09,3/15(日)晴れ

忘れ潮カニ横歩き兒も真似る

海は潮干狩り解禁、岩場には潮が引いたあとの“忘れ潮”。

春の光がさんざめいている。


薔薇の花我が脳髄の忘れ潮


はパセリセロリや風光る


の一つ貧しき球を蹴るサッカーは貧しき国の玉遊び。


伊東静雄(1906-1953年)

太陽は美しく輝き/あるひは 太陽の美しく/輝くことを希ひ

『わがひとに与ふる哀歌』

三島由紀夫は「花ざかりの森」の序文を伊東静雄に依頼して断られたが、

同書の後記に「希有なロマンチストとして敬ってきた詩人」と書き残した。


正岡子規

吉原の太鼓聞えて更くる夜にひとり俳句を分類すわれは(子規)

子規は32歳(1899年)。すでに東京・根岸の自宅で病に臥していた。根岸は遊郭だった吉原にほど近い。


鶏頭の黒きにそゝぐ時雨かな(子規)

写生とリアリズム。自身と世間に眼をそらさない。病床句である。


樋口一葉

おもふこと少し洩らさむ友もがなうかれてみたき朧月夜づくよ

の前年23歳のとき(1905年)、朧月夜に少し浮き立つ、恋心を少し誰かに話したい。

文筆家として家族を養う貧しい生活の中、世間にも、恋しい人にも肩肘張って生きてきた一葉にも

ふと見上げると春の朧月夜が。日清戦争の年である。


中川一政

「私は薔薇を描いているのではありません。ムーブマンを描いているんです」

生涯800枚ほどという。

「形、色ではなくそれが生きているかどうかが問題なんです」。

生命、つまりエントロピーを描き出す。

「生きてるうちは生きていなきゃいけないんです」

会場から笑い声が「可笑しいですか」(96歳の誕生日を祝う会場での挨拶)。

自宅には「正念場」という自筆の書が飾ってある。

1991,2/5日、97歳で没(3/14TV番組)


サイネリア咲くかしら咲くかしら水をやる(正木ゆう子)

かたまって薄き光の菫かな(渡辺水巴)

地球一万余回転冬日にこにこ(虚子)

るす番の雀よ薔薇よお悧巧さん(津田清子)

涅槃雪夢より覚めし夢の中(荻野アンナ)


スイスにはマッターホルンありましてハイジの国のフラン売り行く

「フラン売り・ユーロ買い」介入。ユーロ高、円一気に安く(3/14日経)。

円とフランは低金利という共通キャラクター。「キャリー取引」フラン建てに利用されていた。

とくに東欧ではフラン建て債務が多かった。


大分県臼杵市蒲江かまえ「ヒラメの養殖」

うららかや黄金ヒラメの蒲江かなヒロメしゃぶしゃぶ春の緑す

海の水を一日何千㌧と吸い上げてヒラメを養殖している。

養殖場を黄色の床や壁面にすることでヒラメの色素は黄金色になった。

また養殖により発生する窒素リンは海に排水され、

そこにはヒロメ(若布に似ている)が種付けされ繁茂している。

窒素リンを吸収してとくに寒くなるころから大きく育つやうだ。

そのヒロメにアワビが喰らい付いていた。ヒロメでアワビをさらに養殖しているのだ。

かくて様々な循環が成りたっていく。

ちなみに養殖ヒラメの出荷は日本一である。

仕事に携わる人たちはみな生き生きしていた。


「動きゆく現象を眺めていても仕方がない。

結局止まっているものを見ないと迷子になる」(智笑)


上村愛子

「頭の天辺からつま先まで使い切って攻めろ」(ヤンネ監督)

猪苗代で上村愛子“二冠”。

「kiitos(ありがとう) Janne sama(様)! 」 (愛子の公式ブログ)