「習うより慣れよ」とはよく言ったものだ。
何かを教えてもらう隙もなく体当たりでぶつかり転がりゆくような
タイでの2年目の生活をこのように、何事もなく、
平穏無事に過ごせているのは様々なことに慣れたからだ、とつくづく思う。
己に備わった適応能力はもはや個性の枠を超え、
生活必需品であり仕事道具でもある。自画自賛。
しかし、それでも全く慣れないことが一つある。
慣れないというか、「慣れられない」といった方が正しいのかもしれない。
それは、タイにおける「禁酒日」だ。
タイでは仏教関係の祝日及び、選挙前日当日は禁酒日となる。
「飲むことを禁止する」というよりは「酒の類の販売を禁止する」というものだ。
(ちなみに、騒音の出る場所の営業も禁止。例えば、クラブやカラオケ等)
最近だと先日の金曜・土曜がそうだった。
三宝節と、カオパンサーという仏教の祝日・行事のためである。
レストランや屋台ではもちろん、スーパーやコンビニにいたっては、
酒コーナーを目隠ししたり施錠したりして「売っていませんよ」アピールをする。
それもそのはず、法律で決まっている禁酒日なので、
販売をしていることが見つかったら即お縄になってしまうのだ。
罰せられるのは販売側だけではない。
一般人が酒を飲んでいるのを警察に見つかった場合、高額な罰金を取られるのだ。
その額というのが非常に納得がいかない。
タイ人:5000バーツ(円換算で約15000円。価値的としては5万円程度)
外国人:50000バーツ
は ぁ ? ! !
仏教徒でもない外国人が、なぜタイ人より高い!
(やはりこの国の定める「禁止」は、罰金をとるためのトラップにすぎないと確信。)
そもそも、だ。
国定宗教ではないのに、法律で禁止するとはどのような了見なのだ。
もちろん、タイの人々の仏教に対する信仰心は素晴らしく、
街角のいたるところで仏像に手を合わせる姿は美しくすらある。
郷に入れば郷ひろみというので、私もそれに逆らうつもりもなく、
お世話になっているタイ国の定めたものに文句を今更いうつもりもない。
それに私はまがりになりにも、一応はタイ国の国家公務員なのだ。
甘んじて受け入れようではないか。
でもね、
暑い暑いタイの街を汗をかきかき歩いてさ、
この後飲むビールのためにがんばろうと言ってやっとこ入ったお店に、
「禁酒日のため酒類販売していません。~NO ALCOHOL SORRY!!~」
とか書いてあったときの絶望と悲しみは
100万回仏像に手を合わせても救われませんよ!と。言いたいわけですよ。
普段当然の権利だと思って…いやむしろ、権利だとかなんだとかも思わずに
していることを、ゆるぎない大きな力で禁止されるということ。
これは非常に不思議な体験である。
普段側にあるものがなくなったときにその有難さに気がつく、とよく言うが、
禁酒日は「なくなる」のではなく「剥奪される」に近い。似て非なる。
その微妙な違いによって、
「有難さ」よりも「恋しさ」が募るというのは大きな発見であった。
自分がいかにお酒を恋しいと思っているのか。
禁酒日は今のところ、私にとってそれを最大限に確認する日となっている。
禁酒日に逆らうつもりも、「酒だ!酒もってこい!」と暴れるつもりはないが、
このわたくしめにとってはまったく逆効果でしたよ、とだけ付しておこう。
禁じられてより煩悩を膨らませる、罰当たりな外国人は、
禁酒日が明けた、祖父の四十九日の今日、愛しい祖父を忌み、
遠く離れた家族親族を想い、シンハービールを2缶あけた。
~おまけ~
「ウワ!」とか言うなら食べなくてよろしい!!