うさ子です。

(は?)

このところうさちゃんのコロコロを大きくしたようなのが続いていましたので。

(うさちゃんの何倍もあろうが!)

でもうさちゃんタイプだったので。

(...)

それで気付いたんですが、うさちゃんっていつもあんな堅いの出してるとしたら、慢性便秘症ではないでしょうか?

それで気張ってるからあんなに血走った赤い目になってしまったのではないかと。

(...今日こそお題通りのこと書けよ)

あ、そうでした。

 

PMFガラ2017も遂に最終回です。

(いつまでもほっとくからだろうが)

今日こそは終わらせます。

 

つまりオケ部分がかなり良かったんですよ。

(いきなり入るな、いきなり)

うるさいなぁ。

さっさと書けというから書いてるのに。

 

で、オケ部分が良かったんです。

下手だったんじゃないのか?)

上手い下手を超えた良さというものがあるのです!

素晴らしい指揮者だけが引き出せる何かが!

それがこの協奏曲のオケ部分を大層魅力的にしてまして。

なかなかいい曲だなーと。

山根君で聴いた時、「曲は全然大したことない」と書いていらっしゃいますが?)

そこなんですよ!

(ああ!山根君の演奏が大したことなかったと)

あの演奏聴いてとことん惚れこんだんだよ~。

そういうこと言わないでくれる~?

実際そう大した曲というほどではないのだ。

 

じゃあ何が違ったかというと...

山根君を聴いた時、私はバイオリンしか聴いていなかった。

オケ部分は一切耳に入っていなかったのだ。

だからバイオリンの素晴らしさは堪能したが、曲としてどんなだったか聴いていなかった。

 

それと、やはりさすがのゲル太郎の指揮にもよるのではないでしょうか?

誰が振ってもあそこまで魅力的なオケ部分になるとは限らないのではと。

 

更にこの曲、ソロが大層活躍するので、オケが活躍する部分というのは相当に限られているらしい。

だからオケ部分でいいなーと思って聴いていても、ソロが入ってしまってそれが続かない。

(ソロも良かったのではないでしょうか?)

そこなんですよ!

(やっぱり下手だったと?)

上手いですよ。上手い下手で言うなら。

情感もあったし、年齢を考えれば信じ難い。

ただ...

 

どういうわけか、聴いてるうちに眠くなりましてね。

(...)

これは山根君では絶対ありえないのだが。

オケ部分をもっと聴きたいなーとは思ったんですが。

思うようには運ばない曲想のようでもあり、悪いけどソロにはやはり何かが欠けている。

もしかしたら山根君を聴いてなければまた違ったのかもしれないが。

眠くなったのだからしょうがない。

なので第2楽章の途中から寝てました。

(...)

 

因みに情感といっても、山根君とはまた異なるタイプです。

凄く繊細な感じ...だったかな?

(山根君は繊細ではないと?)

んー、そういう言葉でくくれないものがあるような気がします。

あれは物凄くスケールデカい感じだし。

そういうスケール感はないですな、このロザコヴィッチ君とかいう坊やには。

 

でもね、後半聴き終わってつくづく感じたんですが。

結局ゲル太郎は今年のガラではこのVコンに最も力を入れていたのだな、と。

だからこそ、オケ部分もあんなに魅力的に仕上がったんでしょう。

ということは...

 

ゲル太郎はそこまであの坊やに入れ込んでいるということか?

んー、そこまでの器とまでは言えないのではないかという気がするのだけどなー。

でも後半より力入ってたと思うのだよなー。

(してその後半は?)

寝てました。

(...)

 

最初のうちは起きて聴いてたんですけどもね。

何といっても今年のガラの最後を飾る曲ですから。

でも所詮シューベルトはシューベルトなんですよ。

「...:」(←シューベルト)

この程度の曲で何が「グレイト」だ。けっ

ゲルちゃんが振ってもやっぱりこの程度。

という以前にゲルちゃんもあまり入れ込んではいないようだし。

ならば眠いのでまた寝ましょう、と。

(...)

 

後になって考えてみたのですけどもね。

ロザコヴィッチ君のことも、それほど押しているというわけではないのではないでしょうか?

ある程度は見込んではいるのだろうとは思いますが。

なぜわざわざ推薦したかというと...

昨年のソリストがあまりに酷過ぎてうんざりし、事務局(?)任せにしてたらやってられんわ、自分で連れてくる、ということだったのではないでしょうか?

酷かったからなー、あれは。

どこかのエラそうなおばさんが「凄く繊細な音」と褒めてたが。

エラそうに「あれ位繊細だったら、あたしたちみたいな素人でもわかるわよ」とか。

あのな...繊細な音と、単にか細い痩せ細った実のない音とは全然違うんだよ、おばさん。

 

繊細で言うなら今年のロザコヴィッチ君の方が本物の繊細さだ。

でも何かが足りない...

 

それでもゲル太郎が後半よりそのロザコヴィッチ君を全面に出す方を選んだもう一つの理由は...

というか、最後を飾る筈のガラ後半にシューベルトなんぞを選んだ理由は...

実は今年の首席指揮者にあったのでは...と勝手に推察しております。

(そういや1度も首席の時は行かなかったな)

当たり前でしょうが。

また爆睡するためにわざわざチケット買うほど金持ちでもヒマでもありませんよ。

(行って寝てることはしょっちゅうなんだが)

...それは何らかの期待を持って行って裏切られた場合。くくく...

 

ゲル太郎はPMFの音楽監督を務めてはいるが、超多忙な人だから、札幌に来るのはガラのせいぜい数日前。

それ以前に約1ヵ月もの間、練習生のPMFオケを鍛え上げる最大の役割を果たすのが...首席指揮者なのだ。

つまりあの指揮者ではロクでもないオケにしか仕上がってないだろうから、タコさんみたいなのは到底無理だ、とゲル太郎は判断したのではないでしょうか?

(...いいのかな?)

 

実際、最後のガラでさえあれほど下手だったのも、首席指揮者の力が足りなかったことの証でしょうが。

あー、首席が振ったコンサート行かなくて良かった!

曲目だけなら聴きたいのもあったのだけど。

 

でもなんか今年のPMF練習生たちは可哀想な気もしないではないな。

第1部の最後の合唱の時も全然盛り上がらなかったし。

昨年に比べると、今年のPMFでは明らかにゲル太郎は手を抜いていた。

(昨年も抜いてたんじゃないの?)

手を抜いて...あれほどの演奏を引き出せると思うのかね~?

あの演奏こそ、真摯に真剣に取り組んだ証でもある!

練習生相手でも、本気でやってくれる人なのだ!

それを...

あそこまで匙投げさせるような指揮者を首席に据えるな、ばかやろう!

(↑既にすべて首席指揮者のせいにしている)

 

とりあえず...

あー、やっと終わった!

あと4本か...

(↑書いてないコンサートがこれだけある)