モスクワとユジノサハリン二人して純ちゃんオペラ太郎ちゃんはGAS

モスクワでのオペラは「オネーギン」。

バスに乗り込むとき「スパシーヴァ」(ありがとう)「ハラショ」(よかった)と。


ユジノサハリンスク(豊原)ではマイナス20度。

メドベージェフ大統領と2時間あまりの会談。

北方四島に対しては「新たな独創的な型にはまらないアプローチで」協議を加速する。

「いま世界にあるほかの問題と同じように解決可能だ」

「我々の世代で解決すべく加速」とメドベージェフ大統領は。

「こういう問題は官僚任せじゃダメなんだ。政府主導でやらなくちゃ」と記者会見で。

サハリンⅡが稼動し始めた。


択捉島北方領土

1786最上徳内が同島を探検したが、最上が同島に上陸したさい、そこには3名ロシア人が居住し、

アイヌの中には正教を信仰するものもあったことが確認されている

(ロシアでは、国家に帰属し納税意識を持たせるため、進出した地で正教の布教がなされていた)。

同島を影響下に置く意図を持つロシアに対抗して、

1798年近藤重蔵が、エカシ(首長)の了承の元、「大日本恵土呂府」の木柱を立て日本領を主張した。

また蝦夷地を幕府の直轄地にし、高田屋嘉兵衛に航路を開かせ「商場択捉場所」を開設したほか、

ほとんどがアイヌである当時の同島住民1,118人の人別帳を作成した。

1807年4月に紗那と内保(留別村)の集落が、ロシア海軍大尉のフヴォストフ(Хвостов)

率いる武装集団らよって襲撃されるという「シャナ事件」が発生するが、

このさい日本側に動員されたアイヌもいる中で、日本側を攻撃してきたアイヌもいた

(この時、間宮林蔵も同島にいて応戦行動に参加していた)。

その後、南部藩など東北諸藩が警備にあたり、あるときはロシアと交戦し、あるときは友好的に交流した。

1855年に締結された日露和親条約では、日本はアイヌを日本の保護民としたうえで、

アイヌの生活圏が日本領と主張した結果、同島の領有をロシアに認めさせた

(ただし、当時のアイヌの生活圏について日本側の理解は不十分で、

ウルップ以北のアイヌは視野に入っていなかった)。

開国後は、同島は仙台藩の領地となり、仙台藩兵が駐留し、

ウルップ以北のロシア人を警戒しつつも友好的に交流し、仙台藩内では親ロ的な感情が育っていった。


北方四島

昭和20年8月15日現在の世帯数及び人口は次のとおりです

/世帯数3,124人口17,291人/

最近の人口(北方四島在住ロシア人)2005.1.1現在16,796人※ロシアの統計より。

統計上、歯舞群島に居住者はいません。

全世帯の約20%は、独立した台所、便所、浴室のない共同住宅に居住しているといわれます。

小中高の区別はなく、一貫した11年制教育で、就学年齢は7才からです。

北方四島には大学がないため、大陸等に渡って、勉学に励む生徒が多くなっています。

(国後島、色丹島の場合、9年間の義務教育を終えた子供の80%は進学しています。

これら北方四島のなかで面積が最も広いのは、択捉島の3,184平方キロメートル、

そして国後島の1,498.8平方キロメートル、色丹島の253.3平方キロメートル、

歯舞群島志発島の59.5平方キロメートルと続き、

北方領土の総面積は5,036平方キロメートルになります。


択捉島:3184k㎡(鳥取県より少し狭い、幅は約20-30km長さは約200kmに及ぶ細長い島)

国後島:1499k㎡(沖縄本島より広く、沖縄県全体とほぼ同じ広さ、長さは123kmに及ぶ細長い島)

色丹島:253k㎡(徳之島とほぼ同じ広さ)

歯舞群島:総面積100k㎡


ガザ

ガザ地区には 140万人以上の人が暮らし、そのうち難民は100万人以上。(2006年UNRWA調べ)

