というわけで大変不快な思いをしまして。

(いきなりで何が「というわけ」だ)

昨日の続きですってば。

 

ただ考えてみるに、元々キタラにばかり行ってる人だったらああいう対応が当たり前になっていて、それほどムカつかなかったのかもしれない。

...と...言えるのかな...?

悪者扱いされて気分いい人なんていないと思うんだが。

ただ私の場合それだけでなく、東京での対応に慣れていたことも、この雲泥の差に憤りまで湧いてしまった背景にあるのではないかと思う。

 

どう違うかといいますと...

ちょっと具体例を出してみましょう。

 

例えば隣がうるさいので上の階(=ランクが同等以下)の席に移っていいか?と聞いたら、「上は自由席」という言い方で暗に「正式に認めるわけにはいかないが、勝手に変える分には関知しない」という意図を親切に伝えてくれた東京文化会館のお姉さん

うーん、実にうまい言い方だったな、あれは。

全席指定になっているのだから正式に認めることはできない一方、変なのと隣り合わせになった不運なお客が音楽を満喫する為に替えたい、という気持ちが分かるからこその機転だろう。

 

また例えば馬男の鼻息でやっと巡り会えた玉虫君の音を台無しにされた後、席替えを頼んだら即座に空いてる席を調べて(新チケット発行なんぞという手間はかけずに)すぐに案内してくれたオペラシティ

しかも元の席よりもいい位置!うわお!

前半辛い思いをしたお客へのサービスかな?

キタラじゃ絶対あり得ないことだ。

 

更に、前半カツオおばさんに悩まされて席替えを頼んだら、私が元々いたのはA席にも拘らず、「他に空きがございませんので」とS席に案内してくれようとしたトリフォニー

これもキタラじゃあり得んだろうなぁ。

「A席に空きはございませんので元の席でお願いします」だけだろう、S席が幾ら空いていようとも。

もしくはA席に空きがあっても「キタラ販売分のA席は空きがございませんので」とか?

やりそうだようなぁ。

音楽を聴きたい者を悪者扱いする位だから。

 

しかもキタラと決定的に異なるのは、絶対にチケット番号を控えたりはしないということ。

勿論、席替えを頼む時は自分からチケット提示したが、向こうから要求されることはなかったし、訴えを熱心に聞く方を優先して、ろくに見てすらいなかったな。

これってつまりはお客を信頼しているということよね。

当時は当たり前のことと思っていたけど、そうでないホールもあったんだ...げんなり...

 

他にも席替えではないが、前半ほぼ終わりの頃到着した私に、「ソリストのアンコールがあるかもしれませんよ」と拍手中に中へ入れてくれて中のスタッフに案内を託した芸劇のお兄さん

あれだって少しでも聴かせてあげたい、という思いからよね。

遅れてきた客の自業自得なのにそれで切り捨てようとしない。

(結局アンコール演奏なかったから「スタッフのバカ」とか書いてるんだけど、当時)

えーと、それは...

そういう親切が当たり前になってしまっていてそういう思いやりに鈍感になっていたというか...

過ぎ去ってから気付く、その有難み!お兄さん、ありがとー!!!

(...)

 

更には、1階席であれ2階席であれ入り口から最も近いホール後方の席に空きが相当数ある場合は、遅れてきた人を本来の席ランクに関わりなく座らせてくれたサントリー。

あれA席だったと思う。

お蔭でP席のチケットなのに何度A席に座れたことか...ラッキ♪

(おい...)

ちゃんと後半P席に移動したもんね。

遅れずちゃんと最初から聴けた方がいいに決まってるし。

 

でもそういえば、サントリーはぎりぎり間際到着の場合でも、「今からではP席では開演に間に合いませんので前半だけはこちらでどうぞ」と案内されたことすらあったなー。

凄く寛容だった。

それもこれも"音楽を聴きたい"お客の気持ちを最優先してのこと。

 

もしかしたら後半もそのまま居残るような質の悪いお客もいるのかもしれない。

でもそういう一部の客を閉め出す為に他の音楽愛好家全部を疑ってかかるより、大多数の善良な音楽愛好家をもてなす方を優先しているということ。

 

だからランクが上の席に勝手に移動する人がいるかもしれないなどと目を光らせるホールはなかった。

それをいいことに、そういうズルをしていた人も確かに少数いたのは事実だ。

それどころか、普段からもっといい席が空いていればそういうことをしていると平気で話す人もいた。

「それは良くないよ」とたしなめたものだが、「でも少しでもいい音で聴きたいじゃない」というのはわからなくはない。

 

それでも大部分のお客はそんなことしないと東京のホールは信頼してくれていた。

そういう対応だった。

 

もうわかるよね、東京のホールとキタラの根本的な違い。

それはお客に対して性善説に立っているか性悪説に立っているかということ。

東京では性善説に立っているからこそ、疑わしきは罰せずの方式を採用している。

他方、キタラは性悪説なのだ、お客に対して。

だから番号控えて問題ある客として割り出す。

さすがお役所直属のことはあるぜ。けっ

お客全員を疑ってかかって何が嬉しい?

箱だけ立派でもこれじゃ不快でたまらんわ。

 

とあまりに腹が立って翌日電話したわけですが...

そのお話はまた。