式亭三馬「浮世風呂」─江戸しぐさ

「つらつら監かんがみるに銭湯ほど捷径ちかみちの教諭をしえなるはなし」

「冷え物でござい」「お先にごめん」。

本来は私物であるはずの「留桶」さえもわがままには使わない。

「すべて銭湯に五常(仁義礼智信)の道あり」と。

一年ひととせを辿りつきたる年湯かな

父さんに抱っこがいいなポニョの暮れ

じいさんの昔語りや年の風呂

最初はグー、パーで騙さる年の風呂

うれしさや三代で越す大年湯

ひととせの仕事が終り、みなそれぞれに色々な思ひを抱いてやっとお風呂にたどり着いた。

お父さんの胸に抱かれてぽにょと湯船につかる幼な、

幼児は数を数えるか、じゃんけんをして風呂でだまされる。

じいさまが昔語りをして、息子とその子どもたちも入る年越しのお風呂である。

年越しのせいか緊張もほぐれ、心底ほのぼのとあたたかい。

風呂に入るその傍らで掃除するおうなの紅かなしかも

「トイレのスリッパ知りませんか」子供がトイレから履いたまま出てきてしまったのだ。

マンションの大浴場。女性は男湯も掃除においでになった。床の水気をモップでふき取ったり、

洗面所のカランをきれいにしていく。今日は年越しの湯。大変混んでいる。

子供たちは濡れた体のまま脱衣所に飛び込んでくる。

最近は大の大人でも珍しくはないのだ。

こんな混んでいる時間は外せばいいものを。格差か・・・何か哀しい。


「銭湯ほど捷径の教諭なるはなし」

その通りであったはずである。

冒頭の風景はほんのつかの間、最近のお風呂場のマナーの悪さはあきれるばかり。

まず、尻、玉袋を洗って湯船に入る親も子も、若者も少なくなった。

タオルを湯船につける。浴槽で泳ぐ子を叱るでもなし、若者も大声で話している。

あれは耳栓をして音楽を聞き、携帯でものさはぐ地下鉄の若者らだ。

他者がゐない。話す、しゃべる、囁く、小声で、と云ふ距離感がすっかりすっぽ抜けてしまった。


べたべたじゃないか。

だうして体ふいて上がってこないんだ。

図体ばかりでかくて、まったく気が利かない。想像力の欠如じゃないか。

子どもは濡れた体のまま走りまはるし、親は親のまま濡れたまんま、叱りはしない。

若者たちもどさどさと入って、またどさどさと濡れたまんまで。

困ったものだ。だれが拭くの。

媼がうつむき加減に聞こえるか聞こえない小声で「失礼します」といって入ってきた。

モップで床を拭いてゆく。

トイレの掃除をとドアを開けて――

「どなたかトイレのスリッパ知りませんか」。

「自分の感受性くらいなんとかしろよ このばかものめ」とだれかある詩人が云った。

なるほどなは その通りだ