The King With Donkey Ears | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


一つ、一つ、
この現実世界で
触れ出会う
一コマ、一コマ

強烈な印象を
インパクトを
受けた訳でもなく

何気ない
他愛もない
日々の日常の中で

人知れず、
自分さえも気付かない

小さな小さな
雑魚の小骨が
知らぬうちに
引っかかって

いつの間にか
今まで、意識せずとも
飲み込んでこれたモノを
飲み込むのに、

引っかかりを感じては
自らが意識を働かせ
飲み込んだつもりになって

引っかかりは
誰もが飲み込みきれずに
一人では消化できずに

気付かぬ内に
気付かぬ内に
がん細胞のように
膨らんで

飲み込もうとしても
飲み込めず
一人では消化できずに
引っかかりを意識して

自分が、
そのような状態に
陥っても

日常は
諸行無常に
流れてゆく。

そのことに
焦りを覚えては
自らが、我、エゴ
己が性根を、顕にする。

何が今まで
出来ていたつもりでも

その身に付かずに
猿真似だったことを
露見させる者が居る。

幾ら、
何が出来ていたように
思っていようとも

小さな小さな小骨を
消化することなく
刺さったままに
している者は
感傷に浸り易く

内向的に
過去に囚われ
立ち止まり
立ち止まり

それでも
自らの喉元の
引っかかりには
気付けずに

自らが、何かを
消化しきれず、
引っかかっていることにも
気付けない。

モヤモヤ、悶々
飲み込むことに
力を注いでは

自らが、
自我を働かせては

やがて、とうとう
自らが、
飲み込み
下せぬように成り

ソコに突然、
自らが、飲み込み
下せぬモノが
現れたかのように
感じてしまう。

なかなかに、
人とは、いじましく、

今の己が在り方を
先ず、自らが、疑って
内省に、
務めてみることよりも

手っ取り早く
責任転嫁してしまう。

鬱とは、
人である者全て
誰もが罹り易い病。

それを病と思わぬ者は
それこそ
病状の酷い、
鬱病患者のような
在り方をしながら

自ら、天に唾を吐くように
己が、他者に向かって
吐く唾も、射る矢も全てが
自分に跳ね返り

それを見ている
第三者に対して
自らが想い気持ち立場
都合事情、主義主張を

聞かれてもないのに
訴えて見せては、
自らが体裁、体面、
世間体を取り繕っては

この世のソコでの
己が、在り方、
その様を疑わず

裸の王様が
裸で必死に己が立場を
取り繕っているような
印象を残してしまう。

もちろん、当人も
ソコに至っては
もう、何かを飲み込むことが
出来なくなっているから

自らが、幾ら
取り繕っても
取り繕いきれない
引っかかりを意識する。

懸命に懸命に
今の自分のその在り方を
肯定しようと務める程に

誰かや何かに
すがり乞い
切に必死に何かに抗い
何かを蹴落とし
這い上がろうとする
いじましさばかりが

第三者に伝わってしまう。

鬱に成ると
自らがアンテナに
色んなモノが引っかかる。

引っかかるモノを
くさして嗤い

気にもしてないように
幾ら振る舞おうとも

この世のソコで
他者が意識せぬモノが

自らには、引っかかる。

それほどまでに
己と云う、我、エゴを
膨らませる程に

喉元に引っかかる
消化しきれぬモノを
自らがたくさん有したまま
自らに、悔いをたくさん
募らせてしまう。

忠実(マメ)に働くとは
何かを知れずに

自らが、し易いことばかりを
自らが、選んで生きている
その恥を知れずに

自らが、
何かを得るために
働いたことへの

想い入れ、気持ち
頑張り、努力
自らが、選び
してきたことを
切に、必死に
他者に誇示する真似をして

競い争い競り合い
張り合うように
挑んでしまう姿は
いじましい。

酷い鬱の症状を
宥めるために

真面目だからと諭したり
怠け者と叱咤したり
ソコには、そうする者の
切なる想い、
気持ちが込められている。

酷い鬱の症状に
冒されてしまう者は

自らのエゴ、我、欲が
膨らみ過ぎて

どんな言葉も
噛み砕けず
消化すること敵わずに

自らが、いじましさに 
独り、苛まれ続けてしまう。


この現実世界に於いて
自らが、選んだ在り方の
立場、想い気持ち
都合、事情、主義主張を

他者に向かって
訴える姿は、
いじましく
憐憫を誘い
自らが罪に業を
深めてしまうばかりだろう。

