れがほどけてゆくよう、

風呂場から夕影に溶けてゆく明神岳が見える。

夕食は6時から、

生ビール大ジョッキ=900円、大瓶=800円、いいちこボトル=2,500円。

岩魚塩焼き、天ぷら、山菜瓶詰め、カツ、・・・

消灯は9時半、後は館内は常夜灯のみ、

テレビ、ラジオの類は食堂にも部屋にもなし、

部屋でボトルを飲んでいるうちにいつしかうつら、桃源郷の世界へと・・・。