こんにちは、にぱぱ太郎です。

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前回 、先週行ったコンサート後半の感想を書いたつもりでしたが、よく考えてみると、演奏については殆ど触れてなかったことに気が付きました。

 

初めて聴いたタコやのおやじの曲に衝撃を受け、それに終始してしまった感があります。

(前回と同じネタを使うな)

うるさいな、タコ!

ショスタコ、タコタコ、おタコタコ。

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で、演奏なんですが、良かったと思うんですが、実はあまり特徴的なことは覚えていいないんです。

サルに1週間前のことを思い出せと言っても、土台無理な話ですよ、タコ!

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でも良かったと思うのです。

聴いていてあれだけ苦しい極限まで引き入れられたわけだし、それでも先が聴きたいと思ったわけだし。

 

そういえば前回書き忘れたんだけど、聴いている最中ある絵を思い出しました。

ムンクの「叫び」。

以前あの絵とラフマニノフのP-コン2に相通ずるものがあると書いた安易なサルがいますが。(音楽と絵画)

安易だよ、やっぱり。

(自分に言え、タコ)

タコじゃないもん、サルだもん。

(↑自覚しているサル)

 

いや全く相通ずるものがないわけではない。

だが前回書いたようにラフマニノフはやはりロマンティックな美しさがある。

ムンクのあの絵にはそういったロマンティックさはない。

もっとどぎついむき出しの生々しさ。

そう、タコおやじの曲こそぴったりなのだ。

 

だからあの絵を音にして聴かされているような気がしないでもなく、それだけに苦しいものがあった。

それでも視覚と聴覚の違いもあって、恐いもの(?)聴きたさが最後まで持続したわけだけど...

後になって振り返ると恐ろしさの方が先に立つのか、未だに6月のコンサートの決心がつかない。

勇気を出せ!サル太郎!!

とは思うのだが...

 

絶対聴きたいタイプの指揮者なんだけどな、写真から判断すると。

でもあの曲をこれでもかこれでもかと迫るように演奏されるのって、

(↑聴かない内からそういう演奏だと決めつけている)

それがシューマンの交響曲とか「スコットランド」だったら大歓迎だけど、果たしてタコの曲でそれをやられたら、私にとってはあの絵を「ほれほれ」と目の前に掲げられるのにも似た恐怖がないでもない。

でも大震災後という今現在の気分的なものもあると思うし。

うーん...

 

正直また聴きたい気もするしね。

(↑やっぱり恐いもの聴きたさ)

タコおやじの他の曲にもレパートリーを広げても行きたいとも思うのだ。

(すっかりタコが定着してしまった...)

もうちょっと気分も日本(東北)も持ち直して来たら。

そうだ、前を向こう!タコ!

(...)

 

あ、それで演奏後ですけどね、目一杯フラメンコ叩きして来ました。

感動しましたからね、苦しいなりに。

曲が難解だったせいか、全体的な拍手が割と早くにまばらになりがちだったことにも拍車をかけられまして。

指揮者が引っ込むとすぐまばらになりがちで...

「これはいかん!」とその分頑張ってバシバシ叩きました。

(↑1人で数千人分叩こうという無謀な試みをしたサル)

 

もう最後の方なんて「まばらになった分を埋めるのだー!」と焦るあまり、フラメンコ叩きというよりはおサルのシンバル叩きのようにバシンバシンと叩き続けたものだから、またぜーぜーと疲れる羽目に。

掌もひりひりと痛くなり、終わった後はむぁっかっか!

まるでおサルの手。

(いいじゃないか、サルだから)

 

というわけで、あくまで千人分の拍手をしようと力を振り絞った健気なサルでした。

(もうちょっとましなことで頑張れないのか?)

うるさいな、タコ!

ターコ、タコタコおタコタコ♪

(ほっとこう)

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