神聖寺 隆健 090-3085-9732

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神聖寺 隆健 (しんしょうじ りゅうけん)
真言宗、法事と供養、仏教世話ばなし





 上の梵字は、私、隆健の筆によるサンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
つぶやきを進めましょう。
お釈迦様の教え・・大乗仏教『八正道』から密教『身・口・意』が誕生。
人間は『煩悩』の生きものです。
そして、これがあるから『人間』は苦しむのです。
『煩悩』の最たるものは『欲望!』です。
あれ(が)欲しい!これが欲しい!と。
あれ(も)欲しい~!これも欲しい~!と。
これ(を)無くせば、あぁ悲しい!あぁ~悔しい!と。
これ(も)無くせば、あぁ情けない!あぁ~諦めきれない!と。
お釈迦様はこの『煩悩』を断つ実践方法を説き残しました。
それが『八正道』の実践です。
1、正しい見解
2、正しい考え方
3、正しい言葉
4、正しい行為
5、正しい生活
6、正しい努力
7、正しい心の状態
8、正しい精神統一
お釈迦様亡き後、残された弟子たちは、もう一度『八正道』について考えました。
『煩悩』を断つ『八正道』の実践とは一体『何?』かと。
その結果『八正道』の実践とは『お釈迦様』に近づくための努力をすることだ、と思い至ったのです。『八正道』は戒律ではなく、目的(『お釈迦様』に近づくため)への実践だとハッキリ、再認識しました。
そして、(おぉそうだ!)この『八正道』の実践は『ブッダ(覚者)』になること=『成仏』する、を目指すという意味にもなるぞ!と知ったのです。
さて、ここで問題となったのは、それでは『八正道』で生き抜いたら、いつに『成仏』出来るだろうか、でした。
・・・結果、何と!出てきた解答は『三劫成仏(さんごうじょうぶつ)』でした。
〔『三劫成仏(さんごうじょうぶつ)』の『三劫』とは、絶対・不可能を意味する『未来永劫』を意味する時間です〕
これより以後、後世『仏教徒』の関心は最大な難関、絶対不可能な『三劫成仏(さんごうじょうぶつ)』をどうすれば可能(今、『ブッダ(覚者)』になること!)かに集中して行きます。やがて、『密教』が興隆し、これを解決するに、『八正道』の実践は『ある修法』に変換出来ることが発見されました。
それが『密教』の『身・口・意(しんくい)』=『三密加持』という修法実践です。
だんだん、『密教』の真髄に入ります。


上の梵字は私、隆健の筆によるサンスクリット語・般若心経からの一文字です。
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チョッと一服、寄り道を、『愛染明王』の真の怖さ!について。
『愛染明王』の真の怖さ!
だいぶ、以前のこと・・昔になりますが、NHKの大河ドラマに俳優、妻夫木聡が扮し、登場する主人公『直江兼続』の番組がありました。
この『直江兼続』は、『愛』を旗印とし、向う兜(かぶと)に『愛』の一字を掲げていました。
この『愛』は、一説に『愛染明王』の『愛』とも聞きますが、 これは『直江兼続』、本人のみぞ知ることでしょうか!
さて、本日は、この『愛染明王』についてお話しましょう。
この『愛染明王』は「恋愛・縁結び・家庭円満」を司る『仏』とも言われます。
衆生の愛欲を、そのまま覚りへと導く『仏』様です。
これを仏教用語では『煩悩即菩提』と言います。
今の日本に一番、必要とされる『仏』ではないでしょうか!
みなさん、如何でしょうか!
良く考えてみれば、今と言わず、古来より『一番!』だったかも知れません!
『愛染明王』は手が六本あります。
それぞれに得物(弓・金剛杵・鈴)を持っています。
一番の得物は『弓』です。
『弓』から連想して、可愛い『愛のキューピット』を思い描かれる人もいるようですが、なかなかどうして!物凄く怖いお顔の『愛のキューピット』です!
そもそも『明王』ですので、元は『憤怒』のお顔が当たり前なのです・・・まして眼が三つもあります。
さて、良くみると一本の手だけ、何も持っていません。
(う~ん?どうして?)
これは、得物を落とした、あるいは、得物が壊れたわけではありません。
最初から無手なのです。
実は、一般には知られていませんが、密教の『阿闍梨』には秘儀の加持祈祷があります。
その加持祈祷に『調伏』があります。
『調伏』は『怨敵退散』にも利用されます。
『怨敵』をハッキリと特定します。
その『相手・名前』の紙片を『無手』に握らせます。
この『怨敵』が恋愛・性欲の『恋敵』だったとするならば・・・
怖い世界です。
あとは、皆さんのご想像に!

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真言密教の真なる「瞑想」の実体(2)
つぶやきを進めましょう。
昨日からの続きです。
『解深密経』に書かれている主なことをご紹介します。
〔これは『坐法』は『坐禅』と同様ですが、中身がまったく違います〕
特徴は1段階があり、2段階があり、これが不二の『観法』とされます。

1段階『シャマタ〔=奢摩他〕』の瑜伽行
『シャマタ〔=奢摩他〕』の喩伽行とは心を無心にする=対象を無くすこと。
『シャマタ〔=奢摩他〕』は、「外部の対象に向かう感覚器官を制御して『心』の働きを鎮める行」

2段階『ビバシャナ〔=毘鉢舎那〕』の瑜伽行
『ビバシャナ・ビパッシャナー〔=毘鉢舎那〕』の喩伽行とは『シャマタ〔=奢摩他〕』の心に別な対象を現出させること。つまり、鎮まった心に対象の映像を映し出す観法です。
『ビバシャナ・ビパッシャナー〔=毘鉢舎那〕』は、「鎮まった『シャマタ〔=奢摩他〕』の『心』に対象の映像をありありと映し出す観法の行」です。
後世、大乗仏教が密教に変遷するや、この『観法』が、結果的にマンダラを描き出す『観法』となります。
1段階『シャマタ〔=奢摩他〕』は『大日経』(胎蔵マンダラ)を描く世界。
2段階『ビバシャナ〔=毘鉢舎那〕』は『金剛経』(金剛界マンダラ)を描く世界。
そして、これは同時にセットでする観法なのです。
教理では別々ですが、実践では不二となります。