昨日はピアノの日でした。

(どこかで習い始めたので?)

なんで今更習わなきゃならん!

基礎なら叩き込んであるし、その先の音楽表現は自分の問題!

(今弾けないくせに大口をたたくな)

うっ...しくしく

 

うっうう...しくしくしく...

うううう...しくしく...しくしく...

(何もそこまで鬱陶しく泣かんでも)

しくしく...しくしく...しくしく...しくしくしーくしく...

(えーい、鬱陶しい!!)

ふぇーん、カバさん、今毎日はピアノ弾けないんだよぅ。

(なんで?)

腱鞘炎がまた悪化してしまいまして。

(はぁ?1日10-15分程度で?)

そのやり方がまずかった...

 

ハノンで1番より前のページに、1番を例にたくさんのアレンジが載っていると書いたでしょう?

やっぱりその中から今の指に必要と思うものを全部ピックアップしてやるのが指を鍛える近道と思いまして。

実家に置いてあったものを送ってもらって22のアレンジから1,2,19番を除く19通りを通しで弾くというのを始めたんですが。

(ついこの間約10年振りで再開したばかりなのに19通りは多すぎませんか?)

や、やっぱりそう思う?

 

実はそれまで自分で考えた8通りを通しで弾くだけでも衰え切った腱には多少負担を感じていたんですが。

でも弾けなくなる前でも多少の痛みはあったわけで。

ドケルバン病を発症する前でも既に慢性腱鞘炎だったから。

だからこのくらいの痛みには慣れているし、騙し騙しやっていけば何とかなるだろうと。

 

そしてやはりたった8通りを通しで練習している程度ではショパンやリストを弾くことはできない!と思いまして。

(だから何で一気にそういう話になるんだ!)

どうせ再開したからには目標は高く!

(順番というものがあるでしょうが、順番というものが)

うっ、確かに物事には順番というものがありました。うう...

 

19通りを通しで弾き始めて2日目、途中でまず手首が「ビキッ!」。

...え?

......

き、気のせいかな...?

(↑本当は気のせいではないとわかっている)

そのまま弾き続けてたら今度は親指の付け根辺りが「ピキンッ!」。

...え、えーと...あともうちょっと。

更に肘内側の外側(4と5の指に繋がる腱の辺り)が「ピキーッ!」。

う...うぎゃあ!

 

3か所も!

それもビキビキするほどの痛みが。ふぇっふぇっ

このまま続けてたらもっと悪化してまた弾けなくなるよう。

それは嫌だよう。ふぇーん...

 

となって、またあちこちシップ貼って2-3日に1回軽く練習、ということになりました。

もちろん、19通りの連続練習などもってのほか。

ふぇーん、もっと鍛えないとショパンやリストが...

(だから順番を踏まえろって)

 

ふぇーん、やっと指太郎たちが独立したのにぃ。

(...指太郎?)

特に右の指太郎君たちは全員揃いも揃って自立心旺盛。立派に独立しました。

(指1本1本が自立心って...想像すると不気味なんだけど)

はぁ?

でもそういう言い方が一番しっくりくるよ。

全部脳が司ってるとは信じられない。
指太郎たちが自分で頑張ってるように感じる...のだよなー。

 

一番厄介だった左の4もどうやら自立心が育ってきたみたいで、前ほどお荷物にはならなくなってきた。

しかしおまえ、隣の5と交互に弾く時ちょっと寝てないか?

だから音が潰れやすいんだよ。

もうちょっと上から叩け。

斜めに入るな。

頭からいけ頭から!

「で、でも隣の5が短くてそちら側に傾斜してしまうから...」(←左4の指太郎君)

言い訳をするでない!

5太郎は短く小振りなハンディをはねのけ、他の指に劣るまいと精一杯頑張ってるんだぞ!

(...5太郎?)

見た目あんなにひ弱でも、おまえよりよほどしっかりした音を出す。

少しは見倣え。

「あ、あい...」

えーい!シャキッとせんか!

どうしてそう引っ込み思案なんだ。

(↑指と対話する変態)

とはいえ...

