民族アルメニア人

箱舟の話しアララトその昔エチミアジンに雪花の舞ふ


有刺鉄線の向かうに雪に覆われたアララト山が遠くそびえている。

アルメニヤはノアの箱舟のたどり着いたと云ふ伝説のアララト山を取り囲むやうにして広がった。

しかし、4世紀初頭にはロシア正教に近く、

5世紀にはササン朝ペルシャに、

13世紀にはモンゴル、

15世紀にはトルコに侵略される。

国なき民アルメニア人には自ら国境線をひくことはなかった。

一番の悲劇は1915年に起こった。

第一次大戦でロシアとオスマントルコがアルメニアで戦闘状態になった。

結局アララト山を挟んで無理やりに国境線が引かれた。

トルコ側に残された多くの人たちが強制立ち退きに出遭い、聖地エチミアジンに向かったが、

多くの人たちが家族を失い、行方不明になったり、飢えや病、そして虐殺に遭った。

犠牲者は=150万人ともいわれるが、トルコ側は現在でもそのことにはノーコメントである。


TVでは元旦明けてのアルメニアのX'masの日に、果物や食物やワインなどが山盛りの食卓の前で、

父が妻や娘や親戚、ご近所さんの前で乾杯の挨拶をする。と、携帯電話が鳴った。

19歳の息子からである。父が電話で話し、娘たちに電話を渡した。

娘はでもすぐに言葉が詰まってしまうのである。

「弟は」と言った。徴兵されてアゼルバイジャンの国境近くにいるとのことだった。

この戦いでもすでに=3万人の戦死者が出ていると言う。

「この国に生まれたら――」、と父は言うが、娘たちはまた涙を流すのだった。

(09,2/21 NHK)


ポル・ポト

カンボジア首都プノンペンで、

ポルポト政権の元幹部を裁く国連と同国の合議制による特別法廷が2/18開廷。

⇒カンボジアではポル・ポト派が実験を握った1975-79年までの

当時人口の=約2割に相当する=200万人虐殺された。

⇒一方、ポル・ポト政権後に生まれた世代は人口全体の=約6割に。

極端な農本主義、共産主義の結果、多くの知識階級、教師たちが集団的に虐殺された。

歴史を伝える教師たちが欠けた現状では、ますますそれらのことを伝えることが困難で、

民族の重大な歴史が風化されつつある。