『対談 寂聴詩歌伝』(著)瀬戸内寂聴、齋藤愼爾 平成25年8月  本阿弥書店 | 生涯学生気分

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後期高齢者ですが「生涯学生気分」の境地で若々しく、知的な記事を発信して行きたいと思っています。

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内容(「BOOK」データベースより)
寂聴さん九十一歳。愛誦する遊行の文学、俳句・短歌・詩を自在に語る。ほかに俳句随想七篇収録。特別付録・寂聴俳句六十句。 
著者略歴 
瀬戸内 寂聴
1922(大正11)年、徳島県生まれ。東京女子大学卒業。57年に「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞を受賞。61年に『田村俊子』で田村俊子賞、63年に『夏の終わり』で女流文学賞を受賞。73年、中尊寺で得度受戒。法名・寂聴。74年、京都嵯峨野に寂庵を結ぶ。87年より2005年まで岩手県天台宗住職を務める。92年に『花に問え』で谷崎潤一郎賞を、97年に『白道』で芸術選奨文部大臣賞をそれぞれ受賞。06年国際ノニーノ賞(イタリア)を受賞。同年、文化勲章を受章 

齋藤 愼爾
1939(昭和14)年、京城市生まれ。俳人。深夜叢書社主宰。2010年、『ひばり伝―蒼穹流謫』で、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞
 寂聴さん(91歳)と齋藤愼爾さん(74歳)とは長年親交があり、「寂聴伝」も書いた愼爾さんですからお二人の対談は息もぴったりで和気あいあいムード。双方がエールを交換し合っている感じもありました。
まず、対談の冒頭の「寂聴」の法名の命名の経緯が面白かったので紹介しましょう。
齋藤----今東光さんの法名は「春聴」ですが、瀬戸内さんのは今さんがつけて「寂聴」とした。とてもいい法名ですね。
瀬戸内----師匠の法名の中の一字をいただくしきたりなんで。それで、「おまえさんは女だから、春をあげる」とおっしゃったんです。でも、今先生の小説に『春泥尼抄』というエロっぽいのがあるじゃないですか。それで、「春は飽き飽きしました。だから出家したんだから、聴をください」と言ってみたけど、それから一週間くらい音沙汰がなかったんです。そしたら突然、「なかなか聴につける字が浮かばないから、今朝早く起きて三時間座禅したら最後に目の前に寂という字が浮かんだ、寂はどうか」とお電話をいただいたんです。「あっいただき。それにしてください」ってことで決まりました。そうしたら今先生の奥様が、「春聴より寂聴のほうがずっと立派だから、お父さん、替えてもらいなさい」って言ったんですって。でも、私はいやだって断ったのよ(笑)。
齋藤----今東光が思いついた言葉が寂聴(出離者は寂なる乎、梵音(ぼんのん)を聴く)だそうですが、どういう意味なのですか。
瀬戸内----梵音とは、仏壇の前でチーンとするでしょ、あれも梵音だし、木魚の音も梵音だと思うんですよ。お寺の鐘の音も、お経も梵音だと思う。要するに仏様に関係したいい音はみな梵音。私はそのとき今先生に「梵音の意味をもっと広げて、世の中でいい感じの音は全部梵音じゃないですか、例えば赤ん坊が生まれたときのオギャーという声も、梵音じゃないですか。恋人同士の、あなたを愛しているわ、君を愛しているよなんて愛のささやきも、梵音じゃないですか。春のせせらぎの音も、要するに森羅万象が奏でるすべての快い音、全部梵音じゃないですか」と訊きました。そうしたら、「そうじゃ、そうじゃ、それで結構」と言ってくださったの。だから、そういうふうに解釈しているんですよ。「寂」は大抵の人が、みな「さびしい」と読むのね。それで、「さびしくなるんですか」と尋ねられるけれど、違うんです」。これは心が静かになることです。
煩悩は炎を上げて燃えている。その煩悩の炎が静まった状態が「寂」なんです。出家したものは、煩悩の炎が静まって心が静かになっている。そうなれば梵音が素直に聴こえてくる。そういう意味なんですよ。
齋藤----本当にいい法名ですね。「聴」の他に何か当てはまる語がないかと、いろいろ考えてみたけれどないですね。
瀬戸内----ない、ない。「春聴」もとてもいいですよ。でも、私は「寂聴」のほうがいいと思う。
・寂聴さんが20年以上も続けた岩手の天台寺での青空法話、私も知ってはいたんですが、一回に平均5、6千人も集め多い時は1万5千人も。大きな観光バスが126台も来たとのこと。最初は自分の小さな体からエネルギーが群衆に吸い取られそうな気がして体調も崩したが、視点を変えてこの何千人からパワーをもらっているんだと思い直したら元気になったそうだ。
・寂聴さんが『源氏物語』の現代語訳に取り組んで感じたこととして、「紫式部出家説」があるんですな。『浮舟』の場面での出家の場面を読んでいて、紫式部は『浮舟』を書く前に出家して経験しているからこそ書けたんだな確信したとのこと。

