自身を信じて前に、前に進みましょう。 | 神聖寺 隆健 090-3085-9732

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神聖寺 隆健 (しんしょうじ りゅうけん)
真言宗、法事と供養、仏教世話ばなし


上の梵字は私、隆健の筆によるサンスクリットの掛け軸です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。
なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
つぶやきを進めましょう。
自身を信じて前に、前に進みましょう。
お釈迦様はウパニシャッドの世界『アートマン・(有我説)』を否定しました。
これは一見、自己存在の否定か?とも思われます。しかし、「アートマンを否定」することは自己の否定とか、主体性の放棄では決してありません。逆に言うと、真の主体性の確立のためでした。お釈迦様が死を前にして言い遺した言葉があります。
「比丘らよ、自らを灯明(島)とし、自らをよりどころとし、他をよりどころとせず、法を島とし、法をよりどころとせよ」と。これは宇宙の法則と、それを感じ取る自己だけをよりどころにせよと、お釈迦様が言い遺した言葉です。
ここのどこに自己否定、主体性の放棄があるでしょうか!”
お釈迦様の説く「無我説」は彼の新しい哲学「この世の中の一切の現象は『縁起』によって成り立つ」を主張するものでした。それは、人生は「苦」であり、「苦」の根本原因は縁起(=因縁生起)で明らかにされるというのです。
さらに、因縁によって万物も生じ起きる、そこには「神々は存在しない」と説いたのです。
これは、全く平等論から成り立つ理論でもあるのです。
因があり、縁が絡んで果が生じていく。これは因・縁・果、お互いが、関係性があって存在していくことを意味するのです。全てがそれ自体単独で存在するのではなく、さまざまな因が縁となって結果を作り出す関係性を表しています。
ここで大きく、ご承知しておいて戴きたいことは、まさに、お釈迦様が説きたかったのは「この世は平等」である。このことの「目覚め(=覚り)」であることでした。
長くなります。つぶやきは次回に続きます。