
上の梵字は私、隆健の筆によるサンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。
なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
つぶやきを進めましょう。
真なる『瞑想』の実体(1)
「『坐禅』による『瞑想』の道」との言葉表現は、表現そのものが間違っているかもしれません。『坐禅』は『禅宗』から見る表現であり『坐禅』=『無』となる意味だからです。
密教の瞑想は「無」とは違います。意識の中で、お月様を大きくしたり小さくする観法ですから。
今、現代において、『坐禅』は世界用語ともなっています。
海外に行き、『坐禅』の知識ある外国人に『坐禅』と呼称して、密教『瞑想』の道を説けば、聞いている彼は納得できないと思います。
『密教』からすれば、その『姿態』は『坐法』と表現したほうが良いかもしれません。
私が『坐禅』をご案内したのは、あくまでも、その『姿態』=『坐法』を理解して頂くためでした。
さて、密教の『観法』は『瞑想』であり、『心』を『無』にすることだけではありません。
では、その『瞑想・めいそう』とは何か?
本来ならば、瑜伽行体験による会得(ブッダになる=成仏)であり、この実修課程は言葉では表現できないのですが、言葉に表して模索していた時代があります。
その経典が『解深密経』『瑜伽師地論』です。
ここには、『瞑想』『観法』の実修課程が詳細に渉って解説されています。
長くなります。続く。