 

俳句のことでは、作家木山捷平氏に連れて行かれた久保田万太郎主宰の文壇句会に円地文子と一緒に初めて出席した折、久保田万太郎が<門下にも門下のありし日永かな>という句を即席で詠んだが、寂聴さんは自分の事だと思って万太郎に短冊を所望し皆に呆れられた話とか、雑誌「銀座百点」の句会では作家の永井龍男宗匠に「だいたい小説を書いて売れているような人間に、俳句なんてできないよ」と、意地悪をされた話。そして永六輔さんらの「東京やなぎ句会」に招かれて選句したものが全部小沢昭一さんの句で「瀬戸内さんの男を選ぶ眼が分かった、ああいうのがいいんだろう」とからかわれた話。

 

 

寂聴さんは、蕪村が絵も含めて好きなんですね。山頭火、放哉については積極的な評価はしてませんね。作家仲間の評では俳句が上手な人として中里恒子、網野菊、そして吉屋信子さんの名前を上げています。
一番興味深かったのは齋藤さんに求められて江國滋、鷹羽狩行、鈴木真砂女さんについての交遊録を語っている所ですね。寂聴さんは現代の俳人では鷹羽狩行さんが大のお気に入りみたいですね。
この江國滋、鷹羽狩行、鈴木真砂女の3人に加えて吉屋信子、地唄舞の名手で俳人でもあった武原んさん、そして東京女子大学の後輩で寂庵句会の主宰である黒田杏子さんについては、別途第二部「随筆」の部で素晴らしいエッセーを載せています。

 

 

特に吉屋さんの句「初暦知らぬ月日は美しく」の観賞は秀逸、「可愛い怪物」と題した鈴木真砂女さん、そして俳壇の「光源氏」鷹羽狩行さんあての好感溢れた手紙仕立てのエッセーが印象に残りました。狩行さんが正月2日に寂庵を訪れた時の「寂庵三句」が

 

 

尼君のまろみに倣(なら)い鏡餅
仏弟子のごとくに侍り福寿草
寂庵の嫁が君また美しき

 

 

そして第三部に「瀬戸内寂聴俳句抄」として60句が挙げられているんですが
僭越ながら生涯学生気分の特選10句として選句させていただきましたのが

 

 

経行(きんひん)の蹠(あうら)冷たくて冬紅葉
日脚のぶひめごともなき鏡拭く
曼荼羅華降る経をあげ庵の春
標的を朝日まづ射る寒稽古
戦火やみ雛(ひいな)の顔の白さかな
生かされて今ある幸や石蕗の花
むかしむかしみそかごとありさくらもち
御山(おんやま)のひとりに深き花の闇
骨片を盗みし夢やもがり笛
秋冷や源氏古帖の青表紙
 (注)経行とは禅を一炷(いっちゅう)(40分ぐらい)行った後、引き続き坐禅をする場合には、途中で経行(きんひん)を行います。経行とは、堂内を静かに歩行することをいいます。
 (注)蹠(あうら)は足の裏のこと。