王様の耳はロバの耳 -7ページ目

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


なんとはなく

事件や事故に
家族が巻き込まれ
加害者を敵視し
権利を主張する人が
意外に多く感じて、

なにかしらに
影響されているように
思ってしまう。

当然に、世の中には
事件や事故に
家族が巻き込まれても
権利を主張しない人も居る。

権利を主張しない人の全てが
別に加害者を赦す訳でもなく

権利を主張しないけれども
決して加害者を赦さぬ人も居る。

黙して、居れば
どちらかなんて
分からない。

権利を主張することを
当たり前のように
思う人には

権利を主張出来ることを
親切にも教えているのに…

焦れったい奴とか
煮え切らない奴とか
やきもきさせられるとか
思われるかも知れないけれど。

それでも
権利を主張しない人は
とてもたくさん居ると思う。

それでも、
権利を主張する人は
なにかしらに
感化されるように
少しずつ
少しずつ
増えているように思う。

泣き寝入りしなくても
いいんだ。と
誰かを見て自分も…と
人は思ってゆくのだろう。

色んなことが
改善されるのは
声を上げる人のおかげだろう。

事件や事故のニュースで
被害者の加害者への
訴えを見聞きして

当初は、ニュースになる程
めずらしく

視聴者の中には、
権利を主張しない人たちも
当たり前に居て

被害者に寄り添うどころか
慣習化してしまっていることに
浸り切ったところから

そんな自分を肯定するように
権利を行使する被害者に
否定的な意見を述べたりもする。

やがて、ある事件や事故での
権利を主張する人が
増えてくると、
ニュースになっても
目立たなくなり

やがて、ニュースに
のぼることもなくなる程、

そうすることが
当たり前のように
気付けば
世間に浸透している。

それでも、
同じような事件や事故の
被害者でも
権利を主張しようとは
しない人たちは
この世には沢山いる。

そうした人も、
権利を主張することを
当たり前とする人に
合わせて会話をしたり
黙していたりして

見分けなんか
つかないのだろう。

気付ける人は、
気付けるし

一生かかっても
気付けない人は、
気付けない。

そこに至っては
自業自得
因果応報

人は、うっかり、
自分の見たいものを
己の世界に見出して

自分の聞きたいものを
己の世界に響かせて

自分の見たくないものや
聞きたくないものに
至っては

好き嫌いする科目のように
実際に触れて見ても聞いても
受け入れることを拒否するように

分かろうとしなければ
分からずに
解こうとしなければ
解けはしない

摩訶不思議な現象が
自分に生じていることにも
気付けずに

否、気付かずに
自らが日々を、生きるため
素通りして
生きていて

だからこそ
他者の意見や考察を聞いて
関心を寄せては
取り入れたりして

自ら、一人の人間を
築き上げてゆくのだろう。

それでも、
一度きりの
折角の人生だもの

我や、エゴに
囚われることなく
多くに気付ける人として
多くを受け止めれるように
一人背負える強さも
大切だと思う。

分かち合える人は
当たり前に
たくさん現れる世の中だから

分かち合う人は
限られた人数で十分に
足しになるのだと思う。