先日、「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」を観ました。
私は高橋幸宏さんのファンで、そこからサディスティック・ミカ・バンドを聴くようになり
かなりハマって、もちろんそこから加藤和彦さんの音楽も聴くようになって
幸宏さん、ミカバンドの本や文章はけっこう読んでいたのもあったし
鑑賞をとても楽しみにしていましたよ。
で、けっこうガッカリちゃいました・・・・。
ファンとしても大して面白いと思わなかったけれど、
これドキュメンタリー作品としてどうなんだろう???
ただ時系列に色んな人のインタビューを流して時々ちょろっと画像が出るだけ。
もちろんお話されている内容は「へぇ」と思うことはあったけれど、
あんなことがあったこんなことがあったって、そんなんばっかり。
編集が下手すぎませんかね?
もしこれが「あえての」だとしたら、私はこの監督とは相性が悪いです。
最後に「あの素晴らしい愛をもう一度」を新録する場面があって
その時、高野寛さんと高田漣さんがギターを弾きながら「難しい」「なんでこんなことができるの」みたいな
事をおっしゃるんですけど、それだよ!!!!
あのさ、そういうのが見たいのよ。
加藤和彦がものすごい趣味人だってのは大事なアイテムではあるから
そこを削るなとは言わないけれど、そういうところ別にサラっでいいじゃん。
なのにそれについてもダラッダラダラッダラ時間使ってるし。
それより、
音楽家・加藤和彦がどれだけすごかったか、どのように優れていたか、いかにセンスがよかったのか
そういう掘り下げをしてほしかったんですよ。
「その時代」と銘打つんなら、加藤さんが時代時代に音を変化させたという事実はもうわかってるから
なぜそういう事をした人だったのかとかさ、
元々、この作品がつくられたキッカケが幸宏さんの
「もう少し評価されてもいいんじゃない?」
なんだとしたら、なぜ評価されなかったのかとかさ、
もういっくらでも掘り下げようがあるしさ、
わざわざ加藤和彦という類まれなる才能の持ち主があまり世に知られていない音楽家を題材に
作品を作るのなら、加藤和彦を知らなかった人に「聴いてみよう」と思わせたいし
知っていた人も「新たな発見があった」と思わせたいじゃないですか。
加藤和彦の音楽、この映画キッカケで評価されたいじゃない。
でもこんなんじゃ全然だめだと思います。
私、ちょうど前日に録画してあったNHKの教授の「Last Day」を見たんですよ。
たった1時間だったけれど1時間以上あったような深い深い内容で
色々考えさせられたし、教授の音楽をあらためて聴きなおしましたよ。
それは、何度も聴いた教授の曲の中にまだまだ知らない彼の音があるんじゃないか、
もっと違う側面からの聴き方があるかもしれないって
このドキュメンタリーを見て思ったからなんですよね。
ドキュメンタリーの役割って事実をそのまま流すんじゃないじゃん。
だって「ドキュメンタリーは嘘をつく」(森達也)んですから。
作品として作る時点で正確な意味での「ドキュメンタリー」ではなくなるんですよ。
だとするならば、ただ切った貼ったじゃ絶対にあかんのですよ。
なのに、この作品はほとんど切った貼ったになっているように
私には見えたんですよね。
それって、ドキュメンタリーというジャンルに甘えてるとしか思えないんです。
そして、この監督、実はあんまり加藤和彦さんのこと興味ないんじゃないかな?とすら
思っちゃいましたね。
興味ないとまでは言わないけれど、そんなに心掴まれてないんじゃないかなぁ。
なので、
あーもったいない。
って私は思いました。
でも、評価はけっこう高いらしいので、私の見方考え方が変わっているんでしょうね。
別にいいけどさ。
私はこの作品は好みじゃなかったです。
あ、でも最後の「あの素晴らしい愛をもう一度」は素晴らしかったです、はい。
あーかっこいい~~~~