人口約140万人に対して面積は363平方キロ(東京都23区の約6割)。

縦が約46km、横幅が約6kmから10km

難民キャンプは世界最高の人口密度といわれている。

ガザの面積の40%以上が国際法的には違法な(イスラエル的には合法な)ユダヤ人入植地となっている。

入植者数は 約6000人(そのうち、実際に日常生活を入植地で行っているのが何人かは不明。

住民登録だけして実際にはそこで暮らしていない入植者もいるらしい)。

つまり、人口比において0.5%ほどを占めるに過ぎないイスラエル人6000人が40%を占有し、

その残りで140万人がひしめきあって暮らしている。

水や電気などのライフ・ラインは、全てイスラエルのコントロール下にある。

よって、パレスチナに固有の水資源に対しても、

パレスチナ人は占領者であるイスラエルに料金を払って手に入れなければならない。

ガザ失業率70~80%

1日1ドルの貧困ライン以下で生活する家庭の割合は85%近くにも達する。


西岸の面積5800平方kmに対してガザの面積は365平方kmと10分の1以下だが、

人口では西岸208万人に対してガザには136万人が住む

※パレスチナ人(イスラエル独立前にパレスチナに住んでいたアラブ人とその子孫)

総人口947万人

西岸とガザに344万人、イスラエル国内に130万人イスラエル国籍)、

東エルサレムに26万人(無国籍だが自治政府の選挙には参加)が住み、

500万人近くがアラブ諸国はじめ海外に移り住んで、そのうち半数難民


「新たな独創的な型にはまらないアプローチで」

私は思ふ。不法占拠は不法占拠だ。

しかし、古今東西戦争とはさう云ふものだ。

勝った方が、“分捕る”。

しかし、今回はソ連も「日ソ中立条約」(1941,4月)を無視して

アメリカの原爆8/6広島)のどさくさのあい間に、

さあこれで戦争が終わってしまっては自分たちの取り分がなくなっちまうと、

8/8日、ソ連軍、まずは樺太侵攻。

8/9日、満州に攻め入ってきた。

「極東密約・ヤルタ協定」(45,2/4)では、アメリカのルーズベルトは、ソ連のスターリンに、

千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約を一方的に破棄

すなわち、ソ連の対日参戦を促した

「ヤルタ密約」では、ドイツの降伏2-3ヵ月後にソ連が日本との戦争に参戦すること、

モンゴルの現状は維持されること、樺太(サハリン)南部をソ連に返還すること、

千島列島をソ連に引き渡すこと、満州の港湾と鉄道におけるソ連の権益確保、

などが決められた。


45,7/16日、米国は原爆実験に成功、暗号“赤ん坊は生まれた”。

スターリンはスパイによってそのことは知っていた。

45,7/25日、最後通牒である「ポツダム宣言」を日本側は拒否した。

ところで、ポツダム宣言では米トルーマン大統領によってソ連の名ははずされていた。

アメリカとしてはソ連参戦の前に日本を降伏させる必要があった。

7/25日、「原爆投下」はすでに発令。

ソ連は焦った。原爆投下はポツダム受諾とは別にトルーマンによって「規定の事実に」。

参戦する前に戦争が終わってしまってはならない。

戦後の安全保障上から、南サハリン(樺太)とクリール諸島(千島)は必要だった。

いかなる犠牲を払ってでも対日戦に参戦しなくてはならない。


そこから後の話は皆さんがご存知の通りである。

蹂躙するソ連軍の戦車、マンドリン銃のまえになすすべのない女子ども、高齢者は

追い回され、蹂躙され、銃剣で突き刺された。

日本への帰還船も多くはソ連軍によって故郷を目前に沈められ、水漬く屍かばねとなった。

およそ60万人という捕虜がシベリアに連れて行かれ、抑留、過酷な労働に、

無慮=6万人という方たちの命がツンドラの野に山に埋められた。


だが、戦争とはさう云ふものだ。勝たなければ何にもならない。


さて、「新たな独創的な型にはまらないアプローチで」

私は夢をみる。

ロシアに提案して、北方四島に新たに「パレスチナ国家」を建設してもらうことを前提に、

北方四島を一旦日本に返還してもらったらどうだらう。

ガザ、

人口約140万人に対して面積は363平方キロ(東京都23区の約6割)。

縦が約46km、横幅が約6kmから10km

例えば一番大きい択捉島、

3184k㎡(鳥取県より少し狭い、幅は約20-30km長さは約200kmに及ぶ細長い島)


なんとかならないのか。

失業率=70%ハマスの戦いに参加する多くの若者の日常になる

国家の体を為してない。そこには生活も、暮らしも望めないのだ。

その上=500万人というパレスチナ人がすでに自国を捨てて外国に流出。

アラブ諸国はじめ海外に移り住んでいるがそのうち半数難民だというではないか。


宗教という“おへそ”がそこにあるのは分かる。心の依って立つところだ。

しかし、すでに海外に=500万人という数字は、信仰も母国もさることながら、

今日のパン、今日のじゃが芋、安寧なくらし、家族との団欒が優先されていることを、

悲しいことながら物語ってゐる。


およそ人類の歴史が始まって以来、人間ははじめから流浪の民であった。

何十万年前の二度の“アウトオブ・アフリカ”以来、人類の祖先は野を越え山を越え、

海を渡り、世界中に散らばっていった。

荒野はやがて、人に満ちた。

あのスターリンは、朝鮮の方たちをカスピ海近くに強制移住させ、人々はそこで生活を始めた。


国家とはなんぞや。国家とは「言葉、母語」である。

国家とは境界である ?


パレスチナ問題は危険な中東ベルトライン(イラン、アフガニスタン、パレスチナ)

の根っこの問題である。

パレスチナ人の先祖、パリサイ人もすでに旧約聖書に登場している。

でも、ずっと仲良く共存してきた。

私たちはユダヤ人をずっといじめすぎてきたのか。

西暦70年、エルサレム第二神殿が、ローマの若き将軍ティトウスによって破壊された。

ユダヤ戦争の破局と共に、大量の俘囚や流民となって、ユダヤ人が連れて来られた。

最初のゲットーが作られ、またユダヤ人の離散“ディアスポラ”がはじまった。


エルサレム、カナンの地は約束された地である。

世界中で“ポグロム”(ユダヤ人の集団虐殺)も事実としてあった。

シオニズムはこうした背景に澎湃ほうはいと世界のユダヤ人の間に沸きあがってきたのである。

「そうだ、故郷へ帰ろう」、エルサレムへ、カナンの地へ。

1898年、「世界シオニスト会議」が開かれる。

神との約束の地、祖国への意志。

オスマントルコの支配だったエルサレムだったが、アラブ人から土地を買い、開墾が始まった。

ユーカリの木を植えた。街を作った。シナゴーグ(礼拝所)を作った。学校も作った。


1914年、第一次大戦。オスマントルコも滅びる。“アラビアのロレンス”の世界である。

イギリスはパレスチナ・メソポタミア方面におけるトルコとドイツの脅威を払拭させるために、

約束の地イスラエルにユダヤ人独立国家を建設することに協力するという「バルフォア宣言」

悪評高い二枚舌外交を駆使して、ユダヤ人の戦争協力を取り付けようとした。

石油利権とロスチャイルド家(ユダヤ資本家)、ユダヤ人部隊もできる。

また「サイクス・ピコ条約」をフランスと結び、

イラクでの石油利権をドイツから奪い(ドイツが保有するトルコ石油)フランスに渡すことも約束。

1919年「パリ講和会議」英国はヴェルサイユ会議を都合よく推し進め、

地中海からインドにいたる広大な大地を委任統治領とし、途方もない権益を保証されることになった。


外交とはこのやうなものである。

先進国とはこのやうなものである。

西洋歴史文明の限界を呈した。

英仏のこの頃のビヘイビァはあきれるばかりで、その後の現在に至る中東の抱える歴史的問題の深さを

考えると暗澹とせざるを得ない。

国家とは何であるか。国境であるといへば、現在の中東領域に引かれた真っすぐな線引きは、

英仏などによって人工的に引かれたものだ。

パレスチナからパキスタンにいたる不安な危険な中東ベルトライン。

根っこはイスラエル・パレスチナ問題なのである。


北方四島領土問題の圧倒的な解決の方法として、

私は改めて夢を見るのである。

北方四島にパレスチナの国家を作りたい。

問題の根を作ったのは世界なんだから、国家建設、インフラには世界中が責任を持ってかかわる。

特に、イスラエル、英国などはそれ相応の持続的分担金を供与し続けることになる。

米国はイラクの戦争でおどろくなかれ=65兆円を費やしたという。

アフガンの危機は続く。マネーの有効な使い方と、世界の新しい安全保障のあり方、

人類ははそろそろ愚かな連関から目覚め、新しい領域に踏み出さなければならない。

イスラエルの地が平和になったら、中東の緊張は緩やかにとけてゆくだらう。

信仰はポータブルだ。グローバルな時代、国境はますますフラット化し、世界はすぐそこにあるようになる。

まずは暮らしだ。平和のうちに人間の尊厳こそが約束されることだ。

択捉島はけっこう豊かであるらしい。豊かな漁業、湧き出る温泉、レアメタルもあるらしい。

ちなみに択捉をもってとど松、はい松は北限とする。