うーん、どうも最近夢見が悪い。

何か良くないことが起きる前兆だろうか?

 

良くないことならほぼ毎日起こってる気がするが。

権力は腐敗しきってるし、コロナは収まらないし、福島ではまた大きな余震があったし。

あれ気の毒だなぁ。

どうして同じ場所ばかりが傷めつけられるのか。

(余震だから)

...そういう意味で言ってるのではない!

どうせなら霞が関限定で大地震でも起こればいいものを。

(...)

 

それにしてもこう悪夢続きだとさすがに滅入る。

ここ1カ月ほどになるかな?

やたらと悪夢を見るようになった。

(どんな?)

後から後から悪夢を見るので一々覚えていられないが、最近ので割と鮮明に覚えているものでは、アルミンクさんが指揮後ステージで刺されたところで目が覚めた。

(...)

嫌な夢だなー!

(自分の願望じゃないの?)

何故に私がアルミンクさんを刺したくなる!

音を忘れたカナリアだから)

うーむ...確かに「あの音をもう引き出せないのなら何故生きている」とは思うが。

「...」(←アルミンクさん)

 

本当にもう...聴けないのかな...?

あの音楽の真髄に入り込むことはもうないのかな...?

じじさまみたいに鬼籍に入ってしまってもう聴けない、というのは悲しいし、「もっともっと聴きたかった...」とある種の後悔にさいなまれるけど、それでもそれが叶わないことには納得がゆく。

翻ってアルミンクさんは今も生きてるのに、もうあれほどの演奏には出会えないとなったら...

いっそ死んでくれた方が気分的には楽かもなぁ。

(やっぱり)

思っても実行なんぞするか、あほ。

 

それでいうならイングヴェイだって刺さねばとなるだろうが。

脂肪が厚すぎて致命傷になりそうもないけど。

「...」(←デブったイングヴェイ)

ついでに言うと、こちらはもうお弔いは済ませたほどで。

「...」(←生きているイングヴェイ)

 

などと悲しいことばかり書かず、感動に打ち震えた貴重な演奏についても書きましょう。

ということで、2019年夏の我が3大(生存)指揮者の最後を飾ったゲル太郎のお話です。

(注:ゲルギエフのことです)

 

まずはプログラムを。

 

前半:?

後半: ショスタコーヴィチ 「交響曲第4番」

 

指揮:ゲルギエフ

オケ: PMFオーケストラ+PMFアメリカ

 

(前半は前衛だったので?)

は?

(「?」なんて前衛でもない限りないタイトルかと)

違うわ。覚えとらんのよ。

(...それが感動に打ち震えた演奏だったので?)

打ち震えたのは後半。

前半は全然記憶にない。

ということは、大した曲でも演奏でもなかったのではないかな?

何といっても特筆ものだったのは後半!

まぁ聴くまでは大した期待はしてなかったのだけど。

 

それではとっとと後半行きましょう。

前回書いたポリャ太郎のチャンチキおけさ演奏に耳を疑った私ですが。

「チャンチキおけさ演奏が何なのか全然わからない私たちですが?」(←皆さん)

やーね、これだから感性のない人間って嫌いよ。

(表現の問題だと思います)

ホットケ。

 

ゲルちゃんのタコ4を聴いた時も耳を疑った。

聴くまでは「これがタコ5か8か10か11か14だったらなー」と思っていたのだが。

始まったら...

「...え?...タコ5?」

(は?タコ4ではないので?)

その筈なんだけど。

こ、この尋常でない重苦しさ。

ええ?!タコ4で?

いやまさかそんな筈は...

 

どうしてもタコ4に聴こえない!

というよりタコ5に聴こえる。

(全然違う曲じゃありませんか?)

その筈なんだけど。

でも本当にタコ5じゃないかと思ってしまったほど、この演奏にはそれまで聴いたタコ4とはまるで異質で、寧ろタコ5で体験した時と同様の恐ろしいまでの緊張感があった。

まぁタコ5でもそこまでの緊張感になった指揮者は稀だけど。

そうかと思うとチャンチキおけさにするのもいるし。

(...)

うっ

(う?)

 

うっううっ...うううっ...

(どうした?)

いや今イングヴェイのCrying聴きながら書いてるもので。

(...)

さっきインギーに言及したらなんか急に聴きたくなってFinal Curtain、Seventh Signと聴いてからCryingにしたら、やっぱり泣けて泣けて。ううっ...

「イカルスの夢」は?)

ただでさえ悪夢見続けて滅入ってる時にあれまで聴いてしまっては立ち直れないからやめとく。

 

厄介だよなぁ、曲も演奏も素晴らしすぎて聴けないというのも。

イングヴェイの演奏はあまりに美しく、そして悲しすぎるんだよ。

Cryingだって音量絞ってのながら聴きだからまだうっとなる程度で済んでいるが、じっくり聴いたらかなり堪える。

特に後半アコギからエレクトリックギターに代わってググっと盛り上がるところ。

あそこ聴くとどうにも胸が詰まって。うううっ...

コンサートという特別な空間でそこまでになるならいいけど、これじゃ家で気軽に聴くこともできない。

 

とはいえそこまで動かされるほどのものがあったというわけで。

本当に素晴らしかったよなぁ、あの頃のイングヴェイは。

もう取り戻せないのか、あれも。うっ...

