日本へ来る前の密教。 | 神聖寺 隆健 090-3085-9732

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神聖寺 隆健 (しんしょうじ りゅうけん)
真言宗、法事と供養、仏教世話ばなし



上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
つぶやきを進めましょう。

日本へ来る前の密教。
古代インドで生まれた仏教はその修行の厳しさゆえに、修行僧以外の人を排斥していました。しかし、お釈迦様の教えを大事に思う人々の手によって、誰もが信仰出来て、出家もしないで、在家にてもブッダのようになれるという大乗仏教に、その思想は変わって行きました。

やがて、大乗仏教は、もともとあったバラモン教やヒンズー教の神々を飲み込んで行き、秘密の仏教=『密教』を生んだのです。
『密教』の経典『大日経』は胎蔵曼荼羅世界を描き出す教え、及び密教の教義の部分、『金剛頂経』は金剛界曼荼羅を描く教えとともに、祈りの実践法や式典について書いてありました。

胎蔵曼荼羅には中台八葉院、持明院、遍地院蓮華部院、釈迦院など、その他を加えて414
の仏が集合。金剛界曼荼羅には1464尊?が・・集結されているとのことです。(私は実際に数えたことはありません)
つまり、古代インドにおいて、古今からの宗教は祈りであり、神へのパフォーマンスが種族ごとにありましたが、密教は、それらを全部、呼び寄せてまとめてしまったのでした。

大乗仏教も後期になると、なんでも恍惚状態になれば、それが無我、ブッダ(目覚めた人)と同じになったもの、と拡大解釈されるようになり、インド社会では、逆に廃れて行きました。
そうですよね、麻薬でもなんでも無我になったら、それがブッダというのは変ですからね。
〔無我の意味は、自我という欲望から開放された状態になるという意味でしょうか〕

と、いうわけで、大乗仏教中期を抱合した『密教』がチベットや中国に渡りました。
そして、日本に渡ってきたのです。