★心性と宗教的需要

そして、あるいはもう不安な時代に突入していたのかもしれない。

都会では猛烈な勢いで創価学会が信者獲得に動き出し、夜な夜な折伏に上がりこんでくる。

東大安田講堂の攻防、新宿騒乱、ベ平連、花園神社には芝居小屋がかかり、

新宿東口では髪の長いわれわれビューティフルチルドレンがフォークで反戦を歌う。

タウンミーティングはいたるところで、風月堂で、ションベン横丁で、西口ボルガで、屋台で、

新宿どん底で、ゴールデン街で夜毎に繰り広げられ、少女、少年は自らの言葉に酔った。

一方で、ダグ・ディグとかビィレッジゲートとかの Jazz喫茶では、

子供たちはまっ黒になって暗がりでジャズを聴いていた。

ビリー・ホリデーからモダンまで、でもこの人たちはどちらかというと無関心というのではなく

世間からなんとなく意識的に距離をとろうとしている風だった。

一見、禅僧のやうに聴いてゐる奴もいるにはいたが、

でも右も左も男も女も心ではみな助平だった。


集団就職で上京してきた若者もいまではやっと生活の足がかりを都会に得、

ようやく人心地をついた。

だが、若者たちの心を横につなげる何かが足りなかったのだ。

学生たちはヘルメットにカク棒でこと足りるが、

一般の若者たちも、大衆も、経済の急激な右肩上がりに翻弄され、

何かに決定的な価値を見出せないまま、不安で孤独に疎外されていたと思う。

心の隙間を奪うやうに一方では宗教の時代がやってきていた。

マーケットはいたるところにある。

ニーズはあり余るほどで宗教は売れに売れたのだった。


宗教の根本は「苦」であらう。

しかし手軽に心のケアを嘯いて人々のこうした心の空白に一挙に取り込んでくるのは

怪しげで卑怯千万ではないか。

昔からそして宗教は時代の先鋭たる前衛でもあったのも確かだが、

さかのぼった時代の飢えとか死とかの確実性に対して、

いまあるのは芥川龍之介の「漠然とした不安」、

死ぬことは決してないが死ぬほどに退屈でざらざらしていて、

真綿で締め付けられるやうな心の痛み、

ないしは物理的過剰からくるあらゆるところでの人間性への圧殺、などなどで、

後に起るサリン事件(1995年(平成7)3月20日)にみられるやうに、

それらの事件はあまりに必然的であるゆえに、

なにかしら「ああ、またしても宗教にしてやられた」という空しさに落ち込む。


いつどこでそれらが始まっていたのかは分からない。

ただタネは撒かれ、深く静に暗闇の中で、いやひょっとしたら逆に

あの耿耿と24時間輝くコンビニのやうな明るさの中でこそ醸成されたのかもしれない。


連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤(1988,8月22日に第一の犯行)、

酒鬼薔薇聖斗事件(1997,5月の神戸小学生殺害事件)

