★国の成長力と競争力

成長はGDPで語られる。

成長とは供給サイドと需要サイドの共にの拡大である。

国は税金で成り立っており、将来にわたる国民の担税能力に関わっている。

税は企業の法人三税や消費税、所得税や住民税等々、

いずれにしても景気や成長が見込まれないと税収は減ずることとなる。

税収がピークだったのは90年代初頭、バブルはすでに過ぎつつあったが国税の収入は=60兆円を超えた。

しかし、現在はへたすれば=40兆円を割り込むかもしれないというのだ。

企業も家計も国家もみんな赤字に陥りつつある。

企業は需要を喪失し、在庫圧縮、設備も財務も雇用もリストラをいそぐ。


イソギンチャクやタコや軟体生物のやうに、

リラックスしてのびのびと手足を伸ばしてエサ取りに遊びに夢中になっていたのに、

急激な外界のショックで伸ばしていた触手も手足も縮めてしまった。

こんなんじゃ危なくてしょうがない、しばらくは大人しくして様子を見ていよう。

金利はゼロ近辺に下げられた。

しかし、どんなに政府が信用供与をマネーサプライを増やしても、

民間は少しも借り入れに向おうとはしない。

笛吹けど踊らずだ。需要もないのに設備投資なんかできるか、危なくって仕方がない。


再び政府の出番となった。

国内のデフレギャップ(売れ残り)は数十兆円に及ぶというのだ。

なにしろみんな縮こまっちゃって買わないし外にも内にも売れないんだから仕様がない。

企業では海外の需要喪失が一番の痛手となった。

かてて加えて年初からの円高傾向。踏んだり蹴ったりである。


さて政府の09年度の予算では、プライマリーバランスで23兆円赤字になる。

借り換えだけではなくさらに借金を積み増すということになった。

仕方がないのだ。民間はさっぱり踊ろうとしない。

政府自らがケイジアン、財政出動、

この場合は政府支出がイコール=需要創出になればの話であるが

23兆円が民間に成り代わっての肩代わりになる筋書きとなった。


供給サイドと需要サイドで考える。

消費サイドは長期のデフレが続いている。

消費に結びつく施策としてまずは減税と安心。

消費とはまた雇用でもある。雇用はまた所得ということになるが、

この所得に関して国民の平均所得額を割り込む(貧困線)所得層が6割を占め、

世帯で400万円未満の世帯数が=約26%弱である。

消費を健全なものにするためにはいかに中間層を増やすかということと、

標準世帯形成期(30代から40代の人口がどのくらい可処分所得を得られるかにかかっている。

むろんこれらの人たちを対象とした住宅なども含めた減税などのインセンティブも大事な政策となるだろう。

非正規=37.8%を超え、

ニート=62万人を超え、

フリーターはゆうに=200万人以上

65歳以上がもう間もなくで=4人に一人ということになる。

低成長率などというものではなく日本はもうほんとうに崖っぷちではないのか。

さて政府の今回の施策のほとんどが実際は供給サイドに関わっている。


企業は利潤を前提としている。

国は信用を前提としている。

利潤が生まれなければ株価は下がる。利潤がなければ正義ではない。

付加価値を生み出すことで共通善が達成され、

雇用を満たし賃金を支払い、

納税を果たすことで法人格が与えられているわけだ。

本来は善的であるものがなんで時として不善を為す(たとえばリストラ)ことになるのか。

資本主義と市場が正しく機能するためにはどうしたらいいのか、また整理整頓しなければならない。

事故が起こったからといって飛行機を全くなくすというわけにはいかないのだから。


企業が納税を果たすためにはその根幹として企業は利潤を上げなければならない。

企業のの利潤はどこから導き出されるか。

たとえばそれは競争力かもしれない。

製品が売れて付加価値が生み出されなければ利潤に結びつかない。

1982年、オランダの「ワッセナー協定」は

国家(減税)、

企業(雇用維持)、

労働者(賃金抑制)の結果、

企業は世界市場において競争力を得た。


金融の役割はどうだらうか。

