神聖寺 隆健 090-3085-9732

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神聖寺 隆健 (しんしょうじ りゅうけん)
真言宗、法事と供養、仏教世話ばなし





上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
つぶやきを進めましょう。
密教理念からすると、『曼荼羅』は3種類に分けられるのです。
1 絵に描いた曼荼羅 
    図絵の曼荼羅と言います。
2 瞑想のときの曼荼羅 
    基本はこの曼荼羅です。(観想の曼荼羅)
3 現実世界そのものが曼荼羅(自性の曼荼羅)
    自性=本質という意味です
    これが忘れがち(非常に大事です)
現実世界はそのまま本質として曼荼羅であると言われます
【つまり、森羅万象の全てが無限の価値を持っている・・・】
【これが密教の基本的な考え方なのです】
それが心像化(現実の形無し)されて、密教行者の観想の中に聖なる世界として仏・菩薩の姿になって現れます。
それを、絵画化したものが密教寺院で見る曼荼羅なのです。
一般には絵に描いたものと思っている人が多いと思いますが、密教に生きる人たちの間では、視覚化された曼荼羅はもともと曼荼羅の一部に過ぎないのですよ。
 【観想の曼荼羅とは】=ひとつの実例・月輪観(簡単に説明)
月輪観(がちりんかん)は行者の眼の前に30㌢ほどの大きさの丸い月の画像を置きます。
三密の行により、自己と目の前の丸い月の像との一体観を得るように努める行です。行を進めるに従い行者の雑念が消え、行者の心がそのまま清浄な月の輪となります。
人間(行者)に本来的に内在する清浄な菩提心がその時、姿を顕すと言われます。
一度、体感をお勧めです。



上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
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つぶやきを進めましょう。
これから、視覚的にとらえることのできる絵図・胎蔵曼荼羅を御紹介しましょう。
『胎蔵曼荼羅』(=大いなる慈悲の母胎から生じたマンダラの意)の中央に蓮華花があります。花芯に『胎蔵大日如来』が鎮座し、八枚の赤い蓮華弁が彼を取り巻いています(円周)。
赤い蓮華弁の中には、四方に『四如来』、八方には『四如来』に挟まれて『四菩薩』が座しています。
合計九尊の『仏尊』が優雅に配されています。
〔みな、丸顔で童顔、ほほが豊かで唇には紅があり、可愛いですよ!〕
『東寺・伝真言院曼荼羅(=東寺・西院本曼荼羅)』〔平安時代〕参照です。
【色が薄れて来ていますが、極彩色で仕上がっています!】
私が観る曼荼羅の主要思想は「平等に存在する」です。
この八枚の蓮華弁は丸く円となっています。これが=『平等』を表します。
「上下関係はないよ」「上下優劣なく、皆で丸く手を繋ごうよ」と・・。
これからマンダラ舞台・千両役者達のご紹介です。
1、中心=『胎蔵大日如来』
周りに四如来。
2、東 =『宝幢(ほうどう)如来』
3、南 =『開敷華王(かいふけおう)如来』
4、西 =『無量寿(むりょうじゅ)如来』
5、北 =『天鼓雷音(てんこらいおん)如来』
上記の如来さん達は、みなさん、あまり聞いたことがない『仏』様たちでしょう。
下記の八方の四菩薩はいかがでしょうか?
こちらは、かなり、ポピュラーな菩薩さんたちです。
6、東南=普賢(ふげん)菩薩
7、南西=文殊(もんじゅ)菩薩
8、西北=観音(かんのん)菩薩
9、北東=弥勒(みろく)菩薩
数の確認のため、No.をつけましたが、順位ではありません。
これが『胎蔵曼荼羅』のヒノキ舞台、『中台八葉院』の仏尊達(千両役者)です。



上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
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つぶやきを進めましょう。
『曼荼羅』の 世界は平等論が基本思想です。
平等とは=どんな生き物(有情のもの)でも必要があってお互いが関係して存在することを意味するのです。これは決して忘れてはならないことなのです。曼荼羅がどんなに大きく膨れ上がっても、この平等(平等理論)は変わりません。
この思想が曼荼羅を理解する『羅針盤』です。
ここで、大きな疑問にぶつかります。
【私は昔、ぶつかったのです。腕組んで考えました】
生き物で無いもの(非情のもの)にも平等論の適用があるのだろうか?ということです。
皆さんも一緒に考えて見ませんか?実は生き物でないものも生きている印(しるし)を見せているのです。
春には山々が緑に輝きます。木の葉の紅葉が秋を教えます。
木々の揺れるざわめきが風の存在を知らせます。
石の硬さ・樹木の年輪は彼等の歴史を語ります。
真言密教の開祖・空海が『声字実相義』という書物に上記のように書いて教えてくれています。
結論。
曼荼羅を通しての密教の基本思想は「有情・非情すべてのものが生命を持ち、平等で生きる」
ここが、ポイントです。と、なると、誰かさんからこんな質問が出るかもしれません?
今、人類は環境世界と平等に生きているでしょうか?と。
う~ん、宗教大学・入試論文の題にもなりそうですね。
是非、御自分の人生の宿題にしてください。