08,10/24(金)今日一日中時雨聞く
時雨 時雨聞く厨は妻の拠りどころ
Uちゃんちでパーティー。ガーリックトーストとか鴨肉のローストなど仕込んでゐる。
文字摺草 身もふたもあられもなくて捩り草不図思う。
株価 時雨聞くビット、オファーのはざ間かな日経=8000円を割る。円=90円台。昼のニュース。
宮川ひろ
デビュー作は「るすばん先生」だった。46歳になってた。その本を持って坪田譲治先生の家にお礼に伺った。「貧乏はいいもんだよ。貧乏に力を借りてお書きなさい」。この言葉が支えになった。世紀の教員採用の話しも断った。宮川ワールドの開花。「春のはじめの 春駒なんぞ 夢にみてさえ よいとや申す」「雪の消えなかった年もなかったし、春駒の、来なかった年もなかったさ」。自分の息子には毎日欠かさず日記を書かせた。「今日は何も書くことがないというと、もう一回りして探しておいでと追い出した」。宮川ひろ(1923年群馬県尾瀬の近くの山深い山村に生まれる)08,10/23日経
太宰治『津軽』
1944,5月。金木出身の太宰は、津軽半島を3週間ほどかけて一周した。「ね、なぜ旅に出るの ? 」「苦しいからさ」。絶妙の会話から始まる。その旅姿は、むらさきに染めた作業服に、緑色のゲートル、白いズック靴、それにテニス帽という、奇怪なるいでたちであった。まさしく乞食のような姿で、東京を出発したのである。太宰はこのとき数えで36歳。「私は心理と愛情の乞食だ、白米の乞食ではない ! 」と叫んでみせる。道化だ。戦時下の東京には、白米も愛も欠乏していた。最後はこう結ばれる。「私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」。『津軽』という紀行が産み落とされる。(赤坂憲雄・民俗学者08,10/23日経)