 

そうか、これまで4は弱くて不器用でお荷物になり易いと考えてきたが、傾斜の問題もあったのか...

何10年と経ってから気付くこともあるのだなぁ。

これは改善の余地があるかも。

...ん-?こうして見ると右の方が傾斜が酷いような?

 

おい、右5、おまえ短い脚(?)を伸ばして必死に鍵盤叩こうというのは立派だが、思いっきり伸ばすせいでキイを叩く時第1関節が引っ込んどるぞ。

それじゃいい音出せないだろうが。

「し、しかし...」

しかしもかかしもあるか。

出せ!第1関節を出すのだー!

(...)

 

でも4は右の方がしっかりしているなぁ。傾斜角度は左より酷いような気がするのに。

やっぱり自立心も関係してるよな。

左4はどうも甘ったれでいけない。

(...)

と注意を払う指(右5と左4)の腱にはますます負担がかかり...うっ...

(やっぱり諦めたら?)

簡単に言わないでもらおう。

やっと弾けるまでになったんだ。

(いや弾けてないじゃん)

やかーしー。

 

ペースを落とせば何とかなる!いやしてみせる!

弾けなくなる前だって1-2週間に1時間ほどでもたせてわけだし、それで素人コンサートなんかも開けるレベルは維持できてたわけだしー♪

「聴かされる方はたまったもんじゃないが」(←お客様)

拍手喝采だったじゃないか。

(自分で録音聴いてどうでした?)

うっ...

耳がいいので粗が目立ちました。

(誰が聴いても粗だらけじゃ!)

やかーしー。

 

今更コンサートなんぞ開く気はないが、とにかくまたもっと弾けるようになりたい。

やっぱり受け身の楽しみより自分で能動的に何かすることの楽しみの方が大きいんだ。

コンサート行くのも大好きだけど、自分で演奏することの喜びはまた格別。

(なるほど、ハノンを演奏する喜びが格別と)

人を変態扱いするな。

今は曲も弾いてるわい。

 

ハノンのアレンジ練習を当分封印する代わりに、最近はチャイコフスキーを弾いてます。

(ええ?!)

あ、運指練習はしてるよ。

やっぱりこれなくして指の独立は成り立たないから。

1往復で止めて、次はテンポ速めてまた1往復、それからスタッカートで1往復だけだけど。

今はとにかく連続でやらないようにしてる。

(じゃ、19通りのアレンジも1往復ずつ休みながらやっては如何でしょう)

そんなつまらない。

(...)

運指練習というのはとても退屈なんだよ。

(運指練習でもピアノが弾けるのが嬉しいとか言ってませんでしたか?)

曲を弾く楽しさを思い出してしまってはもう戻れない。

(...)

 

で、チャイコフスキーです。

(だからどうしていきなりそうなる)

やっぱりこういう”曲”を弾く楽しさは全然違うなぁ。

(チャイコフスキーの何を弾いているんだ、まだまだ思い通りに程遠い指で)

『子供のためのアルバム』。

(...にゃるほど)

 

実家からハノンを送ってもらう時、これとブルグミュラー25練習曲集も送ってもらいまして。

けど、ブルグミュラー25は12, 13, 15, 22, 23ぐらいしか弾く気になれないなぁ。

あとはクソつまらないよね。

(知りません...)

12, 13, 15, 22, 23は簡単ながらも結構表現のし甲斐があって楽しかった。

けど舟歌の22番はともかく12,13,15,23はたっぷり緩急つけつつもメインパートを物凄いアップテンポで弾くのが快感だったから、まだ封印しとこ。

なんちゃって弾くだけだったらまぁ弾けたけど。

表現もクソもないな。

やっぱ封印しとこ。

 

それにブルグミュラーって、練習曲集としては失格だね。

(は?)

ほぼほぼ右の訓練に偏り過ぎ。

左の方だって鍛える必要あるのに。

こういう曲集が多いから、左の方の上達が遅れるんだよ。

後で困るのに。

18練習曲集の方は音楽的な美しさや抒情性で優れているから練習曲集としての欠陥には目をつぶれるが、25の方はクソつまらないのが殆どな上に練習曲集としては欠落しているとなると何の為に書いたのかと言いたい。

(...)