やっぱり刺してやろうか?

(おい...)

冗談だってばー。肉厚で無理だし。

(...)

 

あ、終わった。

次はRiot in the Dungeons聴こう。

(ゲル太郎はどうなった)

あ、すみません。

聴きながらだとなかなか進まないなぁ。

「...」(←ないがしろにされるゲルギエフ)

ないがしろになんかするもんですか!

あんな演奏聴かせてくれて。

あんな...夢にもよらない、想像すらできないタコ4!

 

どうしても信じられなくて。

(イングヴェイがブタになったのが?)

ゲルちゃんが振るタコ4が!

 

考えてもみてよ。

タコ4とタコ5って全然!違うタイプの曲じゃない。

これがタコ8で「え?タコ5?」となったのならまだわかる。

あの2曲は冒頭よく似ている。

しかも雰囲気で分けるなら5と8の方が4よりは近いものがある。

 

全然違う曲の筈が...

曲目変更したわけじゃないのにー一時はそれすら疑ったほどだが、どうしても信じられないほどそれまで聴いたタコ4と違う。違い過ぎる!

 

こ、こんなにも深く重い内面を秘めていたのか、この曲は?

どちらかというとはっちゃけたワケわからん曲だった気がするが。

違う!そんな外面だけではこの曲の意味は見えてこない...のでは...?

この曲の本質は...この曲の...本質は...ふるふる...ふるふるふる...

 

そうだよなぁ。

タコさんが圧力による発禁(?)を恐れて一度は封印したほどの曲。

単なるワケわからん前衛というだけの筈がないのだ。

となると...

 

これまで私が聴いたタコ4は一体何だったのだ...

あのふざけてるだけのアホな前衛みたいなタコ4は?

「...」(←カバ太郎が聴いたタコ4の他の指揮者たち)

いやふざけてるだけは言い過ぎだが。

違うよ、違い過ぎる!中身の濃さが!重さが!深さが!厚みが!

(厚み?イングヴェイの脂肪とどちらが?)

...雰囲気を壊すな、雰囲気を。

 

やっぱり偉大だ、ゲルちゃんは!

これほどのタコ4を聴けることになるなんて!

曲のイメージが180度変わってしまうほどの衝撃だった。

もう他の指揮者では聴けないなぁ。

そしてやはりこの人に最も合っているのはタコさんなのだなぁ。

というか、この稀代の指揮者をとことん本気にさせるのはタコさんだけということかしら?

チャイコフスキーや玉虫君辺りも聴いてみたいが。

 

結局シューベルトやマーラーでは役不足だったということなのだな。

それであれほどまでに酷い演奏が2年続いていたのか。

「...」(←シューベルトとマーラー)

まぁ前年のは手抜きだったからでもあると思うけど。

あ、その前年もか。

まぁシューベルトなんて力入れる指揮者の方がどうかしてんじゃないかと思うが。

(シュ、シューベルトが好きな皆さん、このサルの趣味に合わないというだけですよ)


それにしても...

ゲルギエフという人は物凄い成功を収めていて順風満帆な指揮者生活ではないのか?

それってかなり幸せな人生ではないのだろうか?

でも...

こういう演奏聴いていると、どうもそうは思えなくなってくる。

どうしてこの人が本気で振った時の演奏というのはこれほどまでに重苦しく尋常でない緊張感が漂うのだろう?

 

初期のイングヴェイに関しても「あまり幸せな人じゃないのか?」と書いたことがあるが。

そしてそれはある意味当たっていたらしいこともわかってきて、だから一端失われたらもう元に戻らないこともある意味納得がいくのだが。

ゲルちゃんもあまり幸せな人ではないのだろうか...?

世界で最も成功している指揮者と言ってもいいほどなのに。

 

タコ8も凄かった!けど、あれは曲想からしてそういう指揮がはまるというのは納得がいった。

けどタコ4であんなにも緊張を強いられるとは思わなかった。

それは私にとっては嬉しい衝撃だったけど、あのタコ4であれほどの重苦しい内面を描き出せるゲルちゃんは、一体どういう人生を歩んで今に至っているのだろう?と疑問を持ちました。

 

...あ!

もしかして...

芸術を追及するための環境を確保するために権力に擦り寄らざるを得ないことへの葛藤...とかかな...?

この人ツルおやじと結構仲いいよね。

(注:ツルおやじとはプーチンのことです)

あの国もいつまでもおかしなことばかり続くね。

あのおやじは元々強烈な権力志向だし。

なんて、日本も他国のこと言えなくなってきてるけど。

そういえば日本も今トップはツルおやじか。わはは

(...)

なんて笑っていられる場合ではないが。

 

ああいう国で自由な芸術追及を可能にするには...良心を犠牲にしなければならないということだろうか?

その苦しさをタコさんと重ね合わせるから、あれほどのタコシンフォニーを?

でもタコさんはぎりぎりまで抵抗してたけどな。

そればかりかあれだけ弾圧受けても尚、社会的不正を告発しようとしていた。芸術をもって

権力との妥協を選んだ(?)ゲル太郎がそのタコさんを誰よりも(?)表現できるということは...

複雑だなぁ...

芸術的には最高なんだけど。