
上の梵字は私、隆健の筆によるサンスクリット語・般若心経からの一文字です。
ブログを途中からお読み頂いた方々の為に、過去のブログを、改めてご案内させて頂いております。
なお、私のつぶやきは実生活には何の役にも立ちません。謝謝。
つぶやきを進めましょう。
三学のひとつ『禅定』(定学)とは何か
前回、仏教徒・僧侶が学ぶべき『三学』とは何か?をご案内しました。
戒律(戒学)。
禅定(定学)。
智慧(慧学)。
=『三学』です。
では、これから、三学のひとつ『禅定』(定学)とは何かについて、つぶやいてみましょう。
『禅定』(定学)の修行とは『心』や意識を安定させること。
心身の気を静かに修めて精神を一つに集中することです。
空海は高野山・奥の院でこのようにしての状態=『入定』されておられます。
空海は死んでいない、今でも生きていると高野山は言います。
では、実際にどのようにして『定(じょう)』は、為されるのでしょうか?
これは、『真言密教』に例えれば、みなさん良くご存知、あるいは既に実習した人もたくさんおられましょうが、真言密教の『あ字観』(姿・形は坐禅と同様)の行とも重なります。
日本には後世、『禅宗』曹洞宗・祖『道元』が書くところの『正法眼蔵』が残されています。
参考になるかならぬか真言密教『哲学論』は別にして『坐禅(ざぜん)』の姿態を『正法眼蔵』を掲載し、覗いてみましょう。
実は、これと同じ修法のことを以前、このブログでつぶやいております。
瑜伽行体験の世界のお話として。
〔再掲載します〕
唯識の瑜伽行体験の世界はふたつに分別され、二段階になって展開されます。
(これは、法相宗『唯識』の瑜伽行方法です。密教・大日経典が完成される以前の大乗仏教・瑜伽師の世界です。この指導書が『解深密経』という経典です)
1段階『シャマタ〔=奢摩他〕』の瑜伽行
2段階『ビバシャナ〔=毘鉢舎那〕』の瑜伽行
〔これ、古代インドの発音です!〕
『シャマタ〔=奢摩他〕』の喩伽行とは心を無心にする=対象を無くすこと。
『ビバシャナ〔=毘鉢舎那〕』の喩伽行とは『シャマタ〔=奢摩他〕』の心に、別な対象(仏の姿)を現出させること。つまり、鎮まった心に対象の映像を映し出す観法です。
ある『解深密経』翻訳書に拠りますと、『シャマタ〔=奢摩他〕』は、「外部の対象に向かう感覚器官を制御して『心』の働きを鎮める行」とあり、『ビバシャナ〔=毘鉢舎那〕』は、「鎮まった『シャマタ〔=奢摩他〕』の『心』に対象の映像をありありと映し出す観法の行」とあります。
如何でしょうか?
1段階『シャマタ〔=奢摩他〕』の瑜伽行に注目してください。
『禅定』(定学)の修行に注目してください!
まったく『同様』であることを。
明日に続きます。