その想い、気持ちを
叫び、訴える程に
その想い、気持ちを有し
自らが努め積んで来たモノが
崩壊してゆく。

自らが、この世のソコで
人並みに、出来ていないことから

目を背けさそうと
務めてしまう姿は
いじましく、

そのように
この世で振る舞えば、
振る舞う程に
エゴ、我、欲が膨らんで

引っ掛かり
飲み込めぬモノ
一人では消化しきれぬモノが
嵩んでいってしまうのだろう。

この世のソコに在る
今の自分を腐らせぬように
唾を吐いてはいけないよ。

他を腐し
甞め馬鹿にしてしまう者が
馬鹿を見る世界なんだよ。

無知とは何か

無知とは今、
他者を甞め見下し
馬鹿にする行為に
務めることが出来る人を
指すのだろうに。

自らに、引っ掛かる
何かを、自らが
人並みに、飲み込み
消化してゆくために
必須なモノがある。

それこそが
自らが、操る
言語なのだろう。
 
自らが、用いる
言語を今、丁寧に操って
一つ一つを噛み砕き
飲み込むことに
己が意識を働かせずに

引っかかりを
意識することもなく

諸行無常に
過ぎゆくように
一つ一つを
昇華(消化)出来るように
成れたなら

今、この世の
ソコに在る、貴方に
悔いを抱かせることも
鬱々とした感傷に
浸らせて

貴方を光射さない
無明の世界に
独り閉じ込めて
しまうこともなく

光溢れた
この現実世界の
今、ソコで

たった一度の
其の今生で
貴方が出会い触れる
其の全てが

温かい光包まれて

とても儚く
とても尊く
ただ、とても愛おしく

貴方は、その今生の
今を、忠実に、丁寧に
生き生かして貰えている
自分に足りて

一人一人
各々其々、平等に
敷かれている人の道
その試練に想いを馳せて

一人一人が
各々其々、忠実に
コツコツ、もがき、足掻き

必死になるほど
人を呪って
泥沼にハマり

力を入れる程に
消化しきれぬモノが増え
罪、業深く
いじましく

得を欲して
徳を損ない手放して
自分自身を
汚し貶め傷つけて

それを他のために
やったことだ。と
開き直って、
他を道連れに堕ちてゆく

自らが、
それまでに積んで来たことを
その道を疑うことは

今の自分を全否定
下手すれば
自らが、命をも失くす。

喪失とは、
自らが、命を絶たずとも
死んでいるのと同じ事。

生きようと
もがき、足掻き
闘えど、闘えど

救われることはない。

有り難いことに
命を、絶たずとも
人は、死ぬことが出来る。

再誕を果たすことは
また難しいことだけれども

再誕を果たしてゆく
その過程で

人は、気付いてゆけるのだろう

しがみついていた
生を捨て

命の灯火
消えかかり

自らの存在価値を
見失い
命、存在なくなっても
変わらないように感じてゆく。

そんな当たり前のことに
引っかかり
自分に同情してしまっては
今を、生きぬくことなど敵わない。

生き抜くことは
使命だろう。
命をもって生まれたモノの
使命だろう。

その使命を
背負えぬ者にとっては
この世界は苦しいだろう。

誰もが生まれたくて
この世に生まれた訳じゃない。

そんなことを
自らを腐らす
言い訳にすれば
喉元に何かが引っかかり
つっかえるばかりで
飲み込めず消化出来ずに

膨らんでしまうのが
エゴ、我、欲、
我慢だろう。

持てば持つほど
苦しくて
持てば持つほど
情けなく

一人では
消化出来ないモノが
増えてゆき

鬱々、悶々
自ら、病に冒されて

この世のソコで今、
何をしっかり噛み砕き 
自ら飲み込み
昇華(消化)させ

今、ソコに在る
自らを治すことさえ
敵わない。

自業自得 因果応報
今の自分の苦しみは

自らが人並みに
務めることが
出来ないことをそのままに

今、この世のソコで
責任転嫁して

自らに毒矢を放った犯人を
探そうと必死になって
自らを治すことに
専念すること疎かに

毒に犯され
何かが引っかかり
今の自分には
飲み込めず
消化できないモノがある。

今に至るまでは
消化出来ていたのだから
きっと、今、ココに
毒を盛った者がいる。と

探しても探しても
誰かや何かを囚えて
罪を被せて罰しても

喉元過ぎないモノは
そのまま
己が悔いに感傷が
シコリのように残っては

膨らみきってしまった
エゴに我に
次から次へと
何かが引っかかっては

悔いに感傷が疼き出し
消化出来ないモノにまた
自ら出会ってゆくのだろう。

南無阿弥陀仏。 

真実一路、
いつか誰もが
救われますように