貴方の思考は
貴方の中で連鎖する。
貴方の脳には
クセがつく。
親や大人に
何かしら注意され
素直に、真摯に
受け止めずに
自分の都合や事情
抱えている、
想いや気持ち
自分の主義主張を
知ってくれようとも
してくれなかった人と
対峙したように
拗ねて、捻くれ
反抗的に
偉そうに、なんだ。と
ふてくされながら
事にかかっては、
独り、いじけて燻って、
今、自分が
注意や指摘を受けて
取り掛かっている事
そのものに注視出来ずに
気も漫ろに、生きることを
安易、安直
不用意に
繰り返してしまった人は、
幾つに、成ろうとも
身近な人に
親や大人が、嘗て
指摘していたようなことを
注視されては
自分の身近に居る
人のことを偉そうに。と
偉そう。と
自ら、想いながら、
敬うこともなく
偉そうに感じた相手のことを
何故か、見下す真似をする。
当然のこと。
誰かを「偉そう」と
思ってしまう者程、
「偉そう」な態度の
人間は存在しないのだから。
安易、安直、不用意に
自分が選択する語彙や
自身の世界を彩り飾る
自身の選択する表現
貴方のモノの見方は
貴方が人生で
何を培い、何を選び
どのような姿勢、あり方で
生きてきたかを物語る。
自分のことを
今、知ってくれようともせず
指摘や注意をしてくる人に
出会った人が、
安易、安置、不用意に
コチラの都合も事情も
知りもしないクセに、
偉そうに。と
思ってしまいそうに
なったとしても、
不意の出来事など
そうそうありはせず
多くは必然のこと。
不意を突かれて
ウッカリ、私事を
他者に漏らそうとした
自分自身の不甲斐なさを
悔しく想い
親や大人に
注意や指摘を
受けるようなことを
あらかじめ対処して
自身が誰かのことを
「偉そうに」なんて
思うことないように
誰かのことを
そう思うことを
己の恥として
生きてこれた者は
親や大人に
指摘されるようなことを
身近な人に言われても
人目さらされるような
孤独な恥辱、汚辱
屈辱を覚えることなどなく
もちろん、相手のことを
「偉そうに」とか
「偉そうなことを言われた」と
自分の在り方を棚上げに
自分の都合事情
抱える想いや気持ちに
主義主張を今、
知ろうともしてくれない
憎らしい人間に
対峙してしまうこともなく
親しみや温もりを覚えて
素直に真摯に
進言に感謝することが
いつの間にか
自らの当たり前になっている。
どのように
生きてきたか
安易、安直、不用意に
ウッカリ、
自分自身が選ぶ
自分自身のこの世で在り方に
何を、許してしまうのか。
同じ視点で
世の中を見る者に
出会ったように感じて
調子にのって、
相手にあわせ
ふざけ戯れることが
あろうとも、
立ち還る
自分自身の
この世界での選択
常日頃から
どのように
生きてこれたかが
同じ世界に
生まれ落ちた筈の
人の人生を変えてゆく。
其々の人の内には
その人が
ソコに至るまでに
選び積んできた
研鑽があるのが当たり前。
年を重ねた人程
蓄積されたモノは多く
より、ソコに至るまで
どのような苦痛を覚え
何を、選び、
どう生きてきた人か
その他者と云う先駆者の
選んだ人生が観えてくる。
親や大人に
指摘されるようなことを
自分の都合で
怠ったまま
指摘されぬように
生きることにさえ
我慢や屈辱、屈服感
鬱積、鬱憤を募らしながら
励んでも
それはまるで
相手と競い争い
競り合い
張り合っているようで
やり遂げたとしても
自分が自ら成して
当たり前のこと
やってやったぞ。
どうだ参ったか。と
憎らしいと
自分が感じた
己が敵に
己そのような有り様を
ウッカリ
見せつけることに
なってしまうこともある。
そうしてまた
親や大人に
指摘されるようなことを
身近な他人に指摘されては
人目に晒され
恥をかかされ
恥辱、汚辱、屈辱を
味わってしまっては
相手、憎し。と
「偉そうに」
コチラの何をも
知りもしないクセに。
「偉そうに」と
思うことを自分に許して
しまっては
親や大人に
指摘されていたようなことを
身近な他者に言われては
ソコに
自分のことを
知ってくれようとも
想ってくれようとも
してくれない人を
見出してしまっては
親や大人に
指摘されていたようなことを
指摘されては
一度も果たせたことのない
自分自身の今までを
自分自身が他の誰よりも
知っている分
果たせる自分を
知って貰おうと
動いてしまっては
情けなくも
己自らの勝手で
何かしらに責任転嫁し
頓挫させては
他者からの
愛や情けに飢え
他者からの
愛や情けや施しを
求め欲してしまう者も
この世界には現れる。