金融とはそもそも企業の付加価値を高めるために触媒作用の役割を担わなければならない。

企業の資本構成の再構築を促すためには幅広い情報価値の提供とか、

あるいは投資ファンドに見られるやうに、

ある種のガバナンスでもって企業に眠っている資産を揺り動かし、高付加価値に持っていく。

そして、売りぬくのではなく顕在化のお手伝いをする。

しかし、それらの投資会社投資ファンドをいま日本社会は羨望と嫉妬で引きずり落そうとしているのも、

どこかのなに某といふ大臣だ。

市場の価格メカニズムを通じた資源配分は、官僚による資源配分より優れているのは当然なのに。


日本は高度経済成長期に政策金融を活用し(傾斜生産)、電力や鉄鋼などを発展させてきた。

その結果、産業構造の転換に成功した。

だが、政策金融の効果を問わず、まず「民営化ありき」の議論を進めてしまった。

今の経済状況では民間銀行が新産業に資金を出しにくい。

市場での資金調達にも限りがある。

官業の民業への圧迫の懸念というが、社会資本整備や新産業育成への融資は公的部門の役割だ。

二つの金融を巧みに組み合わせることが重要だ。

(神野直彦・関西大学教授09,5/27日経)

という意見もあるが、

70年代、政治的イデオロギーの終焉と「モーレツからビューティフル」へ、

先進国世界のスタッグフレーションを尻目に市場経済を駆け上がっていく。


80年代初頭から90年まで日本の雇用者報酬は約300万円から→約500万円とすごい上昇であった。

一方、企業の労働分配率はおどろくほど抑えられている。儲けが出た、ということだらうか。

79年「ジャパン アズ ナンバーワン」というわけだった。

企業が第一次オイルショックを胆に、雑巾をフルに絞って筋肉質に、

燃費の良いのは太平洋を越えて輸出される自動車ばかりではなかった。

55年体制、角栄さんの社会主義的地方分配作業も有効に効いたのだ。

中流が大きく育った。

87年に日本が一人当たりのGDPで米国を追い抜いて1番になったときバブルは加速し、

98年に米国に再び追い抜かれた時、欧米のバブルが加速していく。


政治が有効に効いて、政治が強かった時代は派閥の時代でもあった。

しかし、話しをいったん現在にすると、もはや有効再分配の「55年体制」の時代は終わった。

いやとうに終わって機能してないばかりか、

政治こそが国の発展を阻害し始めていたとみるべきだらう。


なにしろ配分する果実がなくなってしまった。

「55年体制」下の自民党は

経済成長の果実を補助金や公共事業によって地方に配分する役割を担ってきた。

成長があるうちはいいが、成長がなくなってしまっている今はどうするのか。

配るものがないとて小泉内閣は“自民党をぶっつぶす”と

郵政民営化と公共事業削減の大鉈を振るった。

自民党に見捨てられたとする地方は、今度は小沢一郎なるものにより、

07年の参院選で民主党が圧勝した。

しかし、中央が地方に何かする時代は終わったのだ。


“めざし”の土光さんや中曽根さんが頑張って国鉄の民営化が実行された。

分割されたJRなどは1987年4月1日に発足する。

中曽根首相はその後、国鉄分割民営化の真の目的は、労働組合の解体にあったと述べている。

国鉄労働組合(国労)の解体。国鉄とJRは別会社とし、

JRに国鉄職員の採用義務はないものとして、国労組合員をJRから意図的に排除した。

当時の国労は10万人以上の組合員を抱える日本最大の労働組合であり、

野党として大きな力を持っていた日本社会党(現社会民主党)の

主要な支持母体である総評の中心的な存在でもあった。


欧州はドイツなど中心にソーシャルという概念が強く、従って労働組合も強い。

英国は79年に首相になったサッチャーさんのもと、労働組合が解体されていく。

ウィンブルドン効果もあって、みるみる英国病は退治されていった。

市場の選択はもう世界の潮流になっていたのだ。

中国の鄧小平さんの“白いネコでも黒いネコでもネズミを取ってくれるネコがネコだ”、

ベトナムでも「ドイモイ政策」が始まった。