王様の耳は驢馬の耳 | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


性善説や性悪説、

生い立ち、境遇、環境
愛情が
人格形成に大切とか
云うけれども

個々の、性分に思う。
個々の、性分と
考えたなら

個々の性分が、性善が
性悪か生まれながらに
分かれているようで、

生い立ち、境遇、環境
愛情とかは

更生施設のような
生活、環境、教育、 
接し方をもって
 
人格形成というか、

人としての生き方
体面を保ち
生きれるように
寄り添って
指導してゆき

どのような
性分で生まれた者も
治世のしかれた
法治国家で

治世を支え
法を守り生きてゆくために

己の性分、エゴ、欲よりも
今、大切に守り務めて
生きることを
身につけて

なんとか、個人が
この世界で、人並みに
人としての体面を
自ら、保ち生きて
ゆくように思う。

生い立ち、境遇、環境
愛情などを
自分は人並みに
受けていない。とか

責任転嫁しているものが
常軌を逸脱してみせて

弁護人が、生い立ち
境遇、環境、愛情のせいだ。と
更生の余地が、あると
主張する。

優しい世界に
生かされて
更生の余地がある。と
更生施設に送られて、

更生施設に送られた
どれだけの者が
自身の性分を制し
生きてゆくことを
身につけて

この現実世界を今生を
人並みに、
特段の不自由を覚えずに
日々、生きていることに
感謝して生きることが
出来るのだろうか。

いつでも、死と隣り合わせ
寿命を告げられてから
生の眩しさに気付いたり

これも性分なのだろうけど
疫病にかかり、
自分の寿命が僅かで
一人で死ぬのは嫌だ。と
疫病を移しに行く者もいる。

変な嫉妬心を抱いては
独り勝手憤り

自暴自棄に成るのは
勝手だけれど
他人を巻き込む者もいる。

生い立ち、境遇、環境
愛情や
更生施設で適切な
指導を受けていたならば

確かに、しては良いこと
悪いことの線引
己の分別に責任をもって

人として、生きる上での
体面を自ら保ち続けて
生きていけるように成る者も
幾ばくかは居るだろうけれど

あまりにも
この優しい世界
生い立ち、境遇、
環境、愛情に甘えてばかりでは
憤り、怒り、
自身を納めるところを
知れぬまま

何に自身を絆して
今を生きればいいのかすら
自ら定めて生きることを
怠けている不孝者

まだまだ、人には
なりきれていない者に映る。

どんな性分で生まれようとも
自分ばかりを不幸にするのは
自分自身。

今までの
生い立ち、境遇、環境
愛情のせいにするならば

ソコから自らが性分を
自らが、制し
世間の人並みに
人としての体面を
自ら保ち生きていけずに
どうするのか。

何故に人並みに、
今から自身を納めて
生きてゆこうと努めれずに

誰かや何かに対して憤り
怒りを自ら納めきれずに
自らが、人として
生きる上での体面を
崩していってしまうのか

性分なのだろう
個々の性分なのだろう。

個々の意志の強さも
甘えていては弱くなる

性善も性悪も
どちらを有していようとも
弱く臆病で
迷子になっては
他者のせいにしてしまう
子供のようであろうとも

人として治世の在る
この世界を生きてゆくならば
誰もが、誰かや何かのためにと
今、自らを何かに絆して
自らが定めた道を
昇りきらなければ
いけないだろう。

道中、膝をつく悔しさ 
誰かの背を見送る寂しさ
誰かを置き去りにする
狂しさを

この世の
誰もが知っていて

ソコからの
自身の選択に
自己責任をとって生き

自身に何があろうとも
誰かや、何かのせいにせず
己を納めて生きてゆき

なんとか、やっと
人としての
体面を自ら保ち生きている。

性善だろうが
性悪だろうが
この世で自分以外の誰かが
性善だろうが
性悪だろうが
何をしていようが

個々は個々
治世の敷かれた
この世界では、

自らの人生ばかりか
誰かの人生を背負う
人生に自らを絆し

自己の選択に
自己責任とって
生きれることを
目指している。

誰が、気付いてくれなくても
何に届かず、適わずとも

努力してこれたことに
報われるような人生を
自分自身に捧げれるように

何かや、誰かに
自らを絆し
生きれることを
今、喜べれたなら幸い。