★国の選択・意思決定
いつでも選択自身はそんなに難しいことではない。
ただいつでも抵抗勢力というものがゐて、意思決定が歴史的時間の中で右往左往する。
さらに悲しいことだが我々は行政も含めて大概は
どういふわけかアンハピーな方を選ぶ傾向があるやうだ。
論点を整理しよう。たとえば戦前ならば「戦艦大和」ですか「飛行機」ですか、であり、
現在ならば「高速道路」ですか「港湾コンビナート」や「ハブ飛行場」ですか、ということになり、
さらには「老人」ですか、あるいはこれからの「子供たち」ですか、ということになる。
また近々の定額給付金=約2兆円に関していったら、
小林虎三郎の言を俟つまでもなく「コメ百俵」の譬え通りだらう。
老害は忘れたころにやってくる。
東郷平八郎という神様になっちまった偉い元帥がおったさうな。
ワシントン条約(1921年)にもちょっかい出した。
まさか神様になっちまったお方には表立って「ノー」とは云へない。
「5.5.3」に文句を云いだす精神論者、軍人がおって、
戦はGDPでするものよという古今東西の原理原則が国の隅へと追いやられた。
ただ、笑い事ではないのである。
太郎ちゃんの国では今まさにそのやうなことが、
しかも大真面目に真剣に選択されかつ推し進められつつあるのだから。
意思決定の根本的な不明瞭さとは何に起因するのだらうか。
「第二次世界大戦は」と訊くと
「いろいろなことが打ち重なってさ」とか
「新聞がさ」とか
「いや、我々一人一人にも責任があるのさ」とかになり、
「風が吹けば桶屋が儲かる」風で、
責任の、最終の意志決定者の、組織の顔が見えてこない。
遠い、高い、不便だ、の成田飛行場だって誰かが一番最初に云ったんだらう。
今日始まった(09,5/21日)の裁判院制度だって必ず最初に言った人がゐるはずだ。
ただしかし、それらに対しての説明責任がトンと見えてこないのである。
相変わらずのお上の「由らしむべし 知らしむべからず」
(「論語」泰伯から―人民を為政者の施政に従わせることはできるが、
その道理を理解させることはむずかしい) の不遜さが感じられるばかりだ。
結局戦争の時もそうだったが、成田も、裁判院制度もいつ決まったのかもさへ分からず、
あたかもそれは所与のものであるかのやうに国民は受け入れるしかない。
世界の七不思議といわれている戦艦大和。
戦前の意思決定の最悪の一つの例として私はいの一番に挙げたい。
その戦艦大和は1937,11/4日、に呉海軍工廠において起工された。
盧溝橋事件、日中全面戦争へ突入の年だ。
悪夢のやうな大鑑巨砲主義だ。
山本五十六さんははやくから飛行機の時代を指摘、出世街道から外される。
1942,5月、ミッドウェー海戦には出航している。
ただ幻の主力艦としていつも温存され、以来海戦ではただの一度もまともに戦うことさえなく、
あげく、1945,4月、沖縄戦では海上特攻の使命を帯び、
山口・徳山沖を水杯で出航、豊後水道を南下し、日向灘を抜け沖縄へと向うただその先で、
魚雷やら飛行機の爆撃やら雨とあられに散々に、
46サンチ砲は無用の長物となり、
ただ乗員は最後までもののふの敢闘すさまじく、
しかしついに最後と=約3000人の尊い命とともに水漬く屍と海原の底へと深く沈んでいった。
「ここに海上特攻隊を編成壮烈無比の突入作戦を命じたるは、
帝国海軍力をこの一戦に結集し、
光輝ある帝国海軍海上部隊の伝統を発揚するとともに、
此の光栄を後に伝えんとするに外ならず。
各隊はその特攻隊たると否とを問わず
愈々殊死奮戦敵艦隊を随所に殲滅しもって皇国無窮の礎を確立すべし」
これじゃあまるで、今の北朝鮮じゃあありませんか。
大和艦橋にいた学徒兵吉田満(22歳)の『戦艦大和の最期』に次の記述がある。
「コレヨリ敵地ニ入ル 右ニ九州 左ニ四国 シカモ制海制空権ヲ占メラル」
「死ハスデニ間近シ 遮ルモノナシ
死ニ面接セヨ 死コソ真実ニ堪ウルモノ
コノ時ヲ逸シテ 己ガ半生 二十二年ノ生涯ヲ総決算スベキ折ナシ」
ああ、何ということだ。
「死者の眼差しは不変だが集まるぼくたちが次第に姿を変えていく」
野見山暁治(1997年「無言館」開館)
安倍何某というむかし首相だった人に聞かせてあげたい。