『ザ・ラストバンカー~西川善文回顧録』(著)西川善文 講談社 | 生涯学生気分

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後期高齢者ですが「生涯学生気分」の境地で若々しく、知的な記事を発信して行きたいと思っています。

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要旨(BOOK):安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ銀行争奪戦、小泉・竹中郵政改革…現場にいたのは、いつもこの男・西川善文だった。「私は悪役とされることが多かった」---顔が見える最後の頭取、「ザ・ラストバンカー」と呼ばれた著者が綴った、あまりにも率直な肉声!
  
著者紹介(NS):1938年奈良県生まれ。61年大阪大学法学部卒業後、住友銀行に入行。大正区支店、本店調査部、融資第三部長、取締役企画部長、常務企画部長、専務等を経て、97年頭取に就任し8年間務める。2006年日本郵政社長就任、09年退任。現在、三井住友銀行名誉顧問。
本の目次は次の通りですが、第1章から第5章までが住友(合併後は三井住友)銀行時代のいわば銀行マンとしての輝かしい奮闘記。第6,7章は政治の波に呑みこまれ理不尽な退任に追い込まれた無念の記。

 

第1章 バンカー西川の誕生
第2章 宿命の安宅産業
第3章 磯田一郎の 時代
第4章 不良債権と寝た男
第5章 トップダウンとスピード感
第6章 日本郵政社長の苦闘
第7章 裏切りの郵政民営化

 

 

著者の西川氏によれば、営業勤務はわずか数年で銀行員生活のほとんどは企業の破綻整理、不良債務整理の連続で銀行員としては異質とのこと。いわば才能を買われて会社の危機に際しての特命業務を遂行したんですな。その功もあって住友銀行では法王と云われた堀田庄三以来の50代(58歳で頭取に昇進した飛び切りに優秀な銀行マンだった。

 

 

小泉内閣誕生で竹中郵政大臣が日本郵政社長に就任依頼したのも西川氏の力量に魅せられてのことだったんですな。因みに依頼が在った時は西川氏は大腸がんⅡ期と診断され摘出のための入院もしていたが、小泉首相の強い意向もあり、相当の決意で日本郵政社長就任を受諾したんですね。

 

 

それだけに政争の道具にされ、事実を歪曲し一面的な報道をするマスコミ、郵政民営化に賛成しておきながら嫌がらせの質問をする政治家など、無責任な輩のために辞任に追い込まれた無念さは、第6、7章でまさに切々と語られています。そして改めて郵政民営化の意義を読者に真摯に問いかけています。

 

 

安宅産業処理、平和相銀・イトマン事件、磯田一郎追放、銀行大合併、UFJ銀行争奪戦などは、西川氏がまさに事務処理の担当者だっただけに登場人物が生生しく描かれ、西川氏の採用時の人事部長であり可愛がってくれ、「住友銀行の天皇」と云われた磯田一郎頭取の追放工作のために上司から頼まれて緊急の部長会を招集し血判状を用意するなどの場面はまさにサラリーマン映画の一こまでした。

 

 

本来人間性は良い磯田頭取をおかしくさせた犯人として取り巻きの役員の実名をあげたり、イトマンが高価な美術品を買い込んだ背景に磯田頭取が溺愛した長女の名前を挙げているのも印象に残りました。銀行の中でも堅実なイメージがあった住友銀行に平和相銀・イトマン事件のような闇の紳士が暗躍する事件が起こったのも、前述のゴマすり役員のためだとされています。

 

 

UFJ銀行争奪戦の章では、一面識の無いUFJ銀行の会長と頭取より会合の要請があり会ったが、相手側から合併の話がひとことも出てこなかったので世間話ばかりしていた。その後、UFJ銀行が東京三菱銀行と合併することになったが、あの会合で自分の方から合併の話をすべきだったと臍を噛んでいる西川氏には笑ってしまいました。銀行のトップ同士でもメンツとか駆け引きがあったんですね。合併の話はそれほど微妙だったんですね。

 

 

また、磯田頭取が橋本大蔵大臣を青二才扱いした発言をし、西川氏が橋本大臣に会い謝罪したら、橋本大臣が微笑して「分かっているよと」一言いい、カレーライスを御馳走してくれたエピソードも楽しかったですね。
その他、破綻した安宅産業の主力銀行が住友なのになぜ住友商事でなく伊藤忠商事が安宅を吸収合併したか、国宝級の美術品もあった安宅コレクションの処理、さくら銀行との合併の経緯など興味深く読みました。

 

 

この回顧録、大物経営者にありがちな手柄話とかお説教でなく、高度経済成長期からニクソンショック、オイルショック、バブル崩壊、そして経済のグローバル化の中での「失われた20年」と言われる日本経済の変遷の中にあって、真摯に積極的に自己に課せられた任務を遂行した経済人の率直な回顧録として読後感の良い物でした。若い人たちに読んでいただきたいですな。