「さあゲームの始まりです・・・

ボクは殺しが愉快でたまらない

人の死が見たくて見たくてしょうがない

汚い野菜共には死の制裁を

積年の大怨に流血の裁きを」


イデオロギーや貧困とか分かりやすく根拠律がはっきりしてることが原因での事件ではなく、

脈絡もなく、意味不明で、気持ちが悪く、おぞましく不快であるそれらの一連の途切れのない事件が

次第にこの国でも常態化してくる。


79年「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のころは調子が良かった。

日本はぬれ雑巾を絞れるだけ絞って勤勉な筋肉質な体質になっていた。

絶好な車が太平洋を渡ってアメリカに流れ込んでいく。

「カンバン」「系列」「品質管理」「年功序列」「長期雇用」――などが有効に功をなし、

日本のGDPはアメリカに次いで世界2位になり、日本人も国も自信にあふれていた。


83年「おしん」ブームで始まる。

お茶の間で主婦は涙をしぼり、古きよき時代を懐かしんだ。

そしてこの年、東京ディズニーランドが浦安に開園したのも象徴的なことである。

行政では、中曽根内閣の下で行革の「メザシの」土光さんが骨太の明治の真骨頂をみせ、

国鉄などが民営化されていく。

85年は日米の貿易摩擦やまたしても米国の双子の赤字に泣きつかれ、

9月、G5会議「プラザ合意」で円高・ドル安を容認。

会場には鷹揚で傲慢な竹下蔵相がいた(日銀は澄田智総裁)。


そして「カネ自体が病んでいる」時代への突入である。

「一億総財テク」の時代が始まり、失礼な話し、

お掃除のおばさんまで不動産を買いあさるやうな時代になっていく。

6/15日に豊田商事の永野一男が滅多に刺され死ぬ。

6/19日、投資ジャーナルの中江滋樹が逮捕される。

そして最悪な事件が起きた。飛行機はダッチロールを繰り返し、御巣鷹山に墜落、

犠牲者520名の中にはあの笑顔の明るい坂本九ちゃんがいた。


88,11月、竹下登さんが首相になり、得意満面はとどまるところがなかった。

「ふるさと創生」と余裕のばらまき行政、

国政のトップがそんなもんだから国民もタガが外れたやうに我先にバブルにいそしんだ。

しかし、昭和もいよいよ最終章へと近づいていく。

「楽をして文化が出来るわけがない」と明治の気骨を貫いたメザシの土光さんが亡くなる。

バブルが深く進行しているこの時代に

わが国の財務次官・行天豊雄さんはコニャックと葉巻にはまっている(「私の履歴書」)。,

ネコも杓子もということは政界までを汚染、

「リクルート事件」が起き、政府の要人までからむ大スキャンダルとなった。

「上がるから買う。買うから上がる」がさらに続いていく。


えらい事である。

89,1/7日昭和天皇がついに崩御なされた。

美空ひばりも亡くなる。戦後、高度成長を歌謡曲とともに歩んできた、

嬉しいにつけ悲しいにつれのその歌謡も薔薇の花のやうに潰えた。

漫画の神様・手塚治もたった60歳の生涯を閉じる。

不思議なことに商売の神様、晩年は日本の行く末を案じられ松下政経塾なるものをつくられた

幸之助さんも立て続けに亡くなられた。

ついでにいへば、指揮者カラヤンもだ。

87歳という昭和天皇の時代は

太平洋戦争をはさんで想像を絶するやうな難儀続きの時代だった。


さう、何かがとても大切な

でも目に見えない極端に云へばかなしみのやうなものが消え去っていくような気がしないだろうか。

「おしん」の辛抱が消えていく。

土光さんの明治気骨が消えていく。

「わが国のたちなほり来し年々にあけぼのすぎの木はのびにけり」(昭和天皇御製)

森鴎外は、万世一系がフィクションであっても

「あるかのやうに」振舞うことで日本という国の秩序が深いところで支えられていく、と考えた。

象徴としての天皇は日本の文化的なアイデンティティであり、

日本の一番古い家元の総本家で、皇居・皇室を通じて強力な磁場をもち、

我々をして「つなぎとめる」装置として働く。

天皇家の存在とはそのような深い諦念、かなしびとともにあるやうな気がするのだ。

さて幸之助さんといへば神様である。

石田梅岩に私淑、根底にあるのは徹底した合理であると同時に、

従ってまた商い、つまり「お客さまが育ててくれる」とか

「世間大衆というものは神のごとく正しい判断を下す」などと、

決して地べたを離れた、あるいは地べたを裏切るようなビジネスとは縁が遠かったはずだ。

美空ひばりはいはずもがな、である。

1949年

「丘のホテルの 赤い灯も

/胸のあかりも 消えるころ

/みなと小雨が 振るように

/ふしも悲しい 口笛が

/恋の街角 路地の細道 ながれゆく」(『悲しき口笛』)

12歳の天才少女が歌った。

以来「川の流れのように」の絶唱まで、日本人の暮らしとともになかったことはない。

この後、物語としての歌謡は次第になくなっていくのである。