「身の丈に合う」という言葉は、

「身分相応な」と大体同じ意味に解釈されるだろう。


だから、私は「身の丈に合う」というのは

自分を謙虚に見せながらも卑下するような、

そんな言葉のように感じていた。


「私はこの程度の人間です。だから、このくらいしかしませんよ。

できないんじゃなくて、この私めがやるのはこのくらいが妥当だからですよ。」


他者に「身の丈にあった~をしなさい」と言うと失礼に聞こえる

という事実がすべてを表していると思うが、実際に、

私が感じていたような言葉であることは確かなようだ。



でも最近、こう思うのだ。


「身の丈に合う」というのは、

「背伸びをしない」という意味なのではないか。



今、自分にできる最大限のことをする。

自分の身以上のことをしようと思ってなにかを不足させるのではなく、

自分の身にぴったりなことを100%の力でやりぬく。

そういう意味だとしたら、どうだろう。



こっちに来て9カ月。

日本語教師としてお金をもらえるようになって、3年目。

もう、なんにもわからない新人ではない。


学生にとってみれば、何年目だろうが、教師。

そう思うと、もっとこうしなければ、

こういう教師にならなければという思いばかりが先に出て、

つい、背伸びをしてしまいがちだった。


そうすると、絶対にうまくいかない。

1回1回の授業もそうだが、なにより自分が息切れしてしまう。


背伸びをしすぎてつま先がずっとプルプルしている状態。

それなのに、しっかり立っている気でいた。


でも最近、こう思う。


私はまだ、この程度の教師。

でも、絶対にいつか目指す教師になる。

今はしょうがない。できることを、精一杯やろう。


背伸びをして身の丈を高く見せても足がプルプルしているなら、

しっかり両足をついてふんばって、小さな自分でいよう。



学生の何人かが

「先生と話していると、お姉さんと話しているようで、幸せです」

という手紙をくれた。


今は、学生のおねーさんのような教師でいよう。

それを望んでもらえているようだから。


それが今の私の「身の丈」。




たまには、忙しいこの時期にだけでも真面目に。

いや、私は元来真面目な人間なんです。

ちょっとトイレや尿意の話が好きなだけで。












































現在、旧正月の真っただ中。


中国系の学生が多いうちの大学では、

里帰りのため欠席する学生がわりと多く

「~さんは、家に帰っていますから、休みです。」と

言われてしまうと、教師はあぁそうかと言うしかない。


今までずっと旧正月なんて意識せずに

2月をぼさーっと過ごしてきたので、

今になって2月は正月だと言われると

なんだかそわそわしてしまうではないか。


「今まで、ただのクラスメイトだと思ってたのに・・・

・・・好きだとか言われたら、意識しちゃうじゃん(*>_<)キャ」

みたい甘酸っぱさがあるとかないとか・・・ない。



デパートを始め、ご存じフューチャーパークでも、

中国系の飾り付けやチャイナドレスを売っていたりと、

日本ではあまり見かけることのできない風景に囲まれている。


Thaiのおかしら

おめでたいりんご。



昨日もうちの学生が普通にチャイナドレスを着ていたので、

「あら、きれいだね。どうしたの?」と聞いたら、

うーーん、と一生懸命考えて、考えて、考えて、出たのが、



「……(ハッという顔をして) 先生、ハブです!」




え!?




Thaiのおかしら


ハブ?!




私のリアクションで気がついたのか、

もう一度考えて、考えて、やっと出たのが、

「……(ハっとして顔を赤らめ)…そふです。」


ハブ≠そふ


つまり彼女が言いたかったのは、

「祖父が中国人なので、旧正月を祝うために着ています」ということ。


じいちゃん…

せっかくタイまで移住して一族を築き上げたのに

孫にハブ呼ばわりされて…(´□`。)



さて、日本では節分がおわったところだろうか。


毎年我が家では家族総出で豆まき

(家の窓という窓、ドアというドアから外に向かって豆をまく)

をするのだが、今年は残念ながら不参加。


去年の節分は、勤務していた日本語学校の近所の神社で

神主さんによる豆まき行事があったので、

授業をつぶして学生つれて行ったなぁ。


みんなできゃっきゃ言いながら飛んでくるまめを拾った。

中国人の学生は先頭に行ってわれさきに豆をとった。

モンゴル人の学生は体格を利用した戦法で

高いところからがつがつ豆をゲットした。

ベトナム人の学生はにこにこしながらうしろで眺めていた。

みんな元気かなぁ。

今年は、豆を食べることもないのかと思っていたら

他の先生経由で学生からお豆をもらった。

嬉々として、同僚といっしょに歳の数だけ食べた。

でも、もくもくと食べていたあまり、歳の数より1つ多く食べちった。

げふ。


豆を歳の数だけ食べると、改めて自分の年齢を意識する。

まだまだ若い(異論は認めん!)が、

織田信長が桶狭間の戦いで今川義元の大軍を破ったのはこの歳。

当時人生50年だったとしても、0歳から歩んできた月日は一緒。


…すごいな、信長。



さてと、がんばろうかね。のんびりと。



~おまめ(おまけ)~


歳の数以上のおまめをもらってしまったので、

職場にかわいい夫婦をおまめき(おまねき)した。


Thaiのおかしら

       豆田さんご夫婦。


授業中の話し。


学生自身が、なんらかの理由があって教室から退出したい時。

私はその学生に必ず、その理由を日本語で言わせるようにしている。

だまーって出て行かれるのは気分悪いし、なにより気になるからだ。


授業中出ていきたいのなら、どんな理由があるにしろ、

日本語で先生に一言言わなければならないという

ある種のリスクを背負ってほしいというものある。


その理由は、トイレに行きたいというのがほとんどなのだが、

その場合、なるべくきちんと日本語の文章で許可をとってほしい。

「トイレ・・・」とでも言おうものなら、すかさず「トイレが?なに?」と私は聞く。


ごたごた言ってないで、たかがトイレくらいだまって行かせてやれよ。と

思われる方も多いかもしれないが、

んにゃ、たかがトイレ、されどトイレなのである。


例えば未習の1年生ならば、

「せんせ、トイレ・・・」でもよしとする。

でも、「~たい」を勉強してからは、

「せんせい、トイレに行きたいです」と言ってほしい。


「~てもいい」を勉強してからは、

「せんせ、トイレいってもいいですか」を使えてほしい。


「~てもらう」や許可の使役を勉強してからは、

「せんせ、トイレに行かせてもらえますか」と言ってほしい。


敬語が上手にできるようになったら、

「トイレに行かせていただけませんか」を期待する。


つまり、トイレに行く許可の取り方の一つで、

その学生にとってどの表現がどのくらい定着しているのかがわかるのだ。

それにやはり、授業で教えるだけではなく、

こういった身近なところから日本語を意識してほしいと思っている。


ところで今日、2年生の授業で。

一人のおとなしい女子学生が授業中、

ニコニコとしながらも遠慮がちに私にこう言った。




「あの、せんせい、トイレに、  行ってもらえませんか? 」






お い だ さ れ た - !!




そうか、せんせは邪魔ものだったのか。

トイレにでも行ってろってか・°・(ノД`)・°・ぅぁぁぁん



隣に座っている優秀な学生は、

その間違いに気付き思わずふいていたが当の本人はキョトン顔。


あーぁ。



かわいいなぁもう。