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上の梵字は私、隆健の筆による、サンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
つぶやきを進めましょう。
密教理念からすると、『曼荼羅』は3種類に分けられるのです。
1 絵に描いた曼荼羅
図絵の曼荼羅と言います。
2 瞑想のときの曼荼羅
基本はこの曼荼羅です。(観想の曼荼羅)
3 現実世界そのものが曼荼羅(自性の曼荼羅)
自性=本質という意味です
これが忘れがち(非常に大事です)
現実世界はそのまま本質として曼荼羅であると言われます
【つまり、森羅万象の全てが無限の価値を持っている・・・】
【これが密教の基本的な考え方なのです】
それが心像化(現実の形無し)されて、密教行者の観想の中に聖なる世界として仏・菩薩の姿になって現れます。
それを、絵画化したものが密教寺院で見る曼荼羅なのです。
一般には絵に描いたものと思っている人が多いと思いますが、密教に生きる人たちの間では、視覚化された曼荼羅はもともと曼荼羅の一部に過ぎないのですよ。
【観想の曼荼羅とは】=ひとつの実例・月輪観(簡単に説明)
月輪観(がちりんかん)は行者の眼の前に30㌢ほどの大きさの丸い月の画像を置きます。
三密の行により、自己と目の前の丸い月の像との一体観を得るように努める行です。行を進めるに従い行者の雑念が消え、行者の心がそのまま清浄な月の輪となります。
人間(行者)に本来的に内在する清浄な菩提心がその時、姿を顕すと言われます。
一度、体感をお勧めです。