09,4/14(火)

唐国の子守唄ならマーマーホー母はどこでもあまく乳色

夏川りみ、中国の子守唄を歌う。「マーマーホヘー」優しい響き。


毎日がいろいろなことクレーンが倒れて海に三角の波

麹町のビルの建築現場で建設用クレーン(100㌧27㍍)が新宿通りに倒れこむ。

62歳の女性が意識不明の重態に。

一方、平戸沖では漁船が追尾からの三角波に乗り上げて頭から沈没、

22名の乗組員のうち、12人が行方不明に。

突発的な事故による紙一重の運、不運とは何ぞやと考えさせられる。


八重桜御苑に咲くわ so what

「八重を見るのが通なの」と雅人くんがお連れしたゴールデン街の常連さんは云ふ。

新宿御苑の八重桜はこれからが本番。

小宮山さんはおにぎりを2人前お土産に、

大沢さんは飲み物の前にうなっている。外はけっこうな雨。

Tさんはいつものガーリックチャーハン。


うくいすの啼きこぼちたる日影かな

この間の筍掘りの画像は楽しかった。みどり青々の竹林と、筍と、啼き出だすうぐいすと。

風が竹林を渡っていく。


桜会ひに人に遇ひゆく桜かな

今宵遇ふ人みな美しき・・・。


巴波うずま川櫓声水面を鯉幟

栃木県、川面にかかる鯉幟の下をのんびりと手漕ぎの船がゆく。(NHK)

しかし巴波“うずま”とは読めないよなあ。


ゲーテ

「私は永遠に/悪/を欲し、永遠に/善/をなすあの/力の一部/なのだ」


凡庸な人生を願う声、臆病なあたたかい巣にこもる、

「10,21」国際反戦デーのころ、裏切り者と呼ばれつつも、ノンポリテックにひねてみせた。

「投企せよ」

「アンガージュマン」(参加)

「人間は自らつくるところのもの以外のなにものでもない」

流行のサルトルにも馴染めなかった。

日常性の中で主体的に何かを選び取ることにも拭いがたい違和感を感じた。

1969,10月、東京――。

(亀山郁夫・ロシア文学者09,4/12日経)


不穏で、自由な空気が街中に。

新宿駅東口では髪の長い私たちがギターで歌う「戦争を知らない子供たち」。

「フランシーヌの場合は」などというのもあった。

ベトナム戦争も真っ盛り。書を捨てて町に出よう。ベ平連とか平凡パンチとか、ビートルズ。

二丁目も、三丁目も、街がほかほか熱をもってなんだか発情してゐるみたいだった。

いたるところでタウンミーティング、その日に会ったばかりの連中と喫茶店で、しょんべん横丁で、

立ち飲み屋で、すぐに議論になるのだ。

汚いアパートに帰ると創価学会の人たちも手ぐすねひいて待っている。

議論武装をしなければとてもやってなんかゐられない。

サルトル、カフカ、カミュ・・・「不条理」が流行ったもんだ。

カミュでは「ゆうべマモンが死んだ」だもんね。

早稲田の露文のヤツは口笛吹いてやってくる。

「歓呼の声に送られて――」明るいカネを払わない虚無者だった。


1970年、三島由紀夫が、割腹自殺を遂げ世間を騒然とさせた。

大阪万博があり、ニクソンショック(1971,8/15)と、浅間山荘事件へ(1972年)。

イデオロギーはパルコの出現とともにあっという間に消えてゆき、

やがて私らの青春も足早に遠ざかっていった。


ジェイムス・ジョイス

中世はすべてが宗教的であったが、暗黒であるどころか、豊かな実りある文化が息づいていた。

善悪、地獄絵、学芸、月暦図、錬金術、ゴシック建築・・・。

ジェイムス・ジョイス(1882-1941年)は前人未踏の大作「フィネガンズ・ウェイク」で、

時代としては5世紀ころから15,6世紀までを猟渉する。

ジョイスの想像力に促され、ダブリンからアッシジへ、パドヴァへ、パリへと

そこに潜む中世文化へと連れ出される。(日経)