おいしいおやきを、ある土曜の午前に食べました。
「ぜんたい、この山道はけしからんね。この先に村があるというのに一方通行だ。なんでも構わないから、早くむしゃむしゃぁぁっと食べたいもんだなぁ」
来た道を引き返しながら、私はおやき村に向かって細い山道を運転しました。
ようやくたどり着いたおやき村の茶店では、窓から白い煙と香ばしいにおいをすうっと漂わせていました。
「いらっしゃいませ。当店自慢の縄文おやきをどうぞ」
三角巾とエプロンをつけた若い男が元気良く迎えてくれました。
案内とおりに、有名人の写真が飾ってある長い廊下を抜けて、つきあたりの薄暗い部屋に入りました。そこでは女たちがいろいろな具材のあんを白い皮で包み、それを男たちが囲炉裏にかけた鉄板で焼いていました。
私は丸太のイスに腰かけて、野沢菜のおやきをほおばり、卯の花のおやきをほおばり、食べ終わるとそば茶をすすってその香りを胸いっぱいにたのしみました。
満腹で店を出ると、持っていたカメラで玄関先の赤いポストや観音様の写真を撮りました。そして展望台のベンチに腰かけて、たった今できたばかりのようにうるうるともりあがっている山々を眺めました。
この日は天気が良く、目にうつる景色の全てにまだ透きとおった午前の光がきらきらとはね返っていました。
腹の皮が張れば目の皮がゆるむ。
やがて、背中に当たるお日さまの暖かさにうとうとし始めた頃、風がどうと吹いてきて木の葉をがさがさと鳴らしたのです。
坂の入り口で、あせた紺の法被を着た人たちがのぼりをあげるのに四苦八苦していました。どうやら坂を登った先には神社があるようなのです。
「今からお祭りに行くんですがいっしょに行きませんか?」
その中の一人の女が私に向かって言いました。
神社までは15分ほどかかると聞き、おろしたてのこげ茶色の靴を履いていた私は申し出を断りました。でも、女の人懐っこい口説きに心がほぐされて、結局はスルメ昆布の載った盆を手に、行列の最後尾につながることになりました。
ラジカセからお祭りの唄をぴいひゃらと流しながら、私たち一行は坂道を登りました。
真っ赤なモミジをすり抜けた柔らかな光の中で、女は村の話をしました。
昔、この辺りの集落は蚕を育てて暮らしていたけれど、ある時からおやきを作って食べさせる商売に鞍替えしたということなのです。そしてその頃から村の神社では蚕にかわっておやきをお祀りするようになったらしいのです。
道の舗装がなくなり坂がいっそうきつくなるところに木でできた鳥居が現れました。まんなかには「おやき神社」と銘打たれていました。
「やれやれここからはほんとうの山道だ。新しい靴もここまでだ」
滑らないように気をつけて山道を進むと、すぐに切り開かれた平らな土地に出ました。そしてその一番奥には小さなほこらがありました。
ほこらの下に仕舞ってあった長机をひっぱり出し、白布を敷き、みなで運んだ供物を並べました。
「おおぉぉぉぉ」
支度がととのうと、一行のうちの村長さんが唸りながらほこらの扉を開けました。いよいよ神事が始まったのです。
氏子のみんなは私をお客様として迎えたので、私は一番に玉串を捧げることになりました。おもしろ半分でついて来たのに申し訳ないと思いながらも私は玉串を捧げ、二礼二拍一礼のうちに「新しいカメラをください」と七夕の子どものようなお願いをししました。
直会(なおらい)ではお下がりのお酒をいただいたのち、お供えしたカボチャのおやきもいただきました。
とどこおりなくお祭りが終わると、また持ってきたお供え物を手に、ふもとへ戻りました。転ばないように気をつけて、落ち葉のかさなる山道を下っていきました。
そのとき、風がどうと吹いてきて、モミジをがさがさと鳴らしました。木の葉がこすれ合う様子に気をとられ、私はずざあぁと足を滑らせて、思わず、うわっと声を上げました。
はっとして周りを見ると、私は展望台のベンチに腰かけていました。
すこし日はかたむき、日向ぼっこで腰かけていたはずの私は木陰に入っていました。
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