『私』とは?一体何?『私』の中にいるものとは?私の中に何が存在するの? との探求が始まりました。 | 神聖寺 隆健 090-3085-9732

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神聖寺 隆健 (しんしょうじ りゅうけん)
真言宗、法事と供養、仏教世話ばなし



 古代上記の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
「 ドゥヤー  」と読み、発音します。
これからは、毎日、猛暑が続きます。
皆様、お身体ご自愛下さいませ。合掌。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。

つぶやきを進めましょうインド・ウパニシャッドの思想家たちにより、『ブラフマン(梵)』は神様になりました。そして『ブラフマン(梵)』は、宇宙のはるか彼方・何処かにいて、人間は神である『ブラフマン(梵)』に向かって少しでも近づくと考えていました。

つまり『宇宙の本体』・『真理』は自分の外のどこか、はるか彼方にあると。
宇宙の本体、神である『ブラフマン(梵)』を掴まえようと探すとき?
どこを探せばよいのか?やがて、古代インドの修行家・思想家達は、以下のように思い付きました。

「う~ん、考えて見れば、私も宇宙の一部ではないか。宇宙のどこかに根本原理があるなら・・・私も宇宙の一部なのだから、もしかしたら『私』の中にも、宇宙の根本原理が宿っているはずでは?」「『ブラフマン』(梵・漢訳)は、どこか遠いところに存在するのではなく、自分の中にもあるのでは?」・・・と。

そして、『私』とは?一体何?『私』の中にいるものとは?私の中に何が存在するの?
との探求が始まりました。
ここに、人間個体の本質、形而上『アートマン』の存在が発見・誕生されるのです。
『アートマン』=『我』と漢訳されます。

ここから『アートマン(我)』と『ブラフマン(梵)』のウパニシャッドの関係哲学が始まります。梵我一如の思想が生まれます。梵我一如の思想は真言密教での思想根本にもなります。