続「お釈迦様と大日如来そして阿弥陀如来、どなたが一番偉いの?」 | 生涯学生気分

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後期高齢者ですが「生涯学生気分」の境地で若々しく、知的な記事を発信して行きたいと思っています。

 

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先日、鎌倉へ行った折、色々な仏像を拝観しました。
以前、このブログで「お釈迦様と大日如来どちらが偉いの?」と疑問を提起し

https://ameblo.jp/ak296910/entry-12511352567.html?frm=theme

を載せたことがあります。

キリスト教の三位一体説では神と聖霊とイエス・キリストは本質的には同じものとされ、彫像もキリストの十字架像と明確ですが、仏教は分かりにくい、仏像だけでも如来、菩薩、観音、不動明王、毘沙門天、羅漢とか色々です。

以前眺めただけで放り出してあった『仏様の履歴書』(市川智康、日蓮宗妙安寺住職)を読んでみましたら、次のように「仏様」は分類されていました。

まず「ご本家の仏たち」として
釈迦牟尼仏(お釈迦様)、阿弥陀如来、薬師如来、毘盧舎那仏、大日如来、多宝如来がいらせられます。この仏の中で人間の形でこの世にあらわれたのは、お釈迦様だけだそうです。一般にお釈迦様は現世で修行し悟りを開いたとされていますが、元々仏だった そうです。
 釈迦牟尼仏(お釈迦様)と阿弥陀如来等他の仏との関係ですが、釈迦が仏教を開く前に存在しており、釈迦の教えをまとめた経典の中で成文化・明定されたのかと思うんですが、『仏様の履歴書』ではその辺の説明はなかったですね。
 密教の曼荼羅では大日如来が最高の位置を占めていますし、親鸞の浄土真宗等浄土教の系統は、阿弥陀如来が将来現出して人々を救うとしていますね。
 イエスはキリスト教では単なる予言者でなく神であり、イスラム教の創始者ムハンマドは自分は神の子でなく人の子であり,ただ神のご託宣を民衆に伝える身と言っているとのことです。
 ともかく、日本仏教における釈迦牟尼仏(お釈迦様)の位置付けが私にはいまだ不明です。仏教の初期や東南アジアに一般的な小乗仏教では仏そして仏像はと言えば原則お釈迦様だけだそうですが、大乗仏教の日本では八百万神とおなじように一律的な権威付け(位置付け)をしないで、それぞれ一番ありがたいと思う経典とその経典に出て来る 仏様を信仰しているということでしょうか。

そして、「分家のほとけたち」として
 聖観世音菩薩、千手千眼観音、十一面観音、馬頭観音、文殊菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩、普賢菩薩等観音や菩薩が挙げられています。
 この分家のほとけたちは、ご本家の仏が直接民衆を助けるために現れた分身とか。仏の資格があるが教えを広めるために観音となったとか、仏になるため修行中のほとけ(弥勒菩薩)なんですね。よく目にするお地蔵さん(地蔵菩薩)も弥勒仏がこの世に現出するまでの間、人々の悩みを救うために存在してるんですね。
 これらの分家のほとけは、本家の脇侍仏としてはよく本尊の仏の横に位置していることがあるんですね。薬師如来の左右の日光菩薩、月光菩薩のように。

そして「ご本家を守るほとけたち」として
 不動明王(成田さん)、愛染明王、帝釈天(柴又寅さん)、毘沙門天王、弁才天、大黒天、吉祥天、仁王尊、閻魔大王、稲荷大明神、金毘羅大将、牛頭天王、八幡大菩薩等。
 この仏の守護神は、元来インドの神様であるが仏教の守護神と位置付けられた弁才天とか大黒天。そして元来インドの悪神であって釈迦によって仏教に帰依した鬼子母神、阿修羅なんかですね。ですから阿修羅は「仏様」ではなく、「仏」の守護にあたっているんですね。

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