ウパニシャッドの哲学者が「真実の自己」の発見を霊的直観(つまり論証なし)で表明 | 神聖寺 隆健 090-3085-9732

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神聖寺 隆健 (しんしょうじ りゅうけん)
真言宗、法事と供養、仏教世話ばなし



古代上記の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
「 ドゥヤー 」と読み、発音します。
毎日、猛暑が続きます。
皆様、お身体ご自愛下さいませ。合掌。

ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何のお役にも立ちません・・・謝謝。
つぶやきを進めましょう

『アートマン』=『我』
『アートマン(我)』と言う言葉が誕生するにはそれ以前の語源があります。
『アン』=呼吸する・・・から派生した語とされます。
『アートマン』とは、元来『呼吸』・『息』・『気息』を意味します。

転じて・・・『生気』・『身体』『自身』を表すようになり、さらには、『自我』『自己』『霊魂』を意味するようになりました。
『アン』(個人の呼吸する)の考察から始まり、『アートマン』=『我』の観念が出来上がっていきました。
【ここで一言】
ウパニシャッドの世界は心の世界・意識の世界です。
ですから、ウパニシャッドの世界に入ることは『心』の世界への信仰行為とも見方によっては言えますでしょう。
何が言いたいかと申しますと、どなたかが「自分には信仰する『ある神』がいる。その教えからするとこの観念は納得しない」と言う場合があります。そして「これは誤った観念論」だとの指摘となり、論争となります。

ここでは、{信仰行為をはずして}このような『心』の世界の観念論も存在するのだなぁ~と、思って戴きたいのです。
【とにかく、まだまだ浅学・隆健ゆえにと,お許しを・・・】
この先は、ウパニシャッドの哲学者が「真実の自己」の発見を霊的直観(つまり論証なし)で表明したお話になります。

そして、アートマンの存在のこの哲学思想が時代を経て、アートマン=「識」の観念となり、やがて高野山真言宗、弘法大師・空海の解釈となり、真言密教の基本教義ともなっていくのです。「識」についてのつぶやきは、まだまだ先になりそうです。