上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
つぶやきを進めましょう。
梵我一如の思想誕生。
いままでのつぶやきを再度繰り返しながらまとめてみましょう
古代インドの『ウパニシャッドの哲学思考』から『阿(あ)』は呼気を意味し、『吽(うん)』は吸気を表すことになりました。
『あ』・『うん』は二つを合わせて『呼吸』の意味となり、その呼吸によって、生命は生きて存在していきます。そして、あ・うんの間に『アン』という「呼吸する」と言う言葉が発生します。『阿(あ)』は呼気を。
『吽(うん)』は吸気を。やがて、両方の間に『アン』=【呼吸する】という言葉が誕生します。そして、ここから生命の誕生となります。生命あるものは呼吸する、さらに進化して、生命あるものには「魂の存在あり」と進みます。その魂は「アン」から「アートマン」という言葉になり、人間の本質、心の中に、形而上『アートマン』の存在が発見されるのです。
『アートマン』=『我』と漢訳されます。
人間の心の中にアートマン「我」が存在することになりました。
「う~ん、考えて見れば、私も宇宙の一部ではないか。宇宙のどこかに根本原理があるなら・・・私も宇宙の一部なのだから、もしかしたら『私』の中にも、宇宙の根本原理が宿っているはずでは?」「『ブラフマン』(梵・漢訳)は、どこか遠いところに存在するのではなく、自分の中にもあるのでは?」・・・と。
そして、『私』とは?一体何?『私』の中にいるものとは?私の中に何が存在するの?
との探求が始まりました。これがアートマンの誕生になっていきました。
そして、ブラフマンとアートマンの合一「梵我一如」の思想が始まりました。
この思想の根源は何?又、その目的は何か?
つぶやきはまだまだ続きます。