昨日破滅への進化 で書き忘れた大事な論点があります。

(まー、論点だなんていっぱしな言葉使っちゃって)

使ってみたかったんだもん。

(...)

 

実は私は機械化・便利化より芸術方面の流れ(?)を見る方が、もっと人類の歴史は終局に入っていると感じてしまうのだ。

 

例えば音楽。

20世紀の前半までは音楽は健全な(?)発展を遂げてきた。

楽器の種類が増え、複雑さを増しながらも美しさ、音楽の素晴らしさを追求してきたといえる。

特にロマン派から20世紀初頭は素晴らしい。

中でも20世紀初頭に活躍した玉虫君 のきらびやかな美しさ、はかないロマンティック...

音楽の歴史が頂点を極めた瞬間だった...

(↑まるっきり自分の趣味丸だし)

 

だが音楽はその後美しさよりヒトががんじがらめにされていく現実の世相を反映してか、重苦しさや狂気をもっと直接的に表すようになる。

それはそれで音楽性も備えている内は迫力満点で聴き応えあるのだが...

それも越えると...

 

20世紀前半を過ぎると発展というよりも音楽が音楽から離れていく過程のように思えるのだ。

無理もない。

頂点を極めた後どう発展していくというのか...

(↑独断と偏見に満ちた主観)

あとは落ちていくか、音楽が音楽でなくなるしかない。

(だから自分の趣味で決め付けるなというに)

そういうことはあのもの凄い前衛音楽を聴いてから言ってもらおう。

 

更に作曲しないで作曲と称する所まで来ると、まさに行き着くところまで行ったという象徴だろう。

沈黙の中に聴かれるざわめきや自然の音声、それこそが音楽だなんぞと幾らでも理屈はつけられるが、要するに何も作曲していないのに作曲と詐称しているのだ。

それで曲と言えるのなら私にだってできるぞ。

バカバカしくてやってられんが。

 

音楽の流れについて更に詳しく知りたい方はずずんのずん をどうぞ。

(詳しいか?)

 

例えば、絵画等の美術。

こちらには明るくないので流れも正確には追えないのだが、洞窟画から始まり、その後宗教画、王侯等の肖像画、...と流れていく中でやがて普通の市井の人々や生活、風景が描かれるようになる。

この辺りが1番美しかったのではないかな?

(また自分の趣味丸だし)

肖像画も結構好きですがな。

宗教画は嫌いよ。

宗教関係だからでなく、タッチや表情が何か気持ち悪い。

 

その後色の塗り方だの光の捉え方だのに凝り始め、それも行きつくところまで行くと(?)シュールレアリズム等現実から離れた美しくない絵が出始める。

それでもまだ「絵」だった。

ピカソでもダリでもシャガールでも私は全く好きではないが、一応絵と認めることはできる。

「叫び」のように、美しくはないが訴えかけて来るものもある。

(何だかんだ言って「叫び」は結構気に入っとらんか?何度も出てきてるぞ、サルの拍手 とか)

うーん、気に入ってるというより、何か共感するんだな、正視できないけど。

 

だがこれもまた前衛と呼ばれるものが出始めると...

 

ただ色を塗りたくっただけの絵。

これもそれに意味があると言われれば素人は芸術とはそういうものかと妙に納得してしまう人が多い。

いや本当の所はわけわからないのだが、「芸術」と言われるとわけわからんとは言えなくなるらしい。

(サルは言える。サル故に...)

...

 

それでもただ色を塗りたくっただけの絵でも複数の色が使ってあると、その配色に創造性を認めようという気がしないでもない。

どう見ても単に考えなしに塗りたくったようにしか見えんが。

(認めてないじゃないか)

しかし大きなキャンパス全部を色ムラもなしにただ真っ黒に塗りたくっただけの作品というのも見たことがある。

これなら私にもできるぞ。

 

何枚も重ねた布団に直径15cm(?)程の丸い穴を通して空けただけの「無題」という作品を見たこともある。

これのどこが芸術だというのだ。

これが芸術ならうちのボロ布団も「無題」で出せるぞ、きっと

カバー外すと細かい羽毛が飛び散るのだ。

(そこまで暴露せんでも)

うーむ、飛び散る羽毛が(前衛)芸術的...

何なら前衛風に(?)タイトル「飛び立つ水鳥 *注:この布団を振って下さい」としてもいいかも...

(...)

やっぱりバカバカしくてやってられんが。

 

そ、そうか!

あまりにバカバカしくて常人には到底できないことを大マジメにやって、芸術と称することができる大胆不敵な図々しさを備えた人が前衛芸術家(音楽家)なのか...

(前衛芸術家が首を絞めに来るぞ)

いわゆる「こんせぷと」とかってやつ?ぷっ

(何も平仮名にせんでも...)

(へ)理屈付けだけは達者で制作自体は安易でラク。

(どうしても首を絞められたいらしい...)

 

あらゆる面で全くの対極にあるんだな、それ以前の芸術と。

理屈抜きに、あるだけで人の心を掴む音楽や絵画...

玉虫君もシューマイ君もこの曲はこれこれこういうコンセプトを持って作りましたなどという必要はない。

いや曲によっては自らの思い入れを語ることはあったろうが。

そんなものなしに曲を聴くだけで、聴いた者の中に入り込み、訴えかけるのだ。

 

「叫び」だってそう。

一々のどんな理屈も要らない。

見るだけで伝わる。

それこそが本物なのだ。

言葉(理屈付け)を使うなら詩でも書いとれ。

(↑サルなので理屈より見て聴いて感じる方を好む)


そしてその本物を生み出す為に彼らは数ヵ月も、時には数年も費やしている。

1週間やそこらで出来るモノとはわけが違うのだ。

巨大サイズで時間がかかるものもあるだろうけど、そういう話は論外ね。

 

要するに音楽もその他の芸術も既に行き着くところまで行きついてしまったという気がするのだ。

(↑あくまでも自分の趣味に沿って論点を紡いでいくサル)

この先はもうないような気がする。

あとは滅びるのみ。

そうしてリセットして後また洞窟画や角笛から始めるのだろう。

 

いや人類が滅亡するほど荒廃した地球はそのまま無生物の惑星の一つとなり、また新たな星が誕生してそこに生物が生まれるのかも。

それもまたロマンだなぁ...

地球がリサイクルを繰り返さずとも。

(↑やっぱり物凄く無責任なサル)