08,12/28(金)晴れ


陰膳     陰膳やたてをななめに秋の暮れ

Aはほんたうにものぐさ太郎だった。縦のものを斜めにもしないやうな男だった。

陰膳をして私は頂くのだが、やはりどこか感情が高ぶってゐるのだらう、

呑みすぎて、二日酔いに・・・


宿酔い    深酒やしまらぬかをに髭残り

店名はものぐさやだ。大分急ピッチで呑んでしまったやうだ。

亭主が居なくなっても頑張ってやってゐる。

シマ鯵が旨かった。揚げギンナンもいいね。


枯葉     云ふまでもなく枯葉散る枯れ葉散る


気鬱     日暮れては花梨の気鬱歩き出す


青虫     しがみつく葉の青虫の空の青


夕光     夕光ゆうづゝや唐やく楓散り初めし


 小池光08,11/23日経


西行     古畑のそばの立つ木にゐる鳩の友よぶ声のすごき夕暮れ

そばは「岨」。山の急な傾斜、崖のこと。

西行ならではの「すごき」と言う形容詞は現代の「すごーい ! 」に通じる。

まるでごく最近の歌のごとき印象である。


高屋窓秋  山鳩よみればまはりに雪が降る

「山鳩よ」の「よ」がすごい。ぽおぽおと友を呼ぶ声。ついに友は来たらず、

やがてまわりは真っ白な雪に閉ざされる。


公園とベケット

公園     あらゆる音が降ってくるのに、何の音もしないような。

時が過ぎてゆくのに、時が停止しているような。

すべて外部の光景であって、何もかも内部の光景のような「公園」(クリムト1909-10年)

長田弘・詩人08,11/24日経


ゴドー    月と葉の落ちた樹と帽子の男二人。

それが「ゴドーを待ちながら」の舞台のすべて。

どこへもゆかない。何もしない。何も起こらない。

サミュエル・ベケットの奇妙な、しかし断固たる芝居の着想。

物語的でなく絵画的。映像的でなく空間的。

「ゴドー」は広大な空間に閉じ込められた小さな人間たちの芝居なのだと、

ベケットは言った。

長田弘・詩人08,11/26日経


『徒然草』第155段 (横澤放川・俳人08,11/22日経)

「世にしたがはむ人は先ず機嫌を知るべし」

世俗の習慣に従って生活しようとするならば・・・。

「機嫌」は、時節、めぐり合わせ、時機、潮時。

小春が授かるのは天の機嫌である。

天の機嫌を分からない人には世の機嫌が、

世には折々の機会、めぐり合わせがあることが分からない。

だが法師は一方で「必ず果たし遂げむと思はむ事は機嫌をいふべからず」

ともいう。機嫌を知りて機嫌をいわず

これは世にしたがう個人にも社会にも当てはまる。

果たすべきだと信じるのなら、それを二転三転させていて行く末がない。

今年の文化勲章には、

近年の日本の行く末をいたわるかの仕事を続けてこられた

ドナルド・キーンさんも叙された。

小春日和にふさわしい機嫌よき話題だった。


小春    玉の如き小春日和を授かりし(松本たかし)

高浜虚子の門人として、繊細な神経と典雅な措辞で花鳥諷詠にいそしんだ。

「玉のような小春日和とはよくいったものだ。

寒冷前線がいったん海上へ退いてしまえば、

いつしか思わず見惚れるような小春日和の季節となる。

空を占める銀杏黄葉(いちょうもみじ)に人は足をとどめたりもする。