「八幡」という演目と、まだ地方の時代
応神天皇が★八幡大神の称号を授けられたことを再現する演目である。
護国の戦神である応神天皇とその兄、品夜和気ほむやわけ命が、ずっしりと力強く勇壮に舞う。
「八幡大神弓矢をつがえ、四方矢先に悪魔射落とす」太鼓打ちが歌かけする。
四隅に弓を放つ仕草、四方に印を結ぶ振りに、
四方鎮護・悪魔祓い・家内安全守護祈祷の念が込められる。
古代ローマは征服した異教徒の神を中央に集め祀った。
古代の日本はローマとまったく同じ。★地方の神々に位を授け、
律令政府の神祇官に納めることによって日本は行政的にも宗教的にも中央集権化した。
おそらく、出雲の神であった大国主が大和に移動させられた理由も
そこにあるのかもしれない。天皇家の神々は天つ神、地方の神々は国つ神。
神の力はその族の勢力、或いは天皇家とのつながり次第。
※応神天皇は地方の・九州の国つ神だったのだらうか。
雄略天皇(478年)
わが国最初の詞華集アンソロジー「万葉集」全20巻は若菜摘みの歌から始まる。
籠こもよ み籠持ち 掘串ふぐしもよ み堀串持ち
この岳をかに 菜摘ます兒こ
家聞かな 告のらさね
そらみつ 大和の國は おしなべて われこそ居をれ
しきなべて われこそ座ませ
われにこそは 告らめ 家をも名をも
詞書ことばがきによれば
「泊瀬はつせの朝倉あさくらの宮に天あめの下知らしめしし天皇すめらみことの代御世」
すなわち皇統譜によれば人皇第一代に数えられる
雄略天皇の御製歌おおみうたとなっている。
しかし、おそらくは大和国を支配する神の、
自らの妻となるべき処女なる巫女に呼びかける愛の歌が、
伝説上の大王の歌に付託されたもの、と思われる。