 

その点、チャイコフスキーの子供のためのアルバムはよく考えてあるなぁ。

注意して見ると、どれも左右をほぼ均等に使うような構成になっている。

それでいてブルグミュラー18にも負けないほど抒情性がある曲が多い。

いや抒情性においては優ると言っていいものも。

あんな平易な曲ばかりなのに。

さーすが♪

この辺が後世に名を遺した大作曲家チャイコフスキーと、初心者専用と思われているブルグミュラーの作曲家としての力量の違いかしらねー?

「...」(←ブルグミュラー)

 

チャイコフスキーのこのアルバムで特に好きなのがお人形シリーズでして。

(お人形シリーズ?)

6番「病気のお人形」、7番「人形のお葬式」、9番「新しいお人形」です。

(不吉な...)

特に6番と7番が大好きで。

(...)

6番は重病にかかったお人形の傍らで胸傷める幼子の嘆きそのものといった感じだし、7番はもう本当に沈み切ったまさにお葬式!という陰鬱な曲です。

(どうやったら人形が病気になるんだ...)

深く追求するな。子供向けなんだ。


6番も7番もたった1ページと短いながらも、あれはショパンの「葬送ソナタ」主題に匹敵する陰鬱さだ。

はー、何と心地よい...

(子供の頃からそういう変態だったのか...)

うんにゃ、子供の頃どう思ってたかはもう覚えてない。

つまりはどうとも思ってなかったんじゃないかな?

 

これでも私、子供の頃は機械的な弾き方をする方だったとかで、だからこそこういった抒情性の豊かな曲集を随分とやらされた。

大人になってからは感情をぶつけて弾く方だったから、それしか聴いたことない人は信じられないかもだけど。

「感情をぶつけてというより破壊的というべきでしょう」(←聴いたことのある皆さん)

 

チャイコフスキーアルバムのお人形シリーズは大人になってから長期ブランク後に再開した時引っ張り出して弾いてみて、メタクソ気に入った!

やっぱりこういう面での表現とかって、大人になってからこそだなぁ。

 

お葬式を終えて次の曲ではなく、1拍置いてから新しいお人形を迎えるというこの配置も見事じゃない?

ウキウキとした新鮮な喜びに満ち溢れていて、なかなか愛らしい曲です。

6番7番の揺さぶりには負けるけど。

あの陰鬱さの心地よさは癖になりますな。

(...)

 

他にも20番「ババヤガ(魔女)」、21番「甘い夢」、23番「ひばりの歌」辺りは大好き。

(ふむふむ、美空ひばりの歌まで入っていると)

鳥のヒバリじゃ!失礼な。

「失礼な!」(←故美空ひばり氏のファン)

は、申し訳ありません。

 

と、色々弾きたいがまずは1番の「朝の祈り」から。

これも短いながら厳かで美しい。

凄く平易なんだけど、実はほとんどが和音の連続。

この和音が微妙にズレてしまう箇所が結構ある。

本当に0.00000...秒程度のずれなんだけど、それでもやっぱり悲しいなぁ。

昔はこの程度の和音でズレるなんてあり得なかった...

 

もう1回弾いてみよう。

...うーん、やっぱり微妙にずれる。

ということは、まだ指の力が均等ではないということか。

いや完全にはコントロールできていないということ...なのかな...?

もう1回...うーん...

もう1回...うーん...

もう1回...ピキーンッ!...ひぇぇ!

き、今日はこのくらいにしておこう。
この程度の曲でも何回も弾くと負担になるのか。うっ...

 

ということで、チャイコフスキーは弾けるようになってきたが、ショパンやリストへの道は遠い。

(いやチャイコフスキーといっても子供用ですから)

ううっ...それで手首その他に痛みが出るほどの負担って...

(老化もありますから...)

あとからあとから追い打ちを。ううっ...

 

でもチャイコフスキーの「秋の庭」ぐらいはそのうち弾けるようになるだろう。あはは

(あれオクターブ結構あったんじゃなかった?)

う...手首